第11話

文字数 4,491文字

 香苗がはにかんで腰を下ろすと、宗史は視線を移した。
「柴、紫苑。隗と酒吞童子は知り合いなのか」
 答えたのは柴だ。
「そう聞いている」
「お前らは違うのか?」
 晴が口を挟んだ。
「お前たちは、私たちの縄張りがどこであったか、知っているか?」
「確か、元々は関東、武蔵国だったな」
 宗史の答えに、そうだと柴が頷いた。
「千代との戦の折、女子供らを京へと逃がしたのだ。京は酒吞童子の縄張り。その力は我々も聞き及んでいた。奴に匿ってもらえるよう、我ら三鬼神は、その旨を書き記した書状を持たせた。いち早く酒吞童子と接触したのは、隗の配下の者だ。しかし、鬼が増えれば、それだけ取り分も減る。酒吞童子は一蹴したらしい。それを聞いた隗が、奴の根城に乗り込み直接説得したが聞き入れられず、争いとなった。聞く限りでは、あの頃の酒吞童子と隗の実力は、互角だ」
 えっ、と小さく驚いたのは大河たち四人だ。
「ゆえに決着が付かず、しかし、次第に互いの諦めの悪さに愛想が尽き、酒吞童子は我らの申し出を受け入れた。そこから、徐々に交流が生まれた、と聞いた」
「俺ら、よく生きてたな……」
 顔を青くした弘貴のぼやきに、大河と春平と香苗が神妙に頷いた。
「今は、首だけになっている分、あの頃ほどの力はないだろう」
「それでも十分すごかったよ?」
 苦い顔で背中をさする大河に、弘貴たちが何度も頷いた。そうか、と柴は答えて続ける。
「私の配下の者たちも匿われていたが、酒吞童子は千代に悟られぬよう、頻繁に場所を変えていた。万が一捕らえられ、居場所を吐かされぬよう、我々も正確な場所を知らなかったのだ。ゆえに、結局奴には会えずじまいだった。先日あの辺りを探った際、妙な気配を感じてはいたが、まさか、祀られていたとはな。近くまで様子を見に行ったが、人がいて窺えなかった」
 会ったことがないのなら酒吞童子の気配は分からない。さらに神気と混ざり判然としなかったのだろう。
「酒吞童子が討伐されたのって、大戦のあとなの?」
 大河が尋ねた。
「おそらく。配下の者たちを匿う代わりに、奴は表立って戦には加わらない。そういう条件だったのだ。だが、私たちとしてもそちらの方が安心できる。本当は、京へ入る前に食い止めるつもりだったのだが、叶わなかった。あれは、そもそも我ら三鬼神と千代との戦だ」
 三鬼神は無関係の者たちを、酒吞童子は自身の配下の鬼たちを、極力巻き込みたくなかったということか。もしかすると、当時都で頻発していた事件は、大戦で生き残った鬼たちに食わせるため、酒吞童子自らが人を攫っていたのかもしれない。大戦後、鬼らを根こそぎ葬ったといっても、短期間では難しかっただろう。そっか、と大河が少し曖昧に微笑んだ。
 三鬼神に加え、配下の鬼たちの力を持ってしても千代を食い止められなかった。千代の力は、一体どれほどのものなのか。
「ねぇ」
 樹が口を開いた。
「隗と交流があったのなら、裏切った理由を知ってるかもしれないよ?」
 あっ、そう言われれば確かに、と納得の声が口々に上がる。だが、紫苑が否定した。
「知っていても、おそらく喋らぬ」
「どうして?」
「奴は、頑固で気難しい性格だと聞いている。ましてや隗自身が明かさぬのなら、なおさらだ」
 報告を聞く限り、隗の口添えがあったからこそあの場を引いた。それだけ二人の仲が親密だという証拠だ。いくら同じ三鬼神である柴がいたとしても、面識がないのなら話さないだろう。
 皆から残念な声が漏れる中、柴と紫苑が大河を一瞥し、宗史はつられるように横目で見やった。難しい顔で俯いている。
 宗史は気を取り直すように目を伏せたあと、皆に視線を巡らせた。
