第1話

文字数 5,982文字

「では、始める」
 (いつき)がクッキーを食べ終え一息ついたところで、会合は再開された。残ったのは、当主陣をはじめとする陰陽師家一同と式神、樹、怜司(れいじ)(しげる)弘貴(ひろき)(はな)美琴(みこと)、そして大河(たいが)だ。
 宗一郎(そういちろう)の落ち着いた宣言に、大河は静かな目で(さい)紫苑(しおん)に視線を投げた。覚悟を決めたせいだろうか、やけに落ち着いている。
 (あきら)が全員に視線を巡らせた。
「察していると思うが、これから柴と紫苑が正気に戻った方法について話を聞く。いいな」
 改めて覚悟を問われ、無言のまま全員が頷いた。
「紫苑は封印を解かれた直後の記憶がなく、気付いた時には幽閉されていた。だが、滋賀県で変死体が発見されたという報道はされておらず、続報もない。おそらく、(かい)あるいは(こう)により、柴の時と同様、気絶させられて運ばれたものと思われる。紫苑」
 明は紫苑に視線を投げた。
「正気に戻った直後の状況を、詳しく説明してくれ」
 紫苑は一呼吸置いてから、口を開いた。
「私は、強烈な血の臭いで正気に戻った。一番初めに見たものは、血の池に横たわる肉塊と化した人の屍だった。四肢は千切れ、全身の肉は食い荒らされ、臓物は一切残っていなかった。男とも女とも見分けがつかない屍が二体。私自身も血にまみれ、洞窟は人の血の臭いで満たされていた」
 淡々と話す紫苑の声に、皆が息をひそめて耳を傾ける。
「すぐには状況が把握できずに、私はしばらくその場で呆けていた。すると、隗が現れ言った。美味かったか、と。初めは奴だと分からなかったが、角やその気配から隗だと察し、問い詰めた。私の封印を解いたと言うので、何故かと問うた答えが、先程言った通りだ。私は奴に問うた。人を食らわせたのかと。すると奴はこう言った。罪人(つみびと)だ、気に病む必要はない、と」
 それはつまり。
「罪人なら、殺して食っても構わないと?」
 明の問いに、紫苑は不快気に視線を投げた。
「それは、咎めているのか?」
「いいや。我々に咎める権利はない。隗の信条に対しての問いだ」
 表情一つ変えずに反論した明を見据え、紫苑は少々困惑したように眉を寄せた。何か言いたげに口を開き、しかし出たのは問いに対しての答えだった。
「奴に、罪人であるかどうかなど関係ない。罪人でなければ殺して食わない、私に対しての皮肉だ」
「君は、罪人でなければ食わないのか」
「そうだ。私が食らった者たちが隗の言う通り罪人ならば、私は何も思わぬ」
 それは鬼だからこその感覚だろうが、罪人という縛りがある分、鬼の中では特殊な方かもしれない。しかし、人を殺めなかった柴はさらに特殊だっただろう。あれほど柴に忠実ならば、紫苑も同じだと思っていたのだが違うらしい。だが縛りはある。明が言うように、信条の問題か。
 柴といい、二人の信条はどこから生まれた。
「君が食らった者たちはどうした?」
「埋葬した」
「島へ行くまで飲まず食わずか」
「水は用意されていた。二、三日程度ならば耐えられる。ああ、船にも水や食べ物が用意されていたが、何やら珍妙な味だったぞ」
 よほど口に合わなかったのだろう、紫苑は渋面を浮かべた。インスタントかなと明が苦笑いし、華がインスタントは駄目なのねと神妙な顔で呟いた。調味料も数えるほどしかない時代だし、食べ慣れないせいもあるのだろう。平安時代の鬼にとってインスタントは珍妙な味らしい。
 張り詰めていた空気の中に小さな笑いが起こり、一時だけ雰囲気が緩む。
 明が気を取り直すように咳払いをした。
「君が食った者たちを、どこから攫ってきたか聞いたか?」
「詳しい場所までは聞いておらぬが、やはり罪を犯していた者たちだと言っていた」
