第7話

文字数 4,671文字

 しばらく、言葉が出なかった。
 紺野と北原が再捜査していたのは、六年前の土御門栄晴(つちみかどえいせい)が亡くなった「死亡事故」の件だ。岡部はそれに関わっていた。当然、遺族である三兄弟は知っているし、関係性から見て賀茂宗一郎(かもそういちろう)が知っていてもおかしくない。しかし、こちらが再捜査していたことは、陰陽師側にはまだ報告されていない。つまり、彼女は。
「貴方は」
 佐々木がぽつりと口を開いた。
「六年間、ずっと探していたんですか……一人で……?」
 独自で岡部を探していたことになる。どこにいるかも分からないたった一人の男を、警察の力を借りずに。
 妙子は眉尻を下げ、わずかに苦笑した。
「いえ、さすがに一人では。明さんと宗一郎様の、式神の皆さんも一緒に」
 その答えに、熊田と佐々木はますます目を丸くした。
「明さんから、事情をお話しても構わないと言われています。しかし、いつ人が来るか分かりませんので、先に」
 そう言って鳥居の方を振り向いた妙子を見据え、熊田は眉根を寄せた。
 何がどうなっているのか分からないし、そもそも彼女の話を鵜呑みにしていいものか。妙子は完全にノーマークで、素性調査をしていない。けれど、ここで迷っている暇はない。確かに今は人がいなくても、いつ観光客が来るか分からない。ここは先に岡部の所在を確認する方が正解だ。
 熊田と佐々木は顔を見合わせて、頷いた。
「分かりました。ですが危険ですし、ここでお待ちください」
 熊田の提案に妙子は向き直り、首を横に振った。
「明さんに、全てお任せするようにと言われています。しかし、きちんと自分の耳で話を聞きたいので、一緒に行かせてください。どこかに隠れていますので」
 真っ直ぐな眼差しに、力強い声。熊田は困り顔をした。
 何かを企んでいるようには見えないが、完全に信用したわけではないし、隠れる場所があるかどうかも分からないのに、おいそれと連れて行くわけにはいかない。だがこの様子だと、駄目だと言ってもこっそりついてきそうな雰囲気だ。佐々木が口を開いた。
「熊さん、一緒に連れて行ってあげましょう」
 熊田は驚いた顔で佐々木を振り向いた。一般人を巻き込むかもしれない可能性があるのに――。
 ああ、そうか。
 熊田は低く唸り、やがて諦めたように嘆息した。
「分かりました。ただ、一つだけ約束してください。何があっても出てこないこと。いいですね」
 妙子はぱっと顔を明るくした。
「はい、分かりました。ありがとうございます」
 たかが、という言い方は良くないが、話が本当なら、家政婦が何故ここまでするのか。妙子は栄晴の代から土御門家に雇われていたらしいが、それにしても。
「あ、それとこれを」
 妙子が思い出したようにバッグを探って差し出したのは、一枚の写真。熊田が受け取り、隣から佐々木が覗き込んだ。どう見ても隠し撮りだ。スーツを着て、そっぽを向いた生真面目そうな顔の男が一人映っている。
「これは?」
「したなが、という男です。漢数字の二と書きます。おそらく、この男が関わっているのではないかと」
「どういう人物ですか?」
 佐々木が尋ねると、妙子は男の素性を口にした。
「なるほど」
「そういうことか」
 熊田と佐々木の表情が一変して険しくなった。彼女の言うことが本当なら、紺野と北原の読みは正しかったのだ。
「分かりました。何とかして聞き出しましょう。お預かりします」
「よろしくお願いします」
 深々と頭を下げた妙子に、熊田と佐々木は深く頷いた。
「宮沢さんは、少し待ってから来てください。一緒だと怪しまれるかもしれないので」
 写真を内ポケットにしまいながら言うと、妙子は緊張の面持ちではいと頷いた。
 熊田と佐々木は、睨むように山の中へと続く道を見据え、足を進めた。これは、刑事の勘だろうか。それとも気が高ぶっているだけだろうか。この先に岡部がいる。そんな、根拠のない確信がふつふつと湧いてくる。
