第11話

文字数 5,224文字

 下京署へ到着し、それぞれ飲み物を買って下平の案内で小会議室に籠った。
 紺野、下平、近藤が並び、テーブルを挟んで向かい側に熊田と佐々木が腰を下ろしている。
 まず報告をしたのは、熊田だった。
「さっき、北原の容体を後輩に連絡したついでに本部の状況を聞いたんだけどな、やっぱり鬼代事件の犯人に狙われたんじゃねぇかって意見が出てる。東山署と相談して、北原に護衛を付けるそうだ。ただ、なんで北原だったのかってところで詰まってるみたいだな。東山署の方にも北原が鬼代事件を担当してたことは伝わってるから、向こうはそれを踏まえて捜査を行うらしい。合同になるのは時間の問題だ。それと」
 熊田は一旦言葉を切って、紺野と下平を交互に見やった。
「犯人を追った捜査員の証言なんだが、花見小路通に抜けて角を曲がったところで、忽然と姿を消したそうだ」
 紺野と下平は、やはりなと言いたげに息をついた。
「何か、心当たりがあるようだな。俺からは以上だ」
 初動捜査は管轄の東山署の担当になる。ただ、犯人が平良である以上、逃走経路はおろか周辺の捜索をしても無駄だろう。式神がいる上に悪鬼が使える。それこそ幽霊のように姿を消せるのだ。
「では俺から。まずは、これまで判明している被疑者全員の写真を送ります」
 そう言って、紺野は携帯を取り出した。
 事件そのものが複雑だが、とにかく関わっている人間が多い。再捜査の事件で指名手配されている岡部安信(おかべやすのぶ)を加えた、被疑者全員の写真と似顔絵を三人に送った。そしてホワイトボードに相関図を描いて全ての事件の説明をし、また大戦から寮の者たちの身元調査、陰陽術と鬼の特徴、昼間に得た文献の情報、そして警察内部の協力者と再捜査中の事件のことなど、洗いざらい全てを説明した。さすがに詳細を話すと夜が明けるので、必要な情報だけに絞ったが。下平の時同様、近藤はしなかったけれど、熊田と佐々木は相関図を描いている途中で慌ててメモを取り始めた。また、下平の口からは冬馬たちに関する憶測が語られ、明が分かり次第詳細を報告しろと言った理由が分かった。
 終わるや否や、熊田と佐々木がペンを置き、困惑した顔で同時に深い溜め息をついた。一方近藤の方は、何やら腑に落ちない様子で腕を組み、じっとホワイトボードを見据えたまま口を開いた。
「とりあえず個人的なことで分かったのは、僕が渡したあの資料が、紺野さんたちが彼らを信じるきっかけになって、さらに警察内部に協力者がいる判断材料になった。だから僕は疑われてたってことだよね」
「そうだ」
 紺野が席に戻って頷いた。
「なるほど。確かに誘導してるように見えるね。タイミングもばっちり。疑われてもしょうがないか」
 そう言って納得しながらも、近藤は唇に指を添えて思案する格好を取った。
 下平が神妙な顔で尋ねた。
「紺野、大河の様子は?」
「今は少し不安定になっているようですが、宗史と晴が話を聞いていると思います。ただ、どうなったかはまだ。明に電話をしようか迷っていた時に近藤から連絡があったので」
「そうか……」
 今度は熊田がメモに目を落としたまま、難しい顔で口を開いた。
「確かに、こんなこと報告しても黙殺されるだけだな……。さっきの式神を見てる俺でさえ、この話し自体に実感が湧くかって言われると今は難しい。ただ……」
 熊田は一拍置いて、重苦しい溜め息と共に呟いた。
「やり切れねぇな……」
「ええ……。犯人が、被害者と遺族だなんて……」
 佐々木は痛々しい顔で息をついた。
「それにしても、警察内部に協力者がいるって知ってて俺たちを信用してくれたのは、光栄だな」
 気持ちを切り替えるように笑って言った熊田に、佐々木が我に返って顔を上げた。
「ああ、確かにそうですね。犯人が被害者や遺族なら、私も疑われてもいいと思うんだけど」
 自己申告に視線を上げた下平に、佐々木は苦笑いをしてさらりと口にした。
「私、高校生の時に父親を亡くしているんです。押し入り強盗でした。犯人は捕まっていません」
 何でもないことのように告げた佐々木に、紺野は目を丸くした。まるで、諦めているような言い方。年齢から逆算して、二十年以上前だ。もう無理だろうと思わせる年月が、経ってしまっている。
「さっき、紺野から聞きました」
 そう言った下平に目を丸くしたのは、佐々木と熊田だ。