 犯した、ではなく犯していた。表現が正しければ、警察内部にいるはずの協力者の力を借りず、わざわざ罪を犯していた者を探して攫ったことになる。正気でない紫苑なら犯罪者であろうとなかろうと食らっただろうに。あるいは偶然――いや、やはり必要悪のつもりなのか。
 明は一瞬思案顔を浮かべ、すぐにそうかと頷いた。
「では次だ。柴を連れて戻った時の状況を話してくれ」
「私が柴主(さいしゅ)と共に戻った時、洞窟にはすでに人が用意されていた。手足を縄で縛られ、口を塞がれた二人の男女だ。ずいぶん長いこと船に乗っていたので、柴主の意識は戻りかけていた。人と土に沁み込んだ血の臭いでお気付きになり、そのまま食された」
 柴が人を食らう光景を、紫苑はすぐ傍で眺めていたのか。鬼にとってそれは特別な光景ではなく、むしろ日常的なものなのかもしれないが、人の感覚からするとかなり猟奇的だ。
 ただ、主が正気を取り戻すための唯一の手段だ。隗との交換条件の中には、おそらく「食事」も含まれていたのだろう。だから紫苑はわざわざ戻った。人々を食らい、正気に戻った時の柴の心情を考慮した結果、せめて罪人をと、そう思ったのだろう。
 今はこうして平然と話していても、紫苑は悩んだだろうか。主に信条を破る行為をさせなければならないことを。
「柴主が食される間にどこからともなく結界が張られ、私たちは再び幽閉されたのだ」
 紫苑の優先順位は、何を置いても柴を正気に戻すことだ。逃げるという選択肢はなかっただろう。
「分かった。では、柴。君が正気に戻った時の話を聞かせてくれ」
 柴は一度瞬きをしてから口を開いた。
「先に、尋ねたいことがある」
「何だ?」
「お前たちは、私たちのことをどこまで知っている?」
「君たちの信条のことか?」
「ああ」
「君については牙から聞いている。人を殺めず、すでに息絶えた者や野生動物を食らい、埋葬して手を合わせていた。精気も山賊や罪人に限り、しかし一人の人間から吸い尽くすことはなかったと」
 柴は肯定するように目を伏せ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「私が正気に戻って目にしたのは、紫苑だ。それと屍。紫苑から状況を聞き、私が食ったのだと知った。埋葬し、手を合わせ、紫苑からさらに詳しい話を聞いた。影綱(かげつな)のことを聞いたのは、その時だ」
 罪人とはいえ人を殺め食ったと知り、大戦から千年以上も時が経っていると聞き、すっかり様変わりした京都の街を目にし、そして、影綱はもうこの世にいないと知って、柴は何を思ったのだろう。
 影綱の血と霊力を継いだ自分を見て、どう思っただろう。
「その後は、先程話した通りだ」
「そのことで一つ聞きたい。皓により結界が破られるまで時間があったと思うが、すぐに破ろうとは思わなかったのか?」
 答えたのは紫苑だ。
「千年以上、飲まず食わずで腹が減れば体も衰える。いくら我らとて、ああも衰えれば早々に回復はせぬ。あの時も柴主は万全ではなかったのだ」
 柴が復活したのは21日の正午くらいだ。島から大阪か神戸まで船でどのくらいかかるか分からないが、公園襲撃事件は23日の朝。本能ではなく理性で動けるようになるまで、少なくとも丸一日は時間が必要だったのだろう。
「君たちが人を食ってから約半月、十五日ほど経っているが、その間はどうしていた?」
「奴らの根城を探るついでに、獣でしのいだ」
「精気もか」
「ああ。代えは利く」
「代えか。では――」
 明は一拍置いてから問うた。
「人を食わずに、どのくらいもつ?」
 率直な質問に、柴も紫苑も即答はしなかった。ダイニングテーブルの方で弘貴が息を飲んだ。視線を泳がせ、しかしすぐに唇を噛んで視線を上げた。
 しばらく沈黙が流れた後、口を開いたのは柴だった。
