第14話

文字数 2,183文字

 ふっと浮遊感がしたと思ったら、体が落下する感覚を覚えた。そしてすぐに足の裏に地面の感触がしたとたん、膝がかくんと折れた。
「うわっ」
 揃って声を上げ、繋いでいた手が離れ、尻もちをついた。
「ああ良かった! 心配した、ものすっごく心配したわ!」
「お二人とも、無事ですね」
 華と夏也の声がして、脳が急速に回り出した。そうだ、敵と対峙していたのだ。夢現な気分が吹き飛び、二人は勢いよく顔を上げて立ち上がった。目の前には、自分たちを庇うように立ちはだかった華と夏也の背中。華の手の中には霊刀が握られている。二人の側で控えていた二体の朱雀が、身を翻してこちらへ飛んできた。
「今のは何だ……?」
 御垣の前で呆然と呟いたのは、菊池雅臣。微かな邪気を感じる。すでに悪鬼を取り憑かせているのか。
「ねぇ、雅臣ちゃん。今の何?」
 緊張感のない声で小首を傾げたのは、一体の犬神を連れた玖賀真緒。二人の手の中には霊刀。
 悪鬼はどうした。霊符を取り出しながら華と夏也に駆け寄り、春平は素早く周囲に視線を走らせる。黒い巨大な悪鬼のあとを追いかけるようにして、小さな悪鬼が正宮の方へ飛び去っていく。
 華は言った。地上から攻めてくるとしたら、悪鬼を使って攻撃してくるかもしれない。囮ではなく隠れ蓑にされれば、姿はもちろん、霊気すら感じ取れない可能性がある。ならばいっそ、悪鬼の中から調伏する。無駄に相手にして体力と霊力を消費するよりは、確実に調伏できる。さらに、まさか敵側も自ら悪鬼に食われるとは思わないだろうから意表をつける上に、多少なりとも鈴の手助けになると。一石三鳥だ。
 悪鬼の中からの調伏は、二度の成功例がある。もちろん、華の推測が外れる可能性もあった。こちらが思いもつかない攻撃をしてくることも。だが、一つの可能性として頭の中に入れておけば、とっさに対処できる。結果は、華のお手柄だ。
 雅臣が春平と弘貴を見据えた。
「お前たち、何をした?」
「は?」
 問い返したのは弘貴だ。
 先程から何を言っているのか理解できない。自ら食われたことに驚いているわけではなさそうだが、悪鬼の中から調伏が可能なことは、昴から聞いて知っているはずだ。雅臣は展望台でも見ている。
「何って、中から調伏してやっただけだよ。昴さんから聞いてるだろ」
「嘘をつくな。他に何かやっただろう」
 偉そうに、と弘貴が不快げに眉を寄せてぼやき、春平はちらりと華と夏也を見やった。答えたのは華だ。
「一部の悪鬼の動きが鈍ったのよ。そこだけ残して分裂して、二人が出て来たの」
「動きが鈍った?」
「何だそれ」
 春平と弘貴が訝しげな声を漏らす。動きが鈍って分裂――もしかして、あれだろうか。思い当たるとしたらそれくらいしかないが、理由が分からない。だがもし推測が当たっていれば、敵に知られないほうがいい。そんな気がした。
「なんかよく分かんねぇけど、知らねぇっつってんだろ。変な言いがかり付けてんじゃねぇよ」
 弘貴がしかめ面で言い返し、春平はあえて沈黙を守った。下手に便乗すれば悟られるかもしれない。
 真偽を見定めるような雅臣からの視線。睨み合う双方の間に落ちた沈黙を破ったのは真緒だ。
「雅臣ちゃん、あとで満流ちゃんたちに報告すれば考えてくれるよ。それより、早く始めようよぉ」
 この場にそぐわない、甘えた口調。実力は怜司と同等だが少々幼く、強烈な殺意や敵意は感じられなかったと聞いている。確かに、目の前にいる彼女はとても無邪気で、まるで今から遊びにでも行くような浮かれた雰囲気だ。長袖Tシャツにショートパンツにハイカットのスニーカー。眉の上で切り揃えられた前髪に、快活そうな目元。街を歩いていたら、夏休みを満喫するごく普通の女の子に見える。こんな彼女が、どうして殺人事件に関わっているのだろう。
 弥生にねだられ、雅臣は少々不本意げに溜め息をついた。聞いた限りでは、実力は真緒の方が上のはずだが、判断するのは雅臣なのか。
「分かった」
「やった。シロはあの短い黒髪のお姉さんね」
 目を輝かせて犬神に指示を出す真緒からは、敵意や殺意はおろか、緊迫感や緊張感といったものが全く伝わってこない。無邪気さのせいだろうか。それとも、まさか平良と同じタイプだろうか。戦闘に魅せられ、彼女にとってはこの事件自体がゲーム。だから無邪気に笑える。そう考えると、彼女の無邪気さが酷く不気味なものに思えて、春平はわずかに顔を歪ませた。
 真緒がふいと華へ視線を投げた。
「お姉さんの相手はあたしね」
 楽しげに自分を指差して宣言した真緒に、華はにっこり笑った。
「青山華よ。真緒ちゃん、だったかしら? よろしくね」
 怜司と同等の実力と推測される真緒に対してこの反応ができる華も相当怖い。春平と弘貴は顔を引き攣らせた。一方で、真緒はぱっと顔を輝かせ、
「うん、真緒! よろしく、華ちゃん!」
 そう元気に答えて、えへへ、と肩を竦めて笑った。隣の雅臣が、そんな真緒をちらりと一瞥する。
 何だこの反応。敵を「ちゃん」呼びするのは、まあ華もそうなので何も言えないが、この笑顔。今から戦えることを喜んだゆえ、なのだろうか。それに雅臣。咎めるような視線ではなかった。
 二人の態度に違和感を覚え、春平は眉を寄せた。いや、今考えるのはそこではない。華が真緒、夏也が犬神ならば、雅臣を相手にするのは自分と弘貴だ。
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