 灯篭と巨大な社号標を携えた鳥居をくぐり、熊田を先に細い参道を進む。道路より少し高くなっていて、緩く傾斜がある上に非常に狭い。コンクリートで整備されているが、枯れ枝が脇に避けられ、枯れ葉が散らばり、苔生し、昨日の豪雨のせいで濡れていて滑りそうだ。
 両側にはぽつぽつと献燈された灯篭が建ち、左手には細長い石碑が居座っている。奥へ進むほど、湿気と土の匂いが濃くなってゆく。空は開けて、焼けるほど強い日が差し、周囲は明るく照らされ、蝉の鳴き声がうるさいほど降り注ぐのに、自然と口数が減る。
 しばらく行くともう一つ石造りの鳥居が現れた。導くように灯篭が立ち並び、だがまだ社は見えない。ここまで来ると、左側の眼下に見えていた道路は見えなくなり、すっかりの山の中といった景色で、見渡す限り木々ばかりだ。空気は爽やかに澄んで、涼も感じられる。普通の観光ならば癒されるところなのだろうが、今はそれどころではない。
 ふと、木々や灯篭の隙間に赤い色がちらりと見えた。建物らしき物も見える。
 さらに足を進めると、左手の登り斜面の奥の方に、祠だろうか。明らかに人の手が入った楕円形の石が立ち並び、小さな鳥居も見える。参道のすぐ脇には、両脇に灯篭を携えた牛頭天王の祠があった。そして右手の下り斜面には、今にも崩れ落ちそうな小屋がある。
「あそこも要確認だな」
「はい」
 横目に通り過ぎながら確認し合い、到着した朱色に塗られた手すりが設置された階段の上で足を止める。無言のまま、二人は周囲に視線を巡らせた。
 階段下に、これまた両脇に灯篭を携えた石造りの鳥居、左手には、おそらくあれが本殿だろう。遠目に見えた赤い色は、本殿の背後にどんと居座った巨石を囲っている柵だったようだ。ご神体か。そして正面には横長の建物。どちらもしっかり残っていて、廃墟と言われるほど廃れているようには見えないが。
「佐々木、足元気を付けろよ」
「はい」
 足元に目を落として注意を促し、ゆっくりと階段を下りる。昨日の嵐で枯れ葉だらけだ。近付く鳥居には、全体に何やら奇怪な模様が彫られていた。思わず立ち止まってまじまじと見やる。額束には「大岩大神・小岩大神」と浮き彫りがされ、なんと言ったらいいのか、異国情緒あふれるデザインだ。神社なのに。
「もしかして、これか?」
「ええ。でも風景が違うので、ネットによく上がってるのは、多分下の方にあるやつだと思います」
 ふーん、とさして興味なさそうな返事をして、熊田は再び階段を下りた。二基も寄進するとは。彼はずいぶんと信仰熱心だったらしい。
 階段を下り切って、正面の建物を眺める。侵入防止用にロープが張り巡らされ、左端は竹ぼうきやバケツ、ビニールシートのような物や、埃をかぶった木製のテーブルや椅子が置かれた休憩所。その隣は一段高くなっており、引き戸が設置されていて、三分の一ほど開いていた。さらに隣は、胸の高さほどに小さな庇のような台、引き戸、上には「祈祷料五百円」などと書かれた額縁がある。どうやら社務所兼授与所だったようだ。そして一番奥の向かい側に、小さな小屋がある。
「開いてますね」
「ああ」
 小声で確認して、熊田と佐々木は本殿の方へ足を向けた。
 本殿と社務所の間の通路の奥には、手水舎だったのか、てっぺんを丸くくりぬいた岩が二つ並んでいる。二人は通路から逸れることなく本殿の正面へ回った。
「あ?」
 賽銭箱の前に立って、思わず拍子抜けした声が出た。
「なんだ、普通に綺麗じゃねぇか」
 足元のコンクリートは欠けている部分があるものの、この程度なら許容範囲だろう。確かに柱や梁は色褪せ、賽銭箱に至っては「奉納」の文字がほぼ消えかかっている。注連縄も細く今にも切れそうだし、神前幕も皺が寄って見るからに埃っぽい。だが形はきちんと残っているし、左右と真ん中にぶら下がった大きな赤い提灯には、劣化防止用の袋が被されていて綺麗なままだ。この程度の神社ならどこにでもあるだろう。
