第16話

文字数 2,381文字

「では、こちらからは以上です。何か質問は」
 身を乗り出したのは前田だ。少し緊張の面持ちだ。
「前田です。よろしいですか」
「どうぞ」
「先程の、発見された遺体についてですが。京都と兵庫の県境ということは、やはり潜伏場所はそのどちらかだとお考えですか」
「それについては、分かりませんとしかお答えできません。現在こちらでは、式神に加え、柴と紫苑が潜伏場所を探っています。にもかかわらず、敵側の式神や鬼の気配がまったく察知できないとなると、京都以外と考えるべきでしょう。実際、楠井家は兵庫でした。ですが、京都は大阪、兵庫、福井、滋賀、奈良、三重の六県に囲まれています。潜伏場所を変えるのなら、縁もゆかりもない場所の方が発見されにくいかと」
「そうか、確かにそうですね……」
 前田たちは雅臣の行方を追っている。もし明たちが兵庫だと当たりを付けているのなら、そちら方面を探すつもりだったのだろう。前田たちが目に見えて落胆した。
「悪鬼であちこち移動できるってのが厄介だよなぁ」
 渋面を浮かべてぼやいた新井に、ああともうんとも言い難い声が漏れる。
「他には」
「明――」
 勝算は、と言いかけて、紺野はとっさに飲み込んだ。これまで、そして独鈷杵争奪で得られた情報を聞く限り、犯人側の戦力は曖昧な部分が多すぎる。聞かれても困るだろう。けれど代わりに出た質問もまた、不確定な答えしかないものだった。
「牙が介入してくる可能性は?」
 明は一拍置いた。電話越しに、困った雰囲気が伝わってくる。
「それこそ、分かりませんとしか。牙次第なので。ただ、以前、大河くんは真言のみで牙を召喚しています。今後も、もしかしたらという可能性は無きにしも非ずです。しかし……」
「しかし、何だ?」
「その……、大河くんが、一度唱えただけの真言を暗記しているとは思えないので」
 珍しく言いづらそうに言葉尻を小さくした明に、あー、と榎本を含めた紺野たちが視線を上へ向けて思い出す素振りをした。熊田と佐々木が言った。
「展望台で茂さんたちが言ってた、あれか。確かにあれはなぁ」
「早口言葉みたいで、聞き取れませんでしたね」
「ああいえ、式神は神道の神なので、真言は祝詞になります。結界などの真言とは別なんですよ」
 へぇ、と感心の声を漏らしたのは、もれなく全員だ。紺野が口を挟んだ。
「祝詞って、あの間延びした棒読みのセリフみたいなやつだよな」
「酷い言われようですね」
 朝辻神社で豊の祝詞を聞いたことはあるが、何を言っているのかさっぱり理解できなかった。唱える速度もゆっくりで、眠気を誘われた記憶がある。
 素直な感想を告げた紺野と速攻で突っ込んだ明に、下平たちから軽く笑いが起こった。
「お前たちはどうやって暗記してるんだ? あんなの一回で覚えられるのか」
「まさか。私たちは、契約後に式神から直接聞き、メモをして覚えます。霊符も同じですね」
「……普通だな」
「普通です」
 召喚したいと思った時にその都度降りてくるとか、そんな感じなのかと思っていたが、意外と現実的な暗記方法だった。
 下平が言った。
「てことは、契約しなかったら真言も霊符も分からないってことですね」
「ええ、そうなります」
「完全に牙次第か……」
 溜め息交じりのぼやきに、全員から同じく溜め息が漏れる。
 主を持たない牙は、神本来に近い力を発揮できる。ならば、彼が力を貸してくれればこちらの戦力は飛躍的に上がる。しかし、実際問題、牙にとって大河は元主の子孫で特別な存在なのだろうが、影綱本人ではない。あまり、期待しない方がいいかもしれない。
「それと、氏子の方々が情報網を使って、身元や経歴のはっきりしない者たちを調べておられます。何か分かり次第、ご報告いたします」
 戸籍を調べられねぇからな、と熊田が苦い顔で呟いた。
「分かった、っと、そうだ。明」
「はい?」
 氏子で宗一郎が言っていたことを思い出した。
「その氏子に、これまでのこと文書で報告してるんだよな」
「ええ」
「その報告書、送ってもらうことってできるか? 北原にも教えておいてやりたいんだが、病室に長い時間居座るのもな」
 あ、なるほど、と下平たちが頷いた。
「分かりました。あとで紺野さんの携帯へ送ります。ただ、何があるか分からないので印刷はしないでください。それと、くれぐれも外部に漏れないよう、取り扱いには注意してください」
「了解。頼むな」
「はい」
 紛失、あるいは何かの拍子に外部に漏れると非常に面倒なことになる。まさに極秘資料だ。北原によく言い聞かせておかなければ。
「他に何かありますか?」
 何度目かの質問に視線を巡らせると、全員が首を横に振った。
「いや、大丈夫だ」
「では、これで以上です。明日、よろしくお願いいたします。くれぐれもお気を付けください」
「ああ」
「はい」
 四人が同時に答えると、通話が切られた。
 とたん、榎本たちが一斉に長い溜め息を漏らした。脱力したように、椅子の背もたれに体を預ける。
「何だ、どうした?」
 下平が目をしばたくと、前田が顔に疲労を滲ませた。
「当主って、声だけでもあんなに圧があるもんなんですか。質問する時すげぇ緊張した」
「下平さんたち、よく普通に話せますよね」
 信じられないと言いたげに続いた牛島に、紺野たちが苦笑いする。
「彼、いくつでしたっけ」
「えーと、確か二十八だな」
「二十八」
 紺野の答えに四人が目を丸くして声を揃え、それに下平たちが声を上げて笑う。
「お前ら、そんなんじゃ賀茂さんと会ったら身動きすらできねぇぞ」
「え、賀茂家の当主は彼以上なんですか」
 どことなく嫌そうに顔を歪めた新井に、また笑い声が上がった。
「普段はまあお茶目な人なんだが、ふとした時に、威圧感というか存在感がすげぇな」
 はー、と今度は感心したような感嘆を漏らす。お茶目。ものは言いようだ。下平が「さて」と続けて話題を変えた。
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