「それは、私たちにも分からぬ。あの頃の、都以外の集落や土地の様子は知っているか」
「ああ。戦が絶えず行われ、それゆえに飢餓や貧困で命を落とす者たちが多く、罪人に対しての罰も容赦がなかったそうだな。埋葬されることなく、山に打ち捨てられる者も珍しくなかったとか」
「そうだ。行き倒れ、息絶えた者たちに加え、私たちはそのような者たちを食っていたのだ」
 他の鬼たちはもちろん、二人にとってもまさに食うに困らない時代。ならば当然、欲求の周期など分からないだろう。
「人を食わずとも、獣である程度の代えは利くだろう。ただ、精気だけは、獣で満たされることはない。どうしても、生きた人間からでなければならぬ。人を絶つ分、おそらく精気への欲求が増す」
 それはつまり、食わない代わりに毎日、あるいは定期的に人から精気を摂取しなければならないということだ。けれど――。
 大河は膝の上の両手に目を落とし、ゆっくりと深呼吸をした。
 人肉は、獣である程度の代えが利く。宗一郎が二人に根城の捜索を指示したのは、その意図もあったのかもしれない。問題は精気。だとしたら、答えは一つ。
 元々、感情に流されやすい性格だ。それで初めての会合の時は皆に迷惑をかけた。だから考えた。考えて、考え過ぎたりもした。けれどこの答えは、ただ感情に流されたわけでも、考え過ぎでもない。
 大河は拳を握って顔を上げた。
「なら、俺のをあげるよ」
 唐突に発言した大河に一斉に視線が集まり、水を打ったような静寂に包まれた。愕然とした空気の中、ふ、と宗一郎が小さく息をつき、ほんのわずかに口角を上げた。
「お前、何を……」
 宗史(そうし)が絞り出した唖然とした声を聞き流し、大河は呆然とする柴と紫苑を見据えて微笑んだ。
「でも二人分だし、一度にたくさんってわけにはいかないだろうけど、ちょっとずつなら平気だと思う。俺、頑丈にできてるし大丈夫」
「おいッ!」
 噛み付くように宗史が声を荒げ、大河の肩を乱暴に掴んで振り向かせた。
「宗、落ち着け」
 (せい)が宗史の肩に手をかけて諌める。宗史は晴を一瞥して、肩から手を離した。ゆっくりと息を吐いてから、大河に向き直る。
「お前、自分が何を言っているのか分かってるのか」
 声は落ち着いているが、その目にはまだ憤りが見える。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
「分かってる」
「分かってないだろう!」
「分かってるよ!」
 鋭い反発に宗史がわずかに怯み、大河は真っ直ぐ目を見据えて言った。
「ちゃんと分かってる。宗史さんが心配してくれてるのも分かってる。でも、柴と紫苑にこれ以上信条を破らせたくないし、事情を知らない人たちを怖がらせるわけにはいかない。そのために陰陽師(おれたち)がいるんだよね。だったら方法は一つしかないじゃん」
 強く一本筋の通った声に、宗史は珍しく声を詰まらせて口をつぐんだ。
「大丈夫だよ。前の時も次の日には動けたし」
「それは(きば)がお前に精気を分けたからだ。牙の機転がなければ数日動けなかったかもしれない」
「あれ、そうだっけ」
「お前……っ」
「大河」
 不意に、柴が宗史の言葉を遮った。
「お前の気持ちは有り難いが、しかし、私たちにとってお前の精気は馳走だ。抑えが利かなくなれば、命に関わる。気持ちだけ頂いておこう」
 大河は柴を見つめたまま、ゆっくりと体勢を戻した。
「じゃあ、どうするの?」
 真っ直ぐ見据える大河の目に、柴の深紅の瞳がわずかに揺らいだ。
