第8話

文字数 2,769文字

 ダイニングキッチンから出て扉を閉めると、熊田たちは向かいの和室にいた。襖が全て開けられていて、八畳ほどの和室が六間、三間二列に並んでいる。縁側から見て奥の間には、押入れや床の間、違い棚、ローテーブル、立派な茶箪笥の棚には電話が置かれており、押入れにはパイプハンガーが残されている。私室や居間として使用していたようだ。
 佐々木は幾分か平常心を取り戻しているが、栄明の方はまだ顔色が悪い。何か飲み物を持ってくればよかったなと言いながら、佐々木と熊田が寄り添っている。
「大丈夫ですか?」
 紺野が声をかけると、栄明は無言で頷いた。
「すみません……情けないです……」
「何言ってるんですか、そんなことありません。あんなの誰だって驚きますよ」
 陰陽師が相手にするのはあくまでも人の魂や負の感情であって、遺体ではない。冷凍庫を覗いたら生首と目が合うなんて、驚くどころか取り乱してもおかしくない。こうして立っていられるだけでも気丈だ。
「そうですよ。あたしだって、腰を抜かしそうになりました」
「刑事っつっても、そうそうあんな遺体に出くわすわけじゃないですからね」
「俺は初めてです。分かっていてもさすがに驚いた」
「北原がいたら確実に吐いてます」
「確かに」
 佐々木、熊田、下平、最後に紺野が辛辣に言い放つと、佐々木と熊田が同時に頷き、そうなのか? と下平が首を傾げた。そんな四人に、栄明は力なく笑った。
「ありがとうございます」
 口を押さえて笑いを噛み殺す栄明に、ひとまずほっとする。熊田が下平へ言った。
「とりあえず、先に全部見てしまいましょうか」
「そうですね。こっちは一部屋だけだったんですが、そちらは」
「奥へまだ廊下が続いてました。多分、水回りだと思います。それと裏口のような扉が」
「裏口か……」
 下平は反復し、栄明を見やった。
「栄明さん。ここは全部確認されましたか」
「すみません、茶箪笥がまだ」
「では、動けるようでしたら佐々木さんと一緒に続きをお願いします。無理をしないでくださいね」
「分かりました。ありがとうございます」
「紺野、熊田さん。俺たちは残りの確認を」
「了解です」
「朱雀、一緒に頼めるか。水龍は二人についててやってくれ」
 はきはきとした指示に、二体は大きく尾を振った。
「じゃあ、行きましょう」
「はい」
 和室を出ると、廊下は左へ折れていた。朱雀の反応を見ながら、一つずつ確認していく。
 先程の六間あった和室の裏側になる。風呂場と脱衣場には、風呂蓋や洗面器、洗濯機がそのまま残されていた。隣はトイレ。さらに隣が六畳、突き当りに八畳の和室があった。一番初めに紺野と下平が見た部屋と隣り合っているらしい。押入れや文机、布団、文房具、墨や硯、和紙が残されていたが、他には文庫本一冊残されていなかった。何の変哲もない、ごく普通の部屋と水回り。
 そして最後は、熊田いわく裏口のような扉だ。
 扉の向こうは、外だった。足元には階段代わりのコンクリートブロックが一つ置かれており、安っぽいサンダルが砂埃を被っている。そして。
「倉庫ですね」
 紺野は扉を大きく開けて壁際に寄り、林の中へ懐中電灯を外へ照らす。同じように熊田が懐中電灯を向け、下平と共に視線を投げた。真っ暗な林の中に、小ぢんまりとした木造の倉庫が建っている。
「あとで行ってみよう」
 はい、と下平に返事をし、ひとまず扉を閉めて佐々木と栄明の元へ戻る。
 和室では、佐々木と栄明が難しい顔でぐるりと室内を見回しており、水龍が二人の周りをゆったりと泳いでいた。動いて気が紛れたようで、栄明は大分顔色が戻っている。
「戻りました」
 紺野が声をかけると二人はこちらを振り向き、不思議そうな顔を見合わせた。
「どうしました?」
「それが……大したことじゃないんだけど……」
 言い淀んだ佐々木の代わりに、栄明が言った。
「テレビって、どこかにありました?」
 予想外の質問に思わずきょとんとし、紺野たちは和室をぐるりと見渡した。
「言われてみれば、ないですね」
「ああ。最初見た部屋にもなかったな」
「ダイニングキッチンにもありませんでした」
「持って行ったんじゃないですか?」
 そう考えるのが妥当だと思うが。紺野が意見すると、佐々木が腑に落ちないと言いたげに一つ唸った。
「そうだと思うんだけど、でも、キッチン家電は全部そのままだったから、テレビだけ持って行くっていうのも。テレビ台もないし」
「そういや、洗濯機も置きっ放しだったな」
「テレビっ子か?」
 熊田に続いて、下平が冗談だか本気だか分からない意見を口にした。ちらりと白けた目で盗み見た横顔は真剣そのもの。本気なのか。
 無碍に否定できないが、肯定するのもいかがなものか。紺野はスルーを決め込んだ。
「元々なかったとも考えられますよ。今どき、パソコンや携帯で見るからテレビを持ってないって奴が増えてるらしいですし。そんなに珍しくもないんじゃないですか?」
 実際、友人の後輩はテレビを持っていないと聞いたことがある。映画好きの友人は「小せぇ画面じゃあの興奮と迫力は伝わらねぇだろ!」と憤慨していたが。
「そうか、それも有り得るわよね。やだわ、考え方が古くて」
 佐々木は自虐的に言って苦笑した。
「あの、それともう一つ。書物や術を行った形跡はありましたか。例えば、祭壇のような物は」
「あ、そうか」
 蘇生術だ。
「記録が残っていれば、その場で処分するように言われているんです」
「処分するんですか?」
 これまで存在しなかった新たな術だ。実際に行わないにせよ、研究材料としては貴重なのでは。紺野が問い返すと、栄明はええと強く頷いた。
「この世の理を乱す術を残すわけにはいきません。ましてや、人を犠牲にするような術ならば、なおさらです」
 わずかに憤りが見えるその目に、紺野たちはわずかに目を細めた。栄明の言う通りだ。
 一度は肉体を失ったはずの者が蘇っている。それを初めて聞いた時、脳裏に朱音の姿が浮かんだ。けれど、すぐに違うと思った。誰かを犠牲にして蘇っても、朱音は絶対に喜ばない。彼女はそういう人だ。それに、魂は朱音のものでも、体は他人のものだ。体と魂。両方あってこそ、「紺野朱音」という人間なのだ。
 きっと、栄明たちも考えただろう。栄明たちだけではない。佐々木も、樹も、怜司も、茂も、そして大河も。死者を蘇生できると知れば、大切な人を亡くした者はきっと誰でも望んでしまう。当たり前のことだ。だからこそ、明と宗一郎は、その場で処分しろと栄明に指示を出した。被害者遺族としてではなく、人として、陰陽師としての立場や使命を優先した。
 では、昴や健人は?
 これほどの事件を起こすほどの愛情がありながら、あえて千代や鬼を蘇生した。彼らも、体と魂が揃ってこそと思ったのだろうか。それとも、他に何か理由があるのだろうか。

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