第13話

文字数 3,643文字

「お前たち、喧嘩はよくないぞ」
 会合時間五分前。華に出迎えられた宗一郎は、リビングに顔を見せるや否や真顔でそう言った。背後には、何やら荷物を抱えた右近と左近。さらに後ろには、鉢合わせしたらしい、紺野たちの姿がある。
 いつもなら昼食後のまったりとした空気が流れているはずのリビングは、惨憺たる光景が広がっていた。満身創痍で晴や樹、怜司、茂はソファに沈み、弘貴は床に転がり、比較的軽症な春平や美琴、香苗は自席でぐったりだ。そして大河はといえば、縁側でうつぶせに倒れ込んだ瀕死の志季の隣で寝転がっている。
 そんな様子を、うつらうつらとした藍と蓮を抱えた柴と紫苑が、ソファから涼しい顔で眺めている。夏也はキッチンでお茶の支度中だ。
「喧嘩じゃありませんよ」
 私服に着替え、無傷の宗史が苦笑いで庭を振り向いた。宗一郎は小首を傾げながら、縁側へ向かう。ぞろぞろと入ってきた刑事組に、今にも死にそうな挨拶が飛んだ。何ごとかと引き気味だ。来るなり申し訳ないと思うが、体が動かない。
 宗史が左近から持っていた荷物を差し出され、少し意外な顔をして受け取った。また右近の方は、荷物をソファの側に置き、縁側へと向かう。
「さて皆、起きようか。ていうか、起きられる?」
 苦笑まじりの茂の問いに、「はぁい」とまったく覇気のない返事をしてのっそりと体を起こす。とたん、あちこちから男性陣の悲鳴が上がった。華と夏也がキッチンに入り、腰を浮かせた香苗を美琴が止めた。あんた馬鹿なの、大人しくしてなさいよ、とぶっきらぼうに告げてキッチンへ入る。
 大河は長い息を吐きながら、志季の横でのっそりと体を起こした。手足といわず顔も傷と絆創膏だらけで、しかもヘマをしたせいで足首をねんざした。ずきりと走った痛みに、うっと息を詰めて顔を歪ませる。
 すぐ側で、宗一郎たちが足を止めて庭を見渡し、目をしばたいた。
「何だあれ」
「もしかして、作ったのか?」
 驚きの声を上げたのは、紺野と下平だ。熊田と佐々木だろう、残りの二人はぽかんとした顔で庭を見つめている。
 庭――正確には離れの庭だが、いくつもの裂けた木がランダムに地面に植わり、周りには木屑や葉をつけたままの枝が転がっている。かなり雑だが、ちょっとした森のようだ。
 要は、尖鋭の術で地面に開けられた穴と、倒された桜の木と竹の間仕切りを利用して、障害物を作ったのだ。できるだけ形と高さが残っている桜の幹を穴に埋めることで視界と行く手を遮り、残りの木屑や枝を周囲に転がして足場を悪くしてある。しかも、使わなかった穴はそのままにしてあるため、目の前と足元の両方に注意しなければいけない。どうしても注意力が散漫になる。
 目の前に注意を払えば足を取られ、足元に注意を払えば埋めた幹に激突する。いつもの訓練と並行しつつ、全員が一度には使えないので、紫苑を相手に順繰りに手合わせをすることにした。その結果がこれだ。ちなみに大河のねんざは、転がした木屑を踏んでバランスを崩したためだ。足首が綺麗に四十五度に曲がった気がする。
 また、次々と増殖する怪我人の治癒は当然志季の担当で、しかし治しても治しても新たな傷をこさえてくる。お前らいい加減にしろよ! とぶち切れながらも治癒してくれたが、終いには集中力が切れてダウンした。
 春平は宿題をしており途中参加、華と夏也は昼食の支度があったため途中退場したため、大した怪我はない。美琴と香苗の怪我が軽傷なのは、志季が「傷跡が残ったらどうすんだよ」とフェミニストっぷりを披露したためだ。ただ、最後の最後で香苗がねんざをした頃にはすっかりしおれており、治癒できないまま現在に至る。
「誰の発案だ?」
 振り返った宗一郎が問うや否や、ざっと音がしそうなくらい一斉に樹へ指が向けられた。その樹も体中傷だらけだ。
 責任はお前にあるといいたげな態度に、樹はソファで唇を尖らせた。
「だって、ただ片付けるなんて悔しいでしょ。いっそ利用してやった方がいいじゃない。それに、いつも平坦で開けた場所で戦うとは限らない。皆も賛成してくれたし、すっごい楽しんでたよ?」
 皆酷い、と膨れ面でぼやき腰を上げる。
「なるほど。さすがだ」
 宗一郎が称賛を口にすると、樹はぱっと顔を明るくし、
「ほらぁ!」
 としたり顔で皆を見渡した。
「一番楽しんでたのはお前だろ。ところで宗一郎さん、右近と左近に治癒を頼めますか。香苗が足をねんざしてるんです。それと大河がゾンビみたいで見ていられません」
