第11話

文字数 3,501文字

 依頼主は、賀茂家の氏子代表の玉木に伝手がある社長だそうだ。丸富(まるとみ)フーズという東京に本社を置く食品会社で、主力商品は冷凍食品。大河には、お好み焼きが美味いメーカーだ、くらいの知識しかないが、主婦にとってはおなじみの会社だ。
 その京都支社に、ひと月くらい前から出るのだそうだ。女の幽霊が。
 午後十一時、深夜勤の警備員が定時の見回りをしていた。非常灯が仄かに照らすフロアを、懐中電灯一つ手に、一階、二階、三階と巡回した。そして四階へ到着したその時、どこからか女のすすり泣く声が聞こえてきた。
 四階は会議室と化粧室、コールセンター室。主に女性が多いフロアのため、初めは誰か残業でもさせられているのかと思ったが、やはり気味が悪い。警備員は恐る恐る順に回ったが人影はなく、気付けば声は聞こえなくなっていた。気のせいかと思い、コールセンター室の扉を開け、懐中電灯で室内をぐるりと照らす。と、ずらりと並ぶデスクの前に佇んでいる、一人の女性を見つけた。
「こんな時間にどうされました? 残業ですか?」
 そう声をかけながら、警備員は思った。前の定期巡回の時には誰もいなかった。時間外入館者も、今日は受け付けていない。じゃあ、誰だ。ぞくりと全身に鳥肌が立った。
 警備員は嫌な予感がして一歩後ずさった。その時、
「ひ……っ」
 一瞬だった。瞬きしたほんの一瞬の間に、頭から真っ赤な血を流した女が、充血した目を見開いて目の前でこちらを凝視していた。その距離、鼻先数センチ。
 ぎゃああッ! 警備員の野太い悲鳴が館内に響き渡った。
 それが、一度目の目撃証言。その日から毎日のようにほぼ同じ時間、同じ場所で目撃されるようになり、残業中の社員にまで見たという者が現れた。女の幽霊が出るという噂は瞬く間に広がった。
 それと同じ頃、コールセンター室に新人の派遣社員が入社してきた。経験者だった彼女はすぐに仕事を覚え、人柄も明るくすぐに皆と馴染んだ。だが二週間後、彼女が事故に遭ったと連絡が入った。命に別状はないが複数カ所骨折しており、長期の入院を余儀なくされ、そのまま退職した。
 すぐに同じ派遣会社から社員が派遣され、先の彼女と同じ席が与えられた。しかしこの彼女もほんの数日後、事故に遭った。頭蓋骨を骨折しており、彼女もまた退職扱いとなった。
 二人が同じデスクだったことと、二人とも雨の日に車のスリップ事故に巻き込まれたことが、否応なく「彼女」を思い出させた。
 同じデスクの使用者が事故に遭ったことから「呪いのデスク」として噂は広まり、幽霊が目撃された場所が「呪いのデスク」だったせいで、幽霊と呪いの正体は「彼女」ではないかと皆が口にした。さらに、目撃された時間帯が、「彼女」が事故に遭った時間帯と同じであったことがますます信憑性を高めた。そのためデスクは移動することすら憚られ、未だあの場所に使用者不在のまま放置されている。
 すぐに幽霊と呪いの噂は支社長の耳に入った。初めのうちは笑い飛ばしていたらしいが、どうにかして欲しいと社員と警備員たちから嘆願書を提出されるまでの騒ぎとなり、伝手を頼って賀茂家に依頼が舞い込んだ。
「対象の名前は、葉山佐智子(はやまさちこ)。六月に雨による車のスリップ事故に巻き込まれ亡くなっている。それまでこの会社で派遣社員として働いていた女性だ。目撃証言と、彼女を知る社員から聞いた容姿が一致しているため、おそらく間違いない。場所は四階のコールセンター室。時間は十一時前後。被害者が出ているため、悪鬼と見ていい。対処法は調伏。あとは現場で判断する」
 近くの駐車場に車を停めた後、現場まで徒歩で向かう道すがら、宗史が最終確認を行った。
 大河は「丸富フーズ」と看板が掲げられたビルを見上げた。地上十階建てのビルは、全面ガラス張りの壁面が屋上からのライトに照らされ、綺麗というよりは薄暗さを際立たせているようで少々不気味だ。その上、この蒸し暑さ。まとわりつく湿気た空気が、よりその手の雰囲気を演出している気がする。
「警備には話が通してあるらしいから、行くぞ、大河」
「あ、うん」
 大河は、躊躇のない足取りで裏口の警備室へと向かう宗史と晴の背中を追った。さすがに慣れている様子だ。
