第2話

文字数 3,000文字

 敵の狙いは、結界の破壊と発動の阻止。言い換えれば、伊吹山と各神社、そして宗一郎と明が狙いだ。ゆえに、宇奈多理坐高御魂神社をはじめ、施設内での祈祷は不可。よって選んだのは、第一次大極殿と大極門の間の広場、朝庭(ちょうてい)と呼ばれる場所だ。朱雀門と大極門の間にある中央区朝堂院と呼ばれる広場でもいいのだが、何せ線路が近い。朱雀門が閉門しても、あの距離と高さでは電車から悪鬼を視認されてしまう可能性がある。
 片や朝庭は線路から距離があり、大極殿と大極門に挟まれ、朱塗りの柵で囲まれているため、陽が落ちれば周囲からは比較的見えづらい。とはいえ、結局どこであっても施設に影響があっては困るので大極殿に結界は張るが、尚の実力次第でもある。
 宗一郎と明は、宇奈多理坐高御魂神社を出て舗装された通路を進み、みやと通りを渡る。やはり爽快感や解放感はあるけれど、今の状況ではもどかしい気持ちの方が勝ってしまう。
 少々うんざり気味で、宗一郎がぼやいた。
「自転車を借りておけばよかったな」
 神社から朝庭までは、徒歩で二十分ほどかかる。みやと通りまで車で移動すれば早いのだが、それだと一旦敷地を出なければならないし、そもそも現場近くに車を停めておくのは不安しかない。
「この格好で自転車ですか。いいですね」
「だろう? 写真の一枚でも撮っておけば、いい思い出になった」
「二人乗りでもします?」
「お前が運転してくれるのか?」
「仰せのままに」
 宗史たちが聞けば呆れるであろう緊張感のない会話。朝庭とみやと通りの間には、さらに二本の遊歩道が設けられている。その道を渡った先に、朱塗りの柵が一部途切れている場所がある。敷地が広大なため、こういった場所が数カ所ほど設けられているのだ。かつては回廊だったらしく、後々はこちらも復元されるらしい。
 朝庭へ入ると、砂利が敷き詰められた敷地の中央に井桁(いげた)が組まれ、すでに火が焚かれていた。井桁とは木を「井」の形に組んだもので、火を焚く際はそれを何段も積み重ねたものを使用する。祭事やキャンプファイヤーなどでよく見るあれだ。四方は一メートルほどだが、高さはあまりない。白い煙が上がり、隙間から炎がはみ出し、真っ赤に燃え盛っている。
 そこから少し離れた場所に、炎を見つめる一人の男の背中がある。
 等間隔にベンチが設けられたスペースとコンクリートの歩道を横切り、
「尚」
 明が声を張ると、土御門尚が一つにまとめた長い黒髪を揺らして振り向いた。黒のパンツに白のカットソー、スニーカーというシンプルな恰好は、動きやすさと汚れることを想定した上でのことだろう。
 気の強そうな切れ長の目で二人を捉えるなり、尚は両手を腰に当てた。
「ちょっとぉ、人に重労働させておいてのんきに歩いて来るんじゃないわよ」
 開口一番愚痴を吐かれ、明は苦笑した。
 荷物が多いので錫杖は事前に神社で保管されていたが、井桁に使用する木などは一番近いみやと通りから今日運び込み、セッティングする段取りが付いていた。つまり、宗一郎と明が仲良くうどんをすすっている頃、尚は労働中だったわけだ。ちなみに、夕飯がうどんだったのは決してケチったわけではなく、腹いっぱいだと眠く――いや、集中力が落ちるからだ。
「ご苦労だった、尚。久しぶりだな」
 言いながら目の前で足を止めた宗一郎に、尚がにっこり笑った。
「久しぶり、おじさま。やっぱり狩衣なのね」
束帯(そくたい)は動きにくいからな」
 束帯は正装で、身近な物で言えば雛人形のお内裏様が着ているのがそれだ。あれこれ重ね着し、(きょ)と呼ばれる背中部分が床に着くほど長いので、非常に動きにくい。一方狩衣は、ドラマや映画で貴族や陰陽師が着ている、要は普段着だ。宮中での着用は禁止となっていたが、今は神職の常装として用いられている。祈祷をする時はいつもこの格好なので、着慣れているというのも理由の一つだ。