「分かった。他に報告や質問はありますか?」
「はいっ」
 元気よく挙手したのは弘貴だ。
「酒吞童子との戦いなんですけど、もし宗史さんたちならどうしてましたか?」
 真剣な面持ちの弘貴に宗史らは一瞬虚をつかれ、しかしすぐにそうだなと逡巡する。こんなことを聞いてくるのは初めてだ。
 樹が言った。
「酒吞童子の鬼火って、視認してから発動なんだよね?」
「多分」
「だとしたらやっぱり視界を塞ぐしかないよね。目を狙って、水天か火天を連発するかな。鬼火で防ぐだろうから、衝撃で煙が上がって視界は塞がる。霊刀がないと無理だけど」
「俺も同じだな」
 怜司が同意した。略式の術のことを言っているらしい。さすが、煽り方が上手い。にっこり笑った樹に、弘貴が不満そうに口をへの字に曲げた。
「宗史さんと晴さんは?」
 大河が首を傾げて振り向いた。
「樹さんと同意見だ」
「俺もだな」
 弘貴がますます不満げな顔をした。
「ところで大河、霊刀を使わなかった理由は?」
「え?」
 突然の質問に、大河は自信がなさそうに視線を泳がせた。
「俺の霊刀、酒吞童子の首を切ったやつだし、見たら余計怒らせるかと思って……」
「正しい判断だ」
 褒めてやると大河は照れ臭そうに笑い、弘貴がきゅっと唇を噛んだ。
「他に質問は?」
 皆が一様に首を振る中、弘貴だけはむっつりとした顔を崩さない。
「では、大河、弘貴、春、香苗。処分内容を伝える」
 大河ら三人はもちろんだが、香苗も公園の件の処分が保留中であるにもかかわらず、敵側の罠かもしれない可能性がある情報を報告しなかった。さらに二人一組を厳守という指示を破ったのは、十分な処分対象になる。四人は緊張の面持ちで各々背筋を伸ばした。
「まず、弘貴、春、香苗の三人は、独鈷杵を会得するように」
「――え?」
 虚をつかれたのは三人だけではなかった。晴と樹、怜司以外の全員がきょとんと目を丸くし、宗史を見やる。
「具現化する物は霊刀でなくても構わない。拒否、または会得できなかった場合、以後事件から外れてもらう。そのタイミングはこちらで判断する」
「あっ、あの……っ」
 香苗が前のめりで動揺した声を上げた。
「あ、あたしもですか……?」
「そうだ」
「……でも、あたしは……」
 香苗は眉尻を下げ、尻すぼみになって俯いた。
「香苗。擬人式神の原理は?」
 脈絡のない質問に、香苗は怪訝な顔をそろそろと上げた。
「えっと……人型に注いだ霊力を介して意思を伝え、使役する。です」
「そうだ。現在、寮内において擬人式神を使役できる数はお前が一番多い。行使する際、重要なのは霊力量ではなく、霊力を注ぐ精密さだ。どれだけ丁寧に人型へ霊力を注げるかで、使役できる擬人式神の数が決まる。原理としては独鈷杵とさして変わらない。言っただろう、具現化する物は霊刀でなくても構わないと」
「あ……」
 香苗が大きく目を見開いた。具現化する物によって、消費する霊力量は大きく変わる。霊刀を具現化し、さらに強度を保つには、今の香苗の霊力量では無理だ。ならば小さくしてしまえばいい。例えば、華の短刀のように。その分、具現化に使用する霊力の消費は抑えられ、強度もカバーできる。単純な理屈だ。
 具現化できる技術を持ちながら、今まで香苗に独鈷杵使用の許可が下りなかった理由は、霊力量のみ。ただ、短刀だとどうしても接近戦になる。できれば霊刀、あるいは飛び道具の弓矢や間合いが取れる槍などが理想だ。もし香苗が内通者でなかった場合、本人にその気があるのなら、霊符以外の攻撃方法を持たせずにこのまま対峙させるわけにはいかない。当主二人はそう考えたのだろう。
 裏を返せば、香苗の霊力量が上がるまで待つ余裕がないということだ。あるいは、独鈷杵の訓練を機に覚醒を期待しているか。
