第10話

文字数 2,827文字

 あの日は、タイミングが良かったのか悪かったのか。
 橘家で犬神と式神の両方に遭遇した後、近藤(こんどう)から渡された資料の隠蔽に陰陽師の連中を選んだ。賀茂宗一郎に連絡を取ると、土御門家へ来るように告げられた。
 初めて訪れた時と同じ部屋に通されると、明らかに人ではない者が五人、下座の襖の前に整然と並んで正座していた。右近という式神はいなかったが、彼を見た後だったせいか、彼らも式神だとすぐに分かった。
 式神を紹介され、すぐに報告を促された。まず、詳細は省き、とにかく処分して欲しいと、近藤に渡された例のファイルを渡した後、少女誘拐殺人事件の警察発表が実は嘘であることと、橘家での出来事、鬼代事件の詳細を事細かに説明した。
『ご報告、ありがとうございます。感謝します。感謝ついでに調べていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか』
 宗一郎は遠慮もなく、滋賀県内の山中で起こった、男女四名が意識不明で発見された事件についての詳細が知りたいと言った。彼らの聴取があればなお助かる、と。管轄外だから時間がかかると念を押した後、引き受けた。
 その後、土御門明から今朝近所の公園で起こったことを聞き、その際に刀倉影正が鬼に殺害されたと報告を受けた。しかも彼の遺体が行方不明だということも。孫の大河は精神的なショックが大きく、術で眠らせていると言った。
 さらに続けて、彼らはすべての情報から鬼代事件と公園の鬼が同一だと断定し、知っておいた方がいいだろうと、悪鬼やら浄化やら、陰陽師が使う用語を簡単に一通り教えられた。
 土御門家を辞し、本部へと戻るまでの間、珍しく北原は口を閉ざしたまま何かを考え込んでいた。
 翌日、大河が山口へ帰った日の夜。紺野の元へ明から連絡が入った。
 何故、橘家へ行ったのかと聞かれた。極秘に捜査資料をコピーしたことを知られたくはなかったが、仕方がない。近藤のことを含め説明すると明は何やら思案し、実はと切り出した。
『調べていただきたいことがありまして。例の犬神の件なんですが、彼女に霊感があったかどうかということと、もう一つ、自宅の外壁に貼られていたという札が見たいんです。写真を携帯に送っていただけませんか』
 何だか主導権が向こうにあるようで少々複雑な気分にはなったが、何せ専門分野が違う。餅は餅屋。オカルトはオカルトの専門家に任せるのが一番だ。それと、と明は言った。
『影正さんの遺体ですが、深夜、柴と紫苑が寮へ運んできました』
 鬼は人を食うと聞いた。どういうことだ、と尋ねると、明は一言「分かりません」と言った。陰陽師とは言え、鬼の思考は読めないか。
 さらに翌日、北原を連れて再び橘家を訪れると、有給を消化中だという夫が対応してくれた。
 どんな理由を付けて札の撮影に漕ぎつけようかと思っていると、北原が機転を利かせた。
『実は先日、お札販売詐欺という事件が発生しまして。こちらのお札の写真を撮らせていただけませんか』
 少々苦しい架空事件ではあるが、今時何をどう利用した詐欺が起こってもおかしくない時代になってきている。夫は驚いた顔をしつつ撮影させてくれた。その際、雑談のふりをして妻に霊感があるという話を聞いたことがないか尋ねると、夫は逡巡し、首を振った。
 できるだけ取りこぼさないように写真に収め、「妻は霊感なし」との報告と一緒にその場で明の携帯へ送った。その後、撮らせてくれたお礼にと、札を剥がす手伝いをした。
『やっぱり、沖縄へ引っ越すことになりました。妻は向こうの両親が先に連れて行きます。私は会社の引き継ぎがありますので、一カ月遅れで。刑事さんたちには本当に感謝しています。通報されていたらと考えると、ほんとに……』
 札を剥がしながら目元を拭う夫は、それでもどこかすっきりしているように見えた。
 夫は、犬神のことを知らない。大量の札については、娘の死によって精神的に不安定になった妻が、心の拠り所として購入したと思っている。飼い犬についても、単純に逃げ出したと考えているようだ。娘の死と妻の変貌。これ以上、彼に重荷を背負わせる必要はない。知らない方がいいこともある。紺野と北原は、示し合わせたわけでもなく、自然と口をつぐんだ。
 夫の話を聞きながら黙々と手を動かしていると、携帯が震えた。明からだった。
『写真を拝見しました。ありがとうございました。それで、新たに調べていただきたいことが出てきまして。母親の、携帯やパソコンなどの通信履歴が知りたいんです。それと、警察が被害者の身元を割り出した時から、彼女が夜中に外出した時間帯までの、周辺の防犯カメラの映像を――申し訳ありません、こちらも推測の域を出なくて。何か分かり次第お知らせしますので。よろしくお願いします』
 全面的に協力すると言ったとたん、次から次に調べろだ。警察を何だと思っている。だがここは我慢だと自分に言い聞かせ、通信記録と防犯カメラは時間がかかると伝え、承諾した。
『捜査本部から通信履歴等も提出していただくようにと指示が出たので、ご協力いただけますか』
 と頼むと、夫は「ええもちろん」と言って調べさせてくれた。携帯の通信履歴からは特にこれといって何も出なかったが、パソコンのメール履歴に、複数のお札販売サイトからの確認メールが残っていた。外壁の札を購入したサイトだろう。固定電話は電話会社から取り寄せになると言われ、紺野は送られてきたらここへ連絡をと名刺を渡した。すぐにそのことを明にメールで知らせた。
 翌日、聞き込みの合間に取った休憩中に明から連絡が入った。
 まず、反魂という死人を生き返らせる術が編み出されていること。漫画や小説じゃあるまいし冗談だろ、と思ったが、実際いるはずのない鬼が目撃されている以上、信じるしかない。
 それに加えて写真から明たちが断定したのは、陰陽師が関わっており、さらに警察関係者が関わっている可能性があるということ。思わず「ふざけんな」と叫んでしまったが、明は冷静にそう判断するに至った理由を説明した。
 見事に辻褄が合っていた。
 紺野が盛大に溜め息をつく向こう側で、明は言った。
『鬼代事件を担当している以上、紺野さんたちも十分気を付けてください』
 それと、と明は続けた。
『刀倉大河くんですが、明日、京都へ戻ってきますよ』
 漏れ聞こえる明の声に、北原が紺野から携帯を受け取り言った。
『俺たちがもっと早く信じて鬼代神社の報告をしていれば、防げていたかもしれない。申し訳ありませんでしたと、伝えてください』
 承りました、と言って明は通話を切った。
 あの日、土御門家からの帰り珍しく考え込んでいるなと思ったらそんなことを考えていたのか。祖父を鬼に殺害された彼の哀しみは如何程であろう。しかも残忍な殺され方を、高校生が目の前で――。
 くそっ、と紺野は悪態をついた。
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