「それなのに、信じていただけたんですか……」
 唖然とした佐々木に、下平はええと頷き真っ直ぐ彼女を見据えた。
「俺も、新人を何人も指導してきました。人を教育する難しさはよく分かっているつもりです。だからこそ言えます。紺野を育てた方なら間違いありません」
 二度も言われるとこっちが照れ臭い。視線を泳がせた紺野を佐々木が見やり、嬉しそうに相好を崩した。
「ありがとうございます」
 と、何故か熊田が感極まった様子でくっと声を詰まらせた。
「そう言っていただけると、あの頃の苦労が報われます……っ」
 わざとらしく目元を拭う熊田に、下平と佐々木が笑い声を上げ、紺野がバツの悪い顔をした。そう言われても仕方がない心当たりが多いせいで、何も言えない。過去の自分を殴り飛ばしたい。
「大変だったようですね」
 それはもう、と言いながら何度も頷く熊田を見て、近藤が口元をニヤつかせた。
「紺野さん、二人にどれだけ迷惑かけたの」
「今度思う存分話してやる」
 答えたのは熊田だ。先輩で感謝も尊敬もしているが、今ばかりは反旗を翻して殴りたい。紺野はわざとらしく強めの咳払いをした。
「熊さんやめてください。それより近藤、話せ」
「はいはい」
 じろりと睨んだ紺野の鋭い視線におどけるように肩を竦め、近藤はペットボトルの麦茶を喉に流し込んでから口を開いた。
「――で、それから到着した救急車に乗って病院に行ったってわけ。ほんとはすぐに紺野さんに連絡しようとしたんだけど、北原くんから伝言預かっちゃったし人は集まるしで、できなかったんだ。治療が終わってから、東山署の人たちから聴取も受けたよ」
 それぞれが思案顔で机に目を落とす。母親が営んでいる小料理屋を、この近藤が時々とはいえ手伝っていることに突っ込みたいところだが、また話が逸れるのでやめた。
「北原の動きは、まあ分かるだろうな」
「ええ……」
 紺野は顔を上げて下平の向こう側の近藤を見やった。
「じゃあ、結局北原とは話をしなかったのか」
「うん。でも、あれでしょ? 僕を疑ってたんだから、その真偽を確かめに来たんでしょ?」
「そうだろうな。メモ帳や伝言のことは聴取で言ったのか」
「言ってないよ。あと、顔は見たかって聞かれたけど、覚えてないって言った。ピアスいっぱい着けてたとは言ったけど。北原くんがわざわざ名指ししたってことは、なんかあるんだろうなと思ったし、言っても問題ないならあとから思い出したって言えるから」
「さすがだな」
「でしょ?」
 素直に褒めてやると、近藤は自慢げに口角を上げた。あんな状況だったからこそ通用する証言だ。
「あの辺りの防犯カメラはどうなってんだ?」
 尋ねた熊田に答えたのは近藤だ。
「それも確認したよ」
「したのか」
「当然でしょ。科捜研を舐めないでよ」
 思わず聞き返した紺野に、近藤はにやりと笑った。
「現場にはなかったけど、西花見小路通の中にはあった。でも、直前までフードを被ってたから顔は映ってないと思うよ。耳も隠れてたから耳介認証(じかいにんしょう)は使えない。監視役からもほとんど見えてないと思う。薄暗かったし、背中を向けてたから。ただ、花見小路通の方に逃げたから、あっちのカメラには映ってるかも。途中でフードを被りなおしてたら分かんないけど。科捜研に回って来なくても、追いかけた捜査員から証言は得られるし、どのみち合同になるなら分かるでしょ」
「じゃあ、捜査情報の報告は俺たちの担当だな」
「よろしくお願いします」
「でも紺野くん」
 佐々木が心配そうな視線を紺野に向けた。
「もし栗澤平良だって分かったら、紺野くんたちが実家に行ったのバレない? どうして報告してないのかって追及されるわよ?」
「それについては、平良だとバレないことと、母親が対応しないことを祈るのみです」
 刑事としてどうかと思うが、こればかりは手がない。紺野は両手を合わせて祈る真似をした。顔が映っている可能性は低いようだし、母親が心底辟易しているのは確かなので、それに賭けるしかない。何の解決にもなってねぇ、と熊田が呆れた顔でぼやいて、佐々木が溜め息をついた。
下平が沈黙を破った。
「近藤、凶器のことも聞かれただろ。言ったのか?」
「そうそう、それそれ」
 分かりやすく頬と口元を緩めた近藤に顔を寄せられ、下平が嫌そうな顔で仰け反った。
