第6話

文字数 4,731文字

 当時、最強の陰陽師と謳われる安倍晴明直々の招聘とあって無碍にするわけにいかず、影介は使いと共に周防国(現山口)から旅立った。
 数十日をかけて都へ赴き、影介は陰陽生となり日々の修行に励んだ。
 しかし、田舎の出である影介は、文字の読み書きができなかった。自分の名前や両親、友人の名前くらいなら教わっていたが、それ以外の文字はさっぱりだった。そのため、文字の読み書きと陰陽道の思想、仕組みをすべて同時に教わらなければならず、ずいぶんと苦労した。中には、学の無い影介を蔑む連中もいて、何かと馬鹿にされ、嫌がらせも受けた。
 だが生来の真面目さと負けん気が相まって、影介は徐々に才能を開花させた。
 晴明に付いて怨霊や怨念の調伏に赴くことも増えた、影介が十五の時。元服と同時に、宇奈月影綱の名を賜った。同じ年、初めて召喚した式神は土を司る神の眷族で、(きば)と名付けられた。牙は影綱の霊力に比例して、人型にも獣型にも変化した。
 影綱が十六の時。武蔵国(現東京・埼玉)にはびこる鬼同士の縄張り争いが激化、都方面へ拡大していると噂が入った。一部の鬼たちはすでに近江(現滋賀)へと入り、いくつかの集落や村が巻き込まれたらしいとの噂も出回った。事態を重く見た朝廷は、陰陽寮に討伐を命じ、晴明を筆頭に討伐隊が編制された。
 討伐隊に選抜された影綱は、出立の前日、薬草を摘みに近くの山へと分け入った。山々に囲まれて育った影綱にとって、山は慣れた場所だ。しかし、戦へと赴く前日とあって、いつもより多めにと欲を出したのが間違いだった。薬草摘みに夢中になって、斜面に気付けなかった。
 影綱は足を滑らせ、33尺(約十メートル)ほどの斜面を滑り落ちた。運よく骨折は免れたが、左足首を捻挫した。摘んだ薬草を潰し、手拭いに巻いて患部に湿布した。しかし時間が経つにつれて患部は熱を持つ。仕方ないと、牙を召喚して背に乗って戻ろうかと、袂から霊符を取り出そうとしたその時、茂みから影が飛び出してきた。
 熊か野犬か、と霊符を構えた影綱の前に現れたのは、赤い目を獣のようにぎらつかせた鬼だった。砂まみれの破れた着物を纏い、真っ白な肌の傷口から血を流し、頭には二本の角が生えていた。
 鬼だ、と一瞬で認識した影綱と同様、向こうも影綱を人間だと瞬時に認識した。
 放たれた強烈な殺気に恐怖を覚えた。霊符を構えたまま後ずさりをした影綱は、左足に走った痛みに顔を歪ませた。痛みのせいで真言が唱えられず、牙が召喚できない。鬼の主食は人肉と精気だ。確実に食われる。
 そう覚悟した影綱の足に、ふと温いものが触れた。
「お前、怪我をしているのか」
 間近で発せられた声に驚いて顔を上げた影綱の目の前には、綺麗な赤い双眸があった。
 それが、影綱が初めて対峙した鬼――(さい)との出会いだった。
 その後、柴は影綱を人目に付かない麓まで送り届け、再び山へと戻った。陰陽寮に戻った影綱は、一切の出来事を晴明と重鎮たちに報告した。重鎮たちは、鬼が人を助けるわけがないと、戦場へ赴く恐怖から幻を見たのではないかと影綱をせせら笑った。だが唯一、晴明だけは笑わなかった。
 翌日の討伐隊から影綱は外されたが、次の討伐から参戦した。
 鬼たちとの戦はひと月ほど続いた。もともと入京と人への被害を食い止めるための戦だったため、必要以上の戦いは避けており、犠牲は少なかった。誰かが言った。「このまま共倒れしてくれればいいのにな」と。奇しくもその願いが神へと届いたのか、鬼たちの内乱は次第に終息し、ひと月経つ頃には、鬼の姿はぱったり見なくなった。
 戦での怪我もすっかり治った頃、あの山の同じ場所で柴と再会した。
 やはり彼も参戦していたのか、ところどころ傷跡が残ってはいたが、とにかく元気そうだった。