「香苗、お前は何をするにも慎重で丁寧だ。個人的な意見としては、霊力を注げるようになるまで、そう時間はかからないと思っている。あとはいつもと同じように、急がずにゆっくり、丁寧にイメージすれば問題ない。どうする?」
 宗史は、寸分の狂いなく香苗を見つめて問うた。その目を真っ直ぐ見つめ返していた香苗が、表情を引き締めて、背筋を伸ばした。
「やります」
 力強い返事に微笑み、宗史は視線を移した。
「弘貴、春、お前たちはどうする」
「やるに決まってんでしょ」
 間髪置かずに答えたのは弘貴だ。こちらは、真っ直ぐでも挑むような眼差し。
「僕も、やります」
 続けて同意した春平に、わずかながら驚いた。慎重という点では香苗と同じだが、春平の場合は確実性のないことに腰が引けるタイプだ。まさかこうも早く答えを出すとは。
 香苗とは逆に、弘貴と春平は霊力量に問題はない。だが、二人に共通して足りないのは集中力だ。それは体術において顕著に表れている。弘貴はムキになると動きが雑になり、春平は仲間を心配するあまりすぐに気が逸れる。あれでは具現化どころではない。
 だが、どうやら今回のことで何か思うところがあったらしい。大河の成長ぶりを間近で見て刺激されたか。
「分かった。伝えておく。それと、夏也さん」
 呼ばれると思わなかったのだろう、夏也が一拍遅れて視線を寄越した。
「よかったら、独鈷杵の訓練をしてみませんか。擬人式神を使役できる数は、香苗に次いで貴方が一番多いでしょう?」
 弘貴と春平と香苗が、一緒にやりましょうと顔に書いて夏也を見やる。
 夏也に許可が下りなかったのは、香苗と同じ理由だ。夏也は、体術だけで評価するなら弘貴と春平を凌ぐ。だからこそ、擬人式神は香苗に任せて体術に専念してきた。しかし香苗が寮に入るまでは、夏也が一番多かったのだ。おそらく今でも練習は続けている。技術的に問題はない。
「はい。やらせていただきます」
 即決だ。夏也らしい。やった、と弘貴たちが満面の笑みを浮かべて顔を見合わせた。
 当主二人の判断は間違っていない。内通者に手の内を知られるリスクは負うが、会得するまで寮にいるとは限らない。皆の安全とリスクを天秤に掛けた結果だろう。
「では、四人は独鈷杵を選択し、明日より訓練に入ってください。指導については、怜司さん、しげさん、昴、華さんにお任せします」
「了解」
 四人も嬉しそうに顔をほころばせている。
 宗史はわずかに笑みを浮かべ、隣へ視線を向けた。
「大河」
「え、あ、はいっ」
 大河は思い出したように背筋をぴんと伸ばした。まさか忘れていたわけではあるまい。宗史はわずかに顎を逸らして笑みを収めると、目を据わらせた。
「お前はさっさと真言を覚えろ。今日の報告書も忘れるな」
 ゆっくりと、低い声で威圧した宗史に、大河が息を飲んで仰け反った。皆が顔を引き攣らせて笑いを堪えている。報告によれば、大河が寮を抜け出した時間は弘貴たちと同じだった。部屋に籠って約一時間後。一時間あれば、中級結界の下はもちろん中も暗記できたはずだ。実戦に強い大河なら、弘貴と春平の三人で行使していれば酒吞童子を完全に隔離できたかもしれない。
 香苗のことが心配だったのは分かるが、だからこそ覚える必要があったのにこいつは。
「……よろこんで」
 視線に込められた苦言を察したらしい。絞り出された返事によしと頷き、宗史は青ざめた顔で硬直する大河を置いて続けた。
「それと、明日の夜に仕事が入っている。そのつもりでいろ」
「はい!」
 大河が今まで以上に背筋をぴんと伸ばした。威圧しすぎたか。
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