 ビルの脇の細い路地に入り、時間外受付とプレートが貼られた小窓を叩く。すぐに警備会社の制服を着た初老の男性が窓を開けて顔を覗かせた。
「お疲れ様です。賀茂家の者ですが」
 宗史が告げると、警備員はああと承知したような声を上げたと思ったら訝しげな視線を向けた。
「話は聞いてるけど、君たちが、その……?」
「はい。何か」
「ああ、いや。あまりにも若いから。もっと年上の人だと思ってた。悪いけど、これに記入してもらえるかな。あと身分証見せてもらえる? 一人でいいよ」
 そう言って警備員は「時間外入館者」と書かれたノートとペンを差し出した。宗史が受け取り、晴が免許証を提示した。宗史の手元をちらりと覗き見ると、まるで習字のお手本のように達筆な文字で、三人分の名前が記入されていく。らしい字だなぁ、と感心して眺めていると、宗史がノートを差し戻した。警備員はノートと免許証を見比べて頷き、免許証を晴に戻した。
「はい確かに。鍵を開けるから、ちょっと待ってね」
「はい」
 警備員は窓を閉めて一旦姿を消した。すぐに横の鉄製の扉が開く。
「あ、そう言えば、さっきの子たち戻って来ないなぁ」
 警備員は狭い廊下の先を見やりながら一人ごとのように言った。
「さっきの子たちって?」
 晴が扉をくぐりながら尋ねた。
「十五分くらい前かな。ここの女性社員の子たちがね、携帯忘れたって取りに来たんだよ。それが例の部署の子たちだったんだけど、どうしてもって言うし、出る時間まで三十分くらいあったからすぐに戻っておいでって言って取りに行かせたんだ」
「確かに十五分前ですか?」
「ああ。四階とは言え、ちょっと遅いような……」
 警備員の顔から血の気が引くのが分かった。
「ちょ、様子を……!」
「あーいいよ。俺らが行くから。すぐに下ろすから、おじさんは彼女たち待っててあげてよ」
 慌てふためいた警備員を晴が宥めた。
「そ、そうかい? じゃあ頼んだよ」
「りょーかい」
「あ、コールセンター室はエレベーターを降りて左側だから」
 ご丁寧に位置を教えてくれた警備員に、晴が後ろ手にひらひらと振り、三人は狭くて薄暗い廊下を進む。
「確かに少し時間がかかってるな」
 蒸したエントランスを突っ切りエレベーターの前に到着すると、一階で止まっている方のエレベーターの開くボタンを押しつつ宗史が言った。視線はもう一基の方の階床表示だ。四階で止まっている。
 すぐに扉が開いて乗り込むと、四階の階床ボタンと閉まるボタンを押す。扉が閉まり、浮遊感を覚えた。
「いくらビビりながら行ったっつっても、携帯回収して戻るだけだからな」
「もしかして、会ったのかな?」
「可能性はあるが、それなら悲鳴くらい聞いてるだろう」
「静かだから響くもんね」
「女の声って基本高ぇから馬鹿みたいに響くんだよな」
「……晴さん、叫ばれたことでもあるの?」
「あるわけねぇだろ。その辺歩いてる女の笑い声とかめっちゃ響くだろうが」
「そうだけど……」
「その目やめろ。大体、女に悲鳴上げられるようなことするほど変態でも困ってもねぇよ」
「うわ、何気にモテ自慢された。ね、宗史さんは? 彼女」
「興味ない」
「……モテる男が言うと自慢に聞こえる」
「いつ誰がモテるって言った?」
「宗史さんがモテないとか有り得ないじゃん」
「それはどうも。着いたぞ」
 適当にあしらわれ、大河はつまらなさそうに唇を尖らせた。宗史が降り、続いて降りる晴に続く。
 非常灯が仄かに照らす廊下はしんと静まり返り、物音一つしない。躊躇なく警備員に教えられた左手の廊下を進む二人の後ろを大河が続く。
 島暮らしのため、同級生が肝試しで学校に忍び込むと息巻いていた時も、船を理由に一度も参加したことがない。夜中の学校や会社がどれだけ不気味なのか、心霊番組や映画などで目にすることはあっても、実際自分の目で見て空気を感じると、タレントたちの反応が大げさではないことがよく分かる。幽霊がどうのではなく、この雰囲気が不気味だ。
 不意に、宗史と晴が足を止めた。とたん、
「きゃあああ――――――ッ!!」
 女の悲鳴が盛大に響き渡った。一人の声ではない、おそらく警備員が言っていた女性社員たちだ。
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