 それからというもの、二人は時折人目を避けて会っては他愛のない話しをするようになった。紫苑という名の、腹心の鬼と出会ったのはこの頃だった。
 長めの黒髪に気の強そうな目は赤く、角は二本。頭が固いのか、少々融通が利かない彼は、初めのうちはかなり影綱のことを警戒していたが、敵意が無いと察すると、徐々に打ち解けた。
 影綱が鬼の内情を聞いたのは、しばらく経ってからだった。
 「鬼」と一言で言っても、柴のような「人型の鬼」と、人の怨念や怨霊、負の感情から生まれた「悪鬼」がいることは、影綱も知っていた。しかし、以前の戦を起こしたのは「人型の鬼」ではなく「人型の悪鬼」なのだと言う。
 その悪鬼の名は、千代。ずっと昔、神への生贄にされた少女だった。村人への怨念が人に取り憑き、少女は人型の悪鬼として復活し、そこら中に彷徨う悪鬼を率いて人への復讐を続けていた。
 一方、柴ら人型の鬼は「三鬼神(さんきしん)」と呼ばれる鬼を筆頭に派閥と縄張りを持っていた。強靭な肉体と怪力を持つ「(かい)」。美貌を武器に取り入り、淫鬼と揶揄される女の鬼「(こう)」。そして、類稀な身体能力を持つ「柴」。現体制になる以前は縄張り争いが絶えなかったが、この頃は小競り合いが時折起こるくらいで、鬼同士の戦は無いに等しかった。理由としては、柴の温厚な性格と、皓の飄々とした面倒臭がりな性格が、好戦的な隗の戦意を失わせていたのだろう。
 鬼の歴史上、一番平和な時代だったと言える。
 鬼と悪鬼の間には、不干渉の掟があった。条約を交わしたわけではなく、暗黙の了解というやつだ。千代は、それを破った。これまで長い間守られてきた掟を、何故突然彼女が破ったのか、その理由は謎のままだ。しかし、彼女が皓の支配下にある鬼に手を掛けたのは事実だ。千代が総勢三十名の鬼を食らい、八つ裂きにしたことからあの戦は始まった。
 噂を耳にし激怒した隗が戦に加わり、援軍を求められた柴が加わり、戦況は拡大。さらにそこへ人が加わり、三つ巴の戦へと変わった。
 陰陽師と武士らが加わったことで、鬼の主食である人肉と精気、悪鬼となる怨念が極端に減少し、鬼は次第に疲弊、悪鬼は数を減らしていった。そのおかげで、戦は終息を迎えた。
 これが、戦の真実だった。
 ある日、柴と影綱がいつもの場所にいると、突然、隗と皓が訪ねてきた。
 柴から聞いていた通り、隗は大柄な長身で、筋肉隆々な体躯は圧倒された。しかし、ころころと変わる表情と大雑把な振る舞いは好意的ですらあった。一方、皓はといえば、聞いていた通りの絶世の美女だ。艶のある色気に仕草、声、口調は、男なら鬼と知っていても惹かれても仕方がないと思えるほどだった。
「お前が人間と、しかも陰陽師と出来ているらしいとの噂を聞いてな。これまで色恋の一つもなかったお前がどんな相手を選んだのか、ぜひ拝顔せねばと思って参った次第だ」
「そうそう、私のところでもその話しで持ち切りよ。柴が人間と逢瀬を繰り返してるって。面白そうだから、隗を誘って来ちゃった」
 聞き捨てならない単語がぽんぽんと飛び出し、影綱は思わず反論した。隗と皓は実に楽しそうにけらけらと笑った。
 それが隗と皓との出会い。それから二人は、時々柴の元を訪れるようになった。影綱と柴に加えて、紫苑、隗、皓、それぞれの腹心、全員がそろう時もあれば、今まで通り二人きりの時もあった。今日は誰も来ないのだな、と少し寂しく思うと、柴は必ずこう言った。
「次は、会える」
 このまま何事もなく時間が過ぎていけばいいと、そう願った。
 この頃、陰陽寮では影綱に関する噂で持ち切りだった。晴明の手元には、破門するべきだという内容の書状も上がっていた。
「宇奈月影綱は、鬼に魅せられた。鬼と密会を繰り返し、我ら人を貶める算段を練っている」
 と。
