第4話

文字数 3,384文字

「鑑識」
「あ、はい」
 加賀谷が短く促すと、(もり)が返事をして立ち上がった。鬼代神社で紺野と北原が初めに会った鑑識員だ。森は白い手袋を嵌めながら進み出た。封筒を受け取り、ウエストポーチからハサミを取り出して慎重に刃を入れる。取り出されたのは、一枚のDVDだ。パソコンにセットし、操作する。
 スクリーンに映し出されたのは、夜の画像だ。夜間撮影に強いタイプらしく、ドライブレコーダーで録画されたものだとすぐに見て取れた。そして、画面の右下に表示された日時を見て誰もが目を丸くし、息を吐くような驚きの声を漏らした。鬼代神社宮司・矢崎徹が殺害された日時だ。
 ヘッドライトに照らされた薄暗い光景は、どこかの田舎道。交差点に差し掛かった場所で信号待ちをしているようで、目の前には片側二車線の道路が横切り、向こう側に青信号が点灯している。背景に広がる闇は山だろう、真っ暗だ。二車線道路の左側にヘッドライトは見えず、右側には一台分の車のヘッドライトが確認できる。
「再生します」
 森が緊張の面持ちで宣言し、エンターキーを叩いた。動き出した映像に、紺野はごくりと喉を鳴らす。
 車はすぐに動き出し、右折した。夜間だからだろうか、やけに安全運転だ。画面はゆっくりと動き、信号待ちをしている車が近付きながら流れていく。
 森が映像を止めた。
 捜査員全員が一斉に身を乗り出し、目を細めたり見開いたりして画面を凝視する。対向車線の車の運転席に、男が一人、映っている。
 ――(あきら)
 紺野は目を丸くして口の中で呟いた。夜間撮影に強いとはいえはっきりとではないし、着物でなく洋服だが、似ている。
 まさか、有り得ない。
 一瞬、熊田(くまだ)佐々木(ささき)がこちらを振り向きかけて踏みとどまった。どういうことだと紺野に聞くのは不自然だ。二人の背中が、もどかしそうに見える。
 紺野は頭をもたげた疑心を抑えるように、静かに息を吐き出した。ゆっくりと目を伏せ、唇を結んで瞼を上げる。
 最近の技術がどの程度なのか知らない。だが、これは合成だ。明ではない。
「待ってください」
 声を上げたのは、右京署の捜査員の一人だ。
「土御門明の自宅周辺の防犯カメラは徹底的に調べました。あの日、奴が自宅を出た形跡はありません。現場までの道のりの防犯カメラも同じです。時間が時間ですし、車の数も多くはなかった。見落とすはずがありません」
 身振り手振りを交え、必死の形相で訴える彼に、数名の捜査員たちが大きく頷いた。
 事件発生当初、土御門家周辺と鬼代神社までの経路にある防犯カメラは、広範囲に渡って調べられた。捜査員が訴えるように、深夜だったため映っている車の数はそう多くなかった。ナンバーが読み取れなかったため車種を特定し、陸運支局に問い合わせて所有者を全員割り出し、一人一人聞き込みを行ってアリバイを調べ、ドライブレコーダーがあれば映像も提出してもらった。そこに不審な車両は発見されず、全員アリバイも立証され、土御門家所有の車はなかったのだ。
 紺野は唇に手をあてがい、思案する。
 遺失物として届けられたのは、おそらく意図的だ。バイク便や郵送などで人を介せば必ず足が付く。拾得者の親子がどこで拾ったのかは分からないが、宛名が警察署となれば必ず誰か届けるだろう。だが、これが合成、かつ犯人たちの仕業だったとしたら、何故今だった。明を犯人に仕立てるつもりならもっと早く――いや。
「だが、この映像が存在することは事実だ」
 刺すような鋭い目付きで一蹴した加賀谷に、紺野は我に返り捜査員たちが押し黙った。加賀谷が森を見やる。
「封筒と共に映像の解析を。撮影された場所をすぐに特定しろ」
「はい」
 森がパソコンからディスクを取り出し、加賀谷は改めて捜査員たちを見渡して言った。
「土御門明を任意で引っ張る。徹底的に取り調べろ」
「はい!」
 捜査員たちが気合を入れて返事をした。釈然としない者もいるだろうが、事実は事実として受け入れなければならない。
 一方、紺野はわずかに目を細めた。さすがにこの映像だけで逮捕状は請求できない。任意なら拒否できるが、すれば余計に嫌疑が深まるのは明なら分かる。必ず――と、ここまで考えて紺野は細めた目を白けさせた。嫌疑がどうとか以前に、面白がって応じる。絶対だ、断言できる。だがあくまでも任意で、明が犯人だと断定するには、あの映像は決定打にならない。任意同行に拘束力はないし、すぐに帰される。