 自席に座りながらさっさと話題を変えた怜司に樹が再び膨れ面をし、大河に視線が集中した。ただ一人、右近だけは意にも介さず足早に香苗の元へ向かう。
 右近は香苗の椅子の背もたれを掴んでひょいと持ち上げ、後ろへ引いた。
「香苗、見せろ」
「あっ、はいっ」
 香苗が座面の上で向きを変えると、右近が膝をついた。七分丈のパンツから見えている足首は、少しだけ腫れている。
「気持ちは分かるが、あまり無理をするな」
「はい……すみません」
 少しの苛立ちを含んだ右近の声。心配ゆえのものだ。
 一方、両腕と左足だけで床を這い、ソファへと移動していた大河は動きを止め、顔を上げた。立ち上がろうとしても、痛みで力が入らないのだ。どんどん熱と痛みが増している気がする。
 何やってんだという宗一郎たちの視線にへらっと笑うと、紺野が気付いた。
「おい、足首すげぇ腫れてんじゃねぇか。大丈夫か?」
 めくれ上がったジャージの裾から見える足首を見て、痛々しそうな顔でしゃがみ込む。紺野さん優しい、と大河は込み上げてくる涙を飲み込んで首を横に振った。だよな、と不憫な目を向けられた。
「アイデアはいいが、椿がいないんだ、無理をするな。左近」
 さらりと嫌味を言われた宗史はバツが悪そうに肩を竦め、左近は大河の側にしゃがみ込んだ。
「またずいぶんと酷いな。痛むぞ」
「うん。さっきまで保冷剤で冷やしてたんだけど、すぐに溶けちゃって」
「この気温だからな」
 大河は、できるだけ右足を動かさないように注意して体を反転させる。まるで足だけ借りものみたいに力が入らない。
「他には?」
 リビングを見渡しながら尋ねると、大丈夫でーすと答えが返ってきた。宗一郎は息をつき、下平たちを見やる。
「申し訳ありません。お越し早々このような醜態を」
 容赦ない宗一郎の表現に、思わず皆から苦笑いが漏れた。
「ああいえ、構いませんよ」
 下平が苦笑すると、しゃがんで治癒を眺めていた紺野が腰を上げた。
「警察学校の訓練も厳しかったですけど、こっちも相当ですね」
 思い出したのか、紺野が顔をしかめると下平たちは揃って深く頷いた。どんな訓練をするんだろう、と少し興味をそそられながら、大河は立てた左足の膝に額をくっつけて痛みに耐える。
 樹たちと比べて、一番傷が多いのは大河だ。一点集中は得意だが、あちこちに注意を払うと散漫になる上に、体術そのものが未熟なためだ。いくら強くても怪我をする時はする。けれど如実に程度に差が出る。
 いつも治癒は椿にしてもらっていた。怪我しても治してもらえばいいやなどと思っていたわけではないけれど、どれだけ頼っていたのかよく分かる。もっと、強くならなければ。
 やっぱり樹たちの手合わせを録画しよう、と大河が痛みから気を逸らすために思考を巡らせている間に、会合の準備は着々と進む。
 警察に張り付かれている明と陽は、ビデオ通話での参加らしい。いつものソファの位置が空くので、熊田と佐々木が収まった。ダイニングテーブルの方は、昴の席が空いているので一つずつカウンター側へずれて、茂の席に紺野が、樹の隣へ移動させた大河の椅子に下平が腰を落ち着かせた。ダイニングテーブルとローテーブルを、間に庭への動線を挟んでぐるりと囲む形だ。
 そして、すっかり夢の中へ旅立ってしまった双子を、柴と紫苑が和室へ寝かせた。庭の改造(といっても過言ではない)をずっと手伝っていたので疲れたのだろう。またずいぶん懐いてんな、と紺野が驚き、可愛いと佐々木が顔を緩ませていた。
 また疲れ切った志季は、立ってるのもしんどい、と言って晴の足元に胡坐をかいた。左近が情けないと言わんばかりに鼻で笑い、二柱の間に火花が散った。他の者は定位置だ。
 続々と席につく中、各々自己紹介や労いを済ませる。宗史と美琴へは心配と安堵の声がかけられ、今日何度目か分からない謝罪と礼を口にした。
 そんな中、面目ない顔をした紺野が、麦茶を運んできた美琴に言った。
「美琴、昨日悪かった。さっさとやられちまって」
 まさか謝られると思っていなかったのだろう。美琴は一瞬驚いた顔をして、視線を泳がせた。
「いえ、紺野さんは悪くありません」
「そう言ってもらえると助かる。ありがとな。無事でよかった」
 素直に受け取ってさらりと気遣った紺野に、美琴はこくりと頷いて小走りにその場を離れた。あれが大人の対応か、と耳だけで会話を聞いていた大河は、こっそり心のノートに書き加えた。
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