第5話

文字数 2,764文字

 ちょっぴり寂しそうな背中を見送って、宗史が泊まる部屋へ足を向ける。
「宗史さん、ベッドね」
 風呂に入る前に付けたエアコンのおかげで、部屋は適温だ。入るなり指示した大河に、宗史は苦笑しながらも素直に従った。自分は窓際の椅子に腰を下ろす。ペットボトルを開け、喉に流し込んでから長く息を吐き出した。
 意を決するようにきつく閉めてテーブルに置くと、大河は宗史へ視線を投げた。
「宗史さん」
「うん?」
 同じくペットボトルに口を付けていた宗史が、視線だけ寄越す。
「先に、相談したことがあるんだけど。いい?」
 真剣な眼差しを受けて、宗史はペットボトルの蓋を閉め、チェストに置いてから真っ直ぐ大河を見据えた。
「何だ?」
 改めて問われ、大河は膝の上でぎゅっと拳を握る。
 無視をされているわけではない。どことなくよそよそしいというか、距離を置かれているだけのこと。けれど、思い出すのは昔の記憶。
 これはいじめではない。そんなこと分かっている。春平はそんなことしない。自分が無意識に何かして、だからこれは自業自得なのだ。ならば直接聞けばいいと思うけれど、どうしても、昔の記憶が邪魔をする。あの時のように、話しかけて避けられたらと思うと、怖くて仕方がない。
 宗史たちの察しの良さは身に染みている。それでなくても、あんな謝罪をしたのだ。ごまかせるなんて思ってないし、どう考えても春平に距離を置かれる理由が分からない。それに、以前のように皆に心配をかけたくない。情けないけれど、宗史たちが何か気付いているのなら話しを聞いて、今度こそ春平にきちんと謝りたい。
 大河は、ゆっくりと口を開いた。
「春に、避けられてる、と思う。距離を置かれてるっていうか……俺が、無意識に何かしたんだと思うけど、どうしても分からなくて。宗史さん、何か気付かなかった?」
 自分でも分かるくらい、声が強張っていた。自分の失敗にも気付けない不甲斐なさと、無意識に春平を傷付けた無神経さを暴露しているのだ。情けなくて仕方がない。でも、傷付けたと分かって放置するのは、もっと情けない。
「大河」
「はいっ」
 反射的に背筋を伸ばした大河に、宗史が苦笑する。
「お前、自分が人から嫉妬されてるって、考えたことあるか?」
「……は?」
 一体なんの話だ。間の抜けた声に、宗史が今度は肩を震わせた。
「あの、何の話……」
「だから、春のことだろう?」
「そう、春のこと。何で嫉妬の話になるの?」
「春がお前を避ける理由だからだ」
 今度こそ思考が止まった。何言ってんのこの人。
 口を開けたまま、じわじわと眉間に皺を寄せて怪訝な顔をする大河に、宗史がたまらず噴き出した。
「笑い事じゃないんだけど!」
「悪い悪い」
 身を乗り出すと押しとどめるように手の平を向けられ、むっと唇を尖らせる。こっちは真剣なのに。
 嫉妬? まさか、そんなわけない。今度ばかりは宗史の勘違いだ。逆なら有り得るが、春平が自分にそんな感情を持つなんて有り得ない。どこにそんな要素があるのだ。大体、人から嫉妬されるほどできた人間じゃない。
 改めて自覚するとちょっとへこむが、事実だ。
 宗史は気を取り直すように咳払いをして、膨れ面で睨む大河を見やった。
「先に言っておくが、お前に責任はない。それを踏まえて聞け」
「う、うん……」
 何だかよく分からないが、とりあえず聞こう。困惑したまま頷く。
「春は、四年間陰陽師として訓練を受け、その間に仕事をして経験も積んできた。その分、プライドがある。男としても陰陽師としてもな。でも、お前は? つい最近まで陰陽師の家系であることさえ知らず、訓練を始めてほんの半月ほど。そんな奴が、もう中級の術を行使し、あまつさえ独鈷杵を扱えて、経験値も上げている。もし逆の立場だったら、どう思う?」
 淡々と現状を振り返り問われたのは考えもしなかった質問で、大河は目を丸くした。
「どうって、そりゃ……」
 ふと、昔のことを思い出した。
 漫画のシーンの再現をして遊んでいた時、コツを掴むのは自分の方が早かった。勉強も運動も省吾の方が良くできていたから、あの時ばかりは珍しく悔しそうな顔をしていた。でも、器用な省吾はすぐにできるようになった。
 剣道の心得があった自分と、なかった省吾。今の春平との関係に、似ている。
 あの時の悔しさは覚えている。やっと省吾に勝てたと思ったら、あっさり追い付かれて。自分は影正から厳しい指導を受けていたからできたのに、受けていない省吾がなんで簡単にできるんだと、悔しくて堪らなかった。
 春平も、あの時の自分と同じ気持ちなのだろうか。
「ほんとに、俺に嫉妬してる……?」
「そうだ」
 それが本当なら、複雑ではあるが嬉しくもある。唖然とする大河をよそに、宗史は続けた。
「お前が努力しているのは確かだが、資質で成長している割合が大きい。資質があれば、当然成長速度も速い。ただ、その資質や霊力量は持って生まれたもので、子供が親を選べないのと同じくらい、嫉妬しても仕方のないことだ。だから、お前に責任はない。これは春自身の問題で、お前にできることは何もない」
「ちょ、ちょっと待って。えっと……」
 考えもしなかったことを一気に言われても混乱する。大河はあからさまに狼狽して、口元に手を添えた。
 春平が自分に嫉妬していて、でもそれは嫉妬してもどうしようもないことで、だから自分に責任はない。
「確かに、省吾に勉強も運動も勝てた試しがないし、それを省吾のせいだなんて思ったことないけど……」
 悔しい思いはあったけれど、それ以上に、自分の不甲斐なさが情けなかった。
「それと同じことだ」
「でも……、そもそも、勘違い、てことは……」
 上目遣いで尻すぼみに意見すると、宗史は首を横に振った。
「俺だけじゃない。晴の話しでは、しげさんも同じように考えているそうだ。多分、弘貴や他の皆も気付いている。傍から見て分かりやすかったらしい」
 大河はぐっと声を詰まらせた。やっぱり気付いていたか。
「ただ、きっかけはお前だけじゃないだろうな」
「え?」
「樹さんから体術のダメ出しをされたことや、美琴や香苗の成長も影響している」
 そういえば、寮に来た頃そんなことがあった。美琴が独鈷杵を具現化した時、春平は自嘲的になっているようだったし、擬人式神に使う耐水性和紙の提案や、ただ言われるがままだった父親と決別した香苗の姿を、目の前で見ている。それに加えて、九字結界の応用の術。
「あ……」
 もう一つ思い出した。柴と紫苑の話しを聞いた時のこと。
『あの話を聞くと……怖いと、思うかもしれないことが、自分の弱さが怖かったんだ』
 あれが昴の本心だったかどうかは分からないけれど、春平は否定しなかった。春平は、自分は弱いと思っているのだ。
 皆の成長が、少しずつ、春平を追いつめていた。
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