 明は狩衣や袴に重ねる(ひとえ)まで白で揃え、立烏帽子(たてえぼし)だけが黒。反対に宗一郎は上から下まで全身真っ黒という出で立ちだ。唯一、草履を履いている足元に肌色が見えるくらい。浅沓(あさぐつ)でないのは、やはり何かあった時に動きにくいからだ。
 視線を下から上へと動かし、尚はふふと笑った。
「ここでその格好だと、タイムスリップしたみたいねぇ」
 確かに、言われてみればそうかもしれない。つられるように「そうだな」と笑って、宗一郎と明は井桁へ視線を投げた。
 地面には井桁を中心に巨大な五芒星が描かれ、五つの頂点は伊吹山と各神社の方向を向いている。さらにその頂点に五本の錫杖が地面に刺さり、井桁を挟む形で座布団が置かれたゴザが敷かれ、側には護摩木が積まれ、さらにさらに、水のペットボトルが二本、座布団の側に置かれている。この暑さだ。気を使ってくれたのだろう。
 本来は護摩壇を使用するのだが、さすがにここまで運んで設置するには大きい上に重すぎる。そのため、この形になった。他には、少し離れた場所に膨らんだ土嚢袋が三つとスコップ、長いロープ、消火器が三本。地面に直接火が触れるので、後片付けの道具だろう。結果がどうなろうと、後片付けはしなければならない。またロープは、五芒星を描く際に使用したと思われる。
「どう?」
 窺いながらも得意げな笑みを浮かべた尚に、宗一郎はふむと一つ唸った。
「見事だ。出入り口は」
「みやと通り以外は全部塞いだわ。でもいいの? 悪鬼はどうしようもないけど、煙もあの距離だと見えると思うけど」
「設備点検や特別神事という理由で閉鎖しているんだ。道路まではさすがにな。だが、ホームページにも告知はしてある。問題ない。で、あの座布団はどうした?」
「ああ、あれ? ゴザがあっても、地面に直接座ると痛いだろうって、宮司さんが貸してくれたのよ」
「そうか。では、有難く使わせていただこう」
「そうして。ところで」
 怪訝な顔を向けられ、宗一郎と明は振り向いた。
「あの黒服の人たちはどこの誰なの? 手伝ってくれたのはいいんだけど、怖いのよあの人たち。何を聞いてもお答えできませんって、怪しいにも程があるわ。せめて名前くらい教えてくれてもいいのに。ていうか無表情で黙々とかつ淡々と作業する姿が怖い! イケメンが台無しよ!」
 おそらく入口にいた二人組だろう。尚が怖がるなんて珍しい。イケメンはともかく、よほど寡黙かつ従順な人物のようだ。恐怖を顔に滲ませてまくしたてる尚に、宗一郎と明は短く笑った。
「お前が知る必要はないよ。だが、信用できることは保証する」
 笑いながら一蹴され、尚はむっと唇を尖らせた。不満そうな眼差しでじっと宗一郎を睨み、やがて諦めたように息をつく。
「しょうがないわね。おじさまがそう言うなら、これ以上聞かないでおくわ。で? 大極殿に結界張るのよね」
「ああ。頼む」
「承知致しました。ほんっと、人使いが荒いったら」
「尚」
 しかめ面でぶつぶつ言う尚に、明が声をかけた。
「念のために、これを」
 そう言って合わせから取り出した一枚の霊符に目を落とし、尚は眉間にしわを寄せた。ふいと視線を上げ、眉尻を下げる。
「……大丈夫なの?」
「ああ」
 微笑みと共に返された端的な答えに目を伏せ、そう、とひと言呟く。
「あんまり無理するんじゃないわよ」
 霊符をひらりと振り、ありがと、と付け加えて大極殿へ身を翻す。尚は、明より一つ年下だ。性格もあるのだろうが、この状況であの落ち着きようは頭が下がる。
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