「他の人たちから貰う? それを俺たちに見逃せって言うの? 事件を解決するためだから仕方ない、死ぬわけじゃないからって。じゃあ、今までいくらでも時間があったのに襲わなかったのは何で? 罪のない人たちを襲いたくないからだよね? 言っとくけど、今の時代に山賊や生き倒れの人なんかいないよ。二人が食った人たちだって、その日に見つけたわけじゃないかもしれない。二人の復活を計画してたなら、前から捕まえてたとか、目を付けてたとか色々可能性は考えられる。今は、都合良く犯罪者を見つけられるほど人の数は少なくない」
 畳みかける大河に、柴と紫苑は口を閉じたままだ。
「二人は、隗と皓を止めたいんだよね。その時に戦えなかったら、困るんじゃないの? 俺たちだって、二人が戦えなかったら困るんだ。でも俺は、二人に他の人を襲わせたくないと思ってる。だから俺が提供する。ただの交換条件だ」
 これは、自己犠牲や綺麗事などではない。心配してくれる宗史や柴の気持ちを分かっていて自分の意見を押し通す。ただのエゴで自己満足だ。でも、間違っているとは思わない。
 柴を見つめる大河の目には、わずかな曇りも迷いもない。これは、覚悟を決めた目だ。
 珍しく落ち着いた口調で見解を述べた大河に、宗史はやがて諦めたように息をついた。
「分かった」
 全員の視線が集まる。
「大河の意見はもっともだ。それに、人肉を絶つ分、おそらく数日に一度の間隔ではすまないかもしれない。襲われる人数が多ければ目撃者も増えるし、昨日の騒ぎで男たちにも見られている。あれこれと探られれば、二人だけでなく俺たちも動き辛くなる」
「じゃあ」
「ただし、条件がある」
 嬉しげな大河の声を強く遮り、宗史は柴と紫苑に視線を投げた。
「大河の体調が万全な時と、二人が揃っている時以外は許可しない」
 つまり、一人が精気を吸っている間、一人は監視しろということだ。宗史は大河に視線を移した。
「それと大河。精気を与える時は連絡しろ、椿(つばき)を寄越す。椿、構わないな」
 宗史が背後を振り向くと、椿は微笑んだ。
「はい、もちろんでございます」
 宗史は再度大河と柴と紫苑を順に見やった。
「以上の条件が飲めないのなら、この件は却下だ。他の手を考える」
「分かった」
 大河は即答したが、柴と紫苑は無言だ。紫苑は柴の判断次第だろう。紫苑は頑固だと日記に書いてあったが、柴も意外と頑固だな、と大河は圧をかけるようにじっと柴を見つめる。おそらく、大河への負担や身の安全と、自身の信条やもしもの時のことを考え天秤にかけているのだろう。あるいは他の方法を模索しているか。
 引き下がってたまるかと言った視線を送る大河と、無表情で見返す柴の間に緊迫した空気が流れる。
 折れたのは柴だ。呆れ気味の嘆息が漏れた。
「承知した」
 とたん、大河がぱっと笑顔を浮かべて振り向くと、宗史は仕方ないと言いたげに苦笑した。
「必ず条件を守れ。無理をするなよ」
「うん、ありがとう!」
 相好を崩した大河に皆からくすくすと笑い声が漏れ、
「しょうがねぇなぁ」
 と志季(しき)が笑みを浮かべて溜め息交じりに言った。
「大河の男気に免じて俺も協力してやるよ。いいだろ、晴」
 自ら申し出た志季に、晴は肩を震わせながら頷いた。
「ああ、構わねぇぞ。大河、俺と宗史、交互に連絡しろ。志季行かせるから」
「いいの? 二人共ありがとう!」
 完全に顔が緩み切った大河を見やり、皆からは呆れた溜め息と微笑ましげな笑みが漏れる。と、宗一郎がおもむろに口を開いた。
「宗史」
「はい」
「先程の条件だが、もし大河が与えられる状態でない時に欲求を覚えたらどうする」
「俺が与えます」
「えっ、ちょ……っ」
 即答に大河は目を剥いて勢いよく宗史を振り向いた。
「俺が出した条件だ。カバーするのは当然だろう。それに、お前にとやかく言う権利はない」
 忌憚なく突き放され、大河はぐっと声を詰まらせて俯いた。それを言われると反論できない。
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