「酷いのは下の方らしいですよ。鳥居も拝殿も倒壊して、狛犬は台座から転げ落ちているそうです」
「ああ、そうなのか。そりゃあ可哀想だな」
「自治体も手を尽くしているそうですが、先立つものがないと難しいみたいですね」
「まあなぁ、何するにしても金は必要だからな。部外者が勝手にあれこれ触れねぇし。そんじゃあ」
 熊田は小銭入れをポケットから取り出した。佐々木も頬を緩め、バッグから財布を出す。揃って百円玉を賽銭箱に投げ入れ、手を合わせる。何の足しにもならない金額だろうが、小遣い制の身としてはこれが精一杯だ。
 それに、これから神聖な場所でひと騒動起こしてしまうかもしれない。
 さわさわと風に揺れる葉音を聞いてから、熊田と佐々木は顔を上げた。さて、本題だ。
「あたしはこっちを」
「おう」
 本殿の右側は、末社か摂社があるのだろう。屋根付きの通路が伸びている。佐々木はそちらへ向かい、熊田は社務所へ足を向けた。
 ロープの前で立ち止まり、すまん、と一つ謝ってまたいだ。一段高くなった座敷は、引き戸の前に板張りの小さな廊下がある。
 熊田は廊下に目を落とした。人が入った形跡はないけれど、確認はしなければ。だが、いくらなんでもこの砂埃だらけの廊下を靴下とはいえ踏む勇気はない。嫁に小言を言われる。熊田は携帯をいじりながら、もう一度すまんと謝って、ゆっくり靴のまま上がった。とたん、ギシ、と嫌な音が鳴り、ぴたりと足を止める。ダイエットをするべきだろうか。
 さらに慎重に引き戸に近付き、灯した携帯のライトと共に中を覗き込む。窓らしき場所には板が打ちつけられており、真っ暗な上にかなり埃臭い。熊田はゆっくりとライトを動かした。奥の方まで続いていて広いけれど、何もない。倒壊する前に撤去したらしい。絶対に覗かれないという保証はないのだ、隠れる場所がないここにはいないか。
 携帯と一緒に顔を引っ込め、再び慎重に戻る。地面に足を付け、ほっと安堵の息をついた。そのまま奥へと進む。授与所の引き戸の張り紙が目に入り、ざっと目を通した。どうやら後継者がおらず、宮司不在のまま廃れてしまったようだ。建物というものは、人がいなくなったらあっという間に駄目になる。かつてはたくさんの人々が参拝し、賑わっていただろうに。何だか切なくなってきた。
 熊田は嘆息し、格子の隙間や外れかけの板の隙間から中を覗き込み、一番奥に辿りついたところでライトを消した。やはり人がいる気配はない。あとは、とすぐ後ろを振り向き、小ぢんまりとした小屋に首を傾げる。物置か何かだろうか、と思ったところで、佐々木がこちらへやってきた。
「いたか?」
「いえ、いませんね。熊さんは?」
「こっちもだ。あとはこの小屋だけだ」
「なんですか? これ」
「さあ」
 首を傾げながら揃って回り込み、
「ああ」
 同時に納得の声を上げた。昔ながらのトイレだ。簡単に言うと、深い穴を掘って和式トイレの枠組みだけを嵌めたような形だ。
「ぼっとん便所か」
「懐かしいですね。田舎の祖母の家にありました」
「……さすがにここにはな」
「いたらドン引きします」
 冷ややかに言い放った佐々木に、熊田も頷いた。
「となると、だ」
「向こうにあった小屋か、下ですね」
「とりあえず小屋だな」
「了解」
 そういえば妙子はどこに隠れているのだろうと思いながら鳥居をくぐり、階段を上ると、牛頭天王の祠の後ろでじっと地蔵のように立っていた。なるほど、ここなら下からだと死角になる。二人の足音を聞いて振り向いた妙子に、熊田が小さく首を横に振ると、彼女は目に見えて残念そうな顔をした。
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