 噂の出所は分からない。誰がどこで、影綱が柴らと会っていると知り得たのか。しかし晴明は、噂の真偽を詰問するでもなく、ましてや破門のはの字も口にしなかった。ただ、影綱に当時大変貴重だった石英(水晶)で作らせた独鈷杵(どっこしょ)を贈った。影綱はそれを使い、霊力を凝縮、具現化させた一振りの刀を「影丸」と名付け、愛用していたと言う。独鈷杵には晴明の文様である五芒星が彫り込まれていた。何故この独鈷杵を贈ったのか尋ねても、晴明は曖昧に微笑むだけで、結局真意は語られなかった。
 時は過ぎ、半年ほど経った頃。
 突然、京の都の北側に鬼の集団が押し寄せた。近隣の村々は火の海と化し、人々は鬼に食われ、都の中心部では大騒ぎとなった。
 即座に陰陽寮に討伐命令が下り、即席の武士集団が招集され討伐に駆り出された。
 柴たちのことが頭をよぎった。もし前回の一連の戦なのだとしたら、彼らも参戦しているはずだ。影綱の心に、躊躇が生まれた。
 それを察した晴明が告げた。
「辛い気持ちはよく分かる。しかし、我ら陰陽師は、穢れから人々を守ることが使命なのだ。宇奈月影綱、貴殿に命じる。鬼を、調伏せよ」
 前回の戦とは比べ物にならないほどの鬼の数に人は苦戦を強いられ、多数の犠牲者を出した。
 人と鬼。双方の犠牲者の中に、幾人も見知った顔があった。三つ巴の戦の中、誰が敵で味方なのか。そんなこと考えている余裕はなかった。鬼と見れば切り、悪鬼と見れば調伏する。戦の愚かさを知った。
 そんな中で、影綱は対峙する紫苑と隗を見つけた。何故二人が争っているのか問うと、紫苑が叫んだ。
「こいつは我らを裏切った!」
 何故かと問い詰める影綱に、隗は言った。
「どうしても許せぬのだ、人が」
 二人は激しくぶつかり合いながら、戦場の砂埃の中に姿を消した。
 混乱しながらも悪鬼を調伏する影綱の目に、柴の姿が映った。深手を負い、人間より遥かに強靭な肉体を持った柴が、息も絶え絶えにそこにいた。
 影綱が駆け寄ると、悲痛な表情を浮かべた。
「何故、争わねばならぬ。何故、憎み合わなければならぬ。流した血の分だけ憎しみが増えることに、何故気付かぬ。私は、もう……」
 疲れた、と小さく呟いた。
 紫苑たちの行方を問うと、柴は小さく頭を振った。
 影綱は握り締めた影丸を離し、柴の頬に手を伸ばした。袂から小ぶりの石を取り出し、真言を唱えた。その声を聞いた柴は微かに微笑み、静かに赤い双眸を閉じた。
 封印の呪を唱える影綱の頬に、一筋の涙が零れ落ちた。
 周囲を照らしていた光が消え、柴の姿も消えた。影綱は石を袂にしまい、影丸を拾い上げた。
 それからの影綱は、牙を行使し、後に修羅と恐れられるほど圧倒的な強さで戦場を駆けた。
 終戦後、晴明によって調伏された千代の肉体は丁寧に荼毘に付された。残った骨は厳重に封印の呪が施された後、晴明の命により建立された鬼代神社に祀られた。悪鬼が乗り移っていた肉体の骨はそれだけで邪気を帯びる。悪用されることを防ぐため、表向きは豊穣の神を祀ることで永劫に秘匿することとなった。一方、同じく封印された紫苑は近江の山の奥深くに祀られた。なお、参戦した鬼はもちろん、山に避難していた女、子供の鬼までも、根こそぎ葬られた。
 そして数日後、影綱は晴明から破門を言い渡された。理由は、命令違反。鬼を調伏せよと命じた晴明の意に背き、こともあろうか三鬼神の一人である柴を封印したためだった。
 柴を自らの手で封印した罪悪感からなのか、影綱は鬼に精気を吸い取られた抜け殻のように、日々を怠惰に過ごしていた。
 晴明は言った。
「故郷の島へ帰り、この御魂の守人となれ。それが、私の最後の命だ。受けてくれるな? 影綱」
 晴明に託していた柴を封印した石が、再び影綱の手に戻ってきた。

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