 このタイミングに、曖昧な証拠。となると、犯人たちの目的はおそらく。
「戻りました」
 そう言った声と共に扉を開いたのは、封筒を届けた拾得者に話を聞きに行った二人だ。一人の捜査員が、持っていたメモ帳を手にすぐに報告した。
「拾得者は近所に住む二十代の母親と四歳の子供です。拾った時間は今から三十分ほど前。ここから徒歩十分ほどの場所にある公園に遊びに行ったところ、遊具の上に置かれていたのを発見。右京署の名前が書かれていたので、何か重要な物かもしれないと思って届けたそうです」
 徒歩十分でも、子供がいれば時間がかかる。遺失物係の対応などを入れれば妥当な時間だ。加賀谷たち指揮陣が顔を寄せ合って話し合いに入った。
 封筒は濡れているように見えなかった。となると雨が止んだ明け方以降。遊具の上に置かれていたのなら、タオルなどでしっかり水気を拭き取ったはずだ。しかし、犬神事件の前例もある。公園に防犯カメラがあったとしても、おそらく映っていないだろう。犬神事件と同じ手段か、あるいは壊されているかのどちらかだ。
 やがて、加賀谷がぐるりと視線を巡らせた。
「封筒は濡れていなかった。明け方以降に置かれた可能性が高い。各署員から数名はこちらの捜査に、数名は事件発生当初に押収した映像の再確認。残りの者は各々の捜査に当たるように。三谷(みたに)相原(あいはら)岡上(おかうえ)持田(もちだ)、お前たちは土御門明に任意同行をかけろ」
 紺野と北原を監視していた四人だ。了解です、と声を揃えて答える。
「それと紺野、沢村。お前たちは公園の捜査に回れ」
「了解しました」
 名指しだ。この扱いにももう慣れてきたな、と紺野は沢村と声を揃えて平然と答えた。
「以上だ。行ってくれ」
 加賀谷の言葉に押されるように、捜査員たちが一斉に腰を上げて動き出す。そんな中、槇が一人携帯を持って部屋の隅へ移動した。
「沢村」
 加賀谷から声がかかり、沢村が席から離れた。どうせ紺野から目を離すなとか、何か不審な動きがあれば報告しろとか念を押すのだろう。
 紺野は深々と息をつきながら腰を上げた。
「ほんと、この事件どうなってんだ」
「謎ばっかりですねぇ」
 わざとらしい会話をしながら、熊田と佐々木は振り向きながら立ち上がった。
「下平さんに連絡する。お前は動くなよ」
「はい、お願いします」
 声を潜めて短く打ち合わせ、熊田と佐々木は担当を振り分けている右京署の係長の元へ向かった。
 仕方がないとはいえ、やはり行動を制限されるのは窮屈だ。ただ、監視役が沢村で良かったとも思う。思っていた以上に話しやすいし、何よりも冷静だ。あんなにも落ち着いた捜査ができたのは三年ぶりだ。
「監理官」
 不意に、槇が声を張り上げた。ざわめきが止んで、視線が集中する。
「うちの一課からの報告で、本部に北原の彼女が来ているそうです」
 再びざわめきが戻り、加賀谷が眉根を寄せた。
「本人で間違いないのか」
「はい、特徴が一致しています。名前は白鳥莉子(しらとりりこ)、二十三歳。電話が繋がらないところにニュースを見たらしく、自宅へ行ってもいないので心配で直接本部へ来たと言っています」
「ではすぐに聴取へ」
「あっ、いえそれが……」
 槇は慌てて加賀谷の言葉を遮り、一瞬言い淀んでから告げた。
「話を聞きたいので待つように伝えてもらったところ、察したようで、紺野に会わせて欲しいと取り乱しているそうです」
 何でだ、と思うや否や、刺さるような視線が向けられた。この視線はあの日から何度目だろう。
「紺野に?」
「はい。北原から聞いていたらしいです。どうしますか」
 加賀谷がちらりと紺野を見やり、逡巡した。
「分かった。紺野、行って来い。槇も同席しろ」
「はい」
「了解です」
 妥当な判断だ。北原が話しているのなら、他の刑事だけよりも紺野がいた方が落ち着いて話をしてくれると思ったのだろう。
 紺野と沢村と槇は、連れ立って捜査本部をあとにした。
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