「霊刀っていうんだっけ? すごいよねぇ、あれ。どういう原理なの? じっくり目の前で見たいから陰陽師に会わせてよ。あと柴と紫苑って鬼にも。ぜひ研究に協力して欲しい」
「何の研究だコラ」
 冷ややかに突っ込んだのは紺野だ。近藤が下平の向こう側からひょいと顔を覗かせた。
「そんなの決まってるでしょ。体の隅々から細胞遺伝子まで調べ尽くすんだよ。ヒトとどう違うのか考えただけでもぞくぞくするよねぇ」
「悶絶するな、気持ち悪い」
 自分の体を抱きしめて一つ身震いをした近藤を、下平が珍妙な物でも見るような目で見つめ、しかし熊田と佐々木は慣れたもので、携帯で独鈷杵を調べて「へぇ、これがねぇ」と感心している。緊張感が続かない上に話がいちいち逸れる。
 紺野は深い溜め息をついて話を戻した。
「で? 説明したのか」
 近藤は同じ体勢のまま振り向いた。
「したよ。こいつ何言ってんだって顔されたけどね。でも、どうせ監視の人も見てるからごまかせないし、あんなに近くにいた僕が見てないって言ったらおかしいでしょ」
「まあ、そりゃあな」
 下平が言った。
「いきなり日本刀が現れて消えたなんて、普通は誰も信じねぇだろ。少年襲撃事件の時の防犯カメラにも、樹の霊刀は映ってなかったし。けど平良が刀を持ってなかったのは、監視役はしっかり見てるだろうから、本人たちは混乱してるだろうな」
「ええ。証拠がないので、揃って見落としたと思われるでしょうね。ただ、亀岡の事件でも日本刀が凶器の候補として上がっているので、思っている以上に早く合同捜査になるかもしれません」
「ああ、そうか。早ければ明日中にはそうなるかもしれねぇな」
 ええ、と紺野が頷くと、熊田が水のペットボトルに口をつけながら言った。
「それにしても、何で北原を襲う必要があったんだろうな。再捜査の妨害って目的は果たしてる。いくら北原が動いたといっても、再捜査じゃないことは分かっただろうし。捜査情報をこっちに流さないためってのも理由にならねぇ。ぶっちゃけ、紺野に聞かれたら話すぞ」
「私もです」
 断言した二人に、紺野は苦笑した。堂々と規定違反宣言だ。
「それに、紺野くんたちと親しかったのは私たちだけじゃないですし、北原くんだけを狙っても意味ありませんよね」
「だな。本部の一課の奴らもいるし、こいつなら夜にこっそり捜査本部に忍び込むくらいはするだろ。てことは、北原じゃないと駄目だったってことだろうが……その理由が思い付かねぇんだよなぁ」
 おかしなことを言われた気がするが、ここは我慢だ。話が逸れる。隣で笑いを堪えている下平は無視して、紺野はぐっと唇を結んだ。
「なんだか、犯人側の狙いもそうなんですけど、全体的にはっきりしないんですよねぇ……。犯罪者と事件関係者を狙うにしても、その寮の場所なんかは内通者から向こうに全部伝わってるわけでしょ? 目的の妨げになるって分かってるのなら、まず一番最初に狙うと思うんだけど……」
 熊田と佐々木が低く唸り、下平もつられるように唸った。
「やっぱ、誰か一人でも捕まえて吐かせるのが手っ取り早いか」
「ええ。そうなると、俺たちが捕まえられる可能性があるのは、協力者です」
 熊田と佐々木が顔を上げた。
「確か、指名手配されてる岡部安信(おかべやすのぶ)を探してるんだったな」
「はい。それと、奴が何故この事件に関わったのか、その理由も分からないんです。経歴に問題はないので、身辺調査をしたいんですが」
「なら、そっちは俺たちが調べよう。自由に動けるのは俺らだけだしな。情報くれ」
「すみません、助かります」
 言いながら紺野はメモ帳を捲って目的のページを開き、熊田と佐々木へ向ける。
「そうだ、紺野」
 下平が携帯を取り出しながら言った。
「その岡部の写真俺にも回せ。うちの班の奴らに、聞き込みついでに探させる。深町弥生の情報と交換だって言えば大丈夫だろ」
「いいんですか」
「構わん。実のところ、こっちは手詰まりでな。あいつら落胆気味だから、なんか他に目的があった方が張りが出る」
「分かりました。お願いします」
 熊田と佐々木がメモを書き写し、紺野が下平へ写真を送る側で、近藤がまた不可解そうに口をへの字に曲げてホワイトボードを眺めていた。
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