第1話

文字数 6,443文字

 翌日、紺野(こんの)北原(きたはら)は寮の住所から割り出した学区の中学校を訪れていた。
 調査対象は、奥村弘貴(おくむらひろき)松浦春平(まつうらしゅんぺい)野田香苗(のだかなえ)、ついでに樋口美琴(ひぐちみこと)の転入時期だ。
「とある事件の目撃者だが、調書に書かれた住所が四人とも同じだったから念のために。高校にも行ったが責任者がいないから教えられないと断られた」
 と嘘八百を並べ立てたにもかかわらず、ああそのことですか、とすんなり信じてくれた初老の男性教員は、春日(かすが)と名乗った。弘貴と春平が転入してきた当時、学年主任をしていたらしい。また、彼らが抱える複雑な経緯から、香苗と美琴のことも覚えていた。
 案内された応接室は、職員室の中からしか出入りができない仕様になっているため、ドアを開け放していれば職員室の冷気が流れ込んでエアコンを付ける必要がない。聞かれて特別困ることはないし教員も数人しかいないので、紺野と北原は開けっ放しにされたドアを気に留めず、ソファに並んで腰を下ろした。調書の住所に誤りがないか確認したい、と言って提出してもらった生徒指導要録に目を通す。しばらくして、
「児童養護施設……?」
 せわしなく鳴く蝉の声と、グラウンドから響く野球部の活気ある掛け声が混じる中、紺野はぽつりと呟いた。手には弘貴と春平の卒業年度の生徒指導要録がある。
 一般的に内申書と呼ばれるそれは、氏名、現住所、学業評価、入学・卒業年度、進学・就職先、総合所見、特記事項などが三年間に渡って記録される。転学の際には転入先の学校へ送る資料としても活用され、五年間の完全保存が義務付けられているそうだ。弘貴と春平の指導要録の特記事項には、施設出身の旨が書かれていた。
「え?」
 隣で美琴と香苗の指導要録を確認していた北原が、弾かれるように振り向いて覗き込んだ。紺野が説明を求めるように向かい側に座る春日に視線を上げると、彼はええと頷いた。
「奥村くんと松浦くんは、同じ施設出身なんですよ」
 さらりと告げた春日は、別段変わったことではないように告げた。
「うちは学区内に施設がないので、正直初めは少し戸惑いました。でも、二人とも明るくて友達も多かったですし、杞憂でしたね。特に奥村くんは正義感が強くて、運動が良くできる活発な子でしたから、人気者でした」
 勉強は苦手なようでしたけど、と春日は苦笑いを浮かべた。確かに背が高く体つきも大きかったなと、会合での弘貴を思い出し納得する。
「松浦くんは真面目で穏やかな子でした。成績も良かったですし」
 春平は色白でのんびりしているように見えた。休み時間には図書室にいそうなタイプだ。模範生と言ったところか。
「野田さんと樋口さんはどうでした?」
 四人の人柄について聞いた覚えはないが、こちらからすれば都合がいい。話の流れに乗って尋ねると、春日はそうですねぇと逡巡した。
「野田さんは松浦くんと似たタイプでしたが、少し大人しすぎるというか、頼んだことはきちんとこなしてくれますが、自己主張をしない消極的な子でした。樋口さんは、大人しいというよりは寡黙と言った方がしっくりきますか。成績はまったく問題ないようでしたが、人見知りがあるのか、口数が少なくて友達もあまりいなかったみたいです」
 香苗の方は外見そのままか。大人しいおっとりしたタイプ。美琴も神戸での聞き込みと大差ない。
「実のところ、樋口さんが転入してきた時、私は一年生の担任を受け持っていたのであまり気にする余裕がなかったんですよ。事情が事情でしたし、奥村くんたちの親戚と聞いていたので、時々様子を窺ってはいましたけど」
「親戚?」
 美琴の母親もそう言っていた。紺野が反復すると、春日はそうですよと頷き二人の手元に視線を落とした。
「奥村くんと松浦くんの保護者欄と、野田さんと樋口さんの特記事項の緊急連絡先、同じ方になっているでしょう? 賀茂宗一郎(かもそういちろう)さんという方です」
 紺野と北原はお互いの指導要録を覗き込んだ。確かに宗一郎の名が記載されている。香苗と美琴の保護者欄は親の名だ。後見人ということだろうか。
「四人とも、賀茂さんの親戚だと聞いています。と言っても、遠い親戚でほとんど血のつながりはないらしいですけど。奥村くんと松浦くんについては、名前と施設にいるらしいって話は聞いていたそうです。賀茂さんのお知り合いが支援されている施設に、二人と同じ名前の子供がいると聞いたのがきっかけだとか。初めはご自宅で預かるつもりだったらしいですけど、話を聞いた御親戚の方がぜひと言って二人を預かったそうです。二人を預かるために大きな一軒家を新築したとか。昔子供さんを亡くされたそうなので、寂しかったんでしょうねぇ。野田さんと樋口さんは、似たような理由ですね。経済的な理由で預かって欲しいと言われたそうで、二人も同じ御親戚の方が預かることにしたそうです。だから住所が同じなんですよ」
 うわ嘘臭っ、と紺野と北原は同時に心の中で突っ込んだ。遠い親戚の弘貴と春平がたまたま同じ施設に入っていたということがまず嘘臭い。それに、いくら遠い親戚と言っても賀茂家の血筋に不遇な境遇の子供が多過ぎだろう。辻褄を合せるために無理矢理話を繋ぎ合わせたとしか思えない。
 はあそうですか、と半分呆れ気味に聞いていると、春日は思い出したように付け加えた。
「そうそう、奥村くんと松浦くんのお姉さん代わりの女性がいましたね。同じ施設で育った方だそうで、お手伝いとして一緒に御親戚のところでお世話になっているとか。失礼ですが、初めは男性かと思いました。礼儀正しくて綺麗な方でしたけど、あまり表情がなかったですねぇ。野田さんと樋口さんの授業参観や三者面談も、彼女が来ていましたよ」
 あまり表情がない女性となると、小泉夏也(こいずみかや)か。そうでしたか、と返事をして再び指導要録に視線を落とす。
 四人の進学先は同じ高校。弘貴と春平は特にこれと言って注目するべき記述はない。美琴も、先日の聞き込み通り転入したのは一年前に間違いない。問題は香苗だ。以前の学校の指導要録は一緒に挟まれているが、家庭環境や素行についての記述がない。特に問題がなかったということか。あとは住所。現住所が同じ理由を聞きに来て、以前の住所をメモするのは不自然だ。暗記するしかないか。
 北原も同じように考えたのか、じっと凝視している。と、職員室の方から春日の名を呼ぶ声が届いた。
「すみません、ちょっと失礼」
「はい」
 春日の背中を見送り、今のうちとばかりに北原がメモ帳を取り出した。手早く香苗の以前の住所を記録する。話が終わったことを知らせるように女子生徒たちの素直な返事が響いて、北原は慌ててメモ帳を内ポケットにしまった。何事もなかったように指導要録を閉じてローテーブルに置く。何だかいけないことをしている子供の気分だ。
「すみません」
「いえ」
 戻ってきた春日に、思い切り作り笑いを返す。
「美術部の子たちです。今、秋のコンクールに向けて作品を制作していまして。ちょっと見て欲しいと」
 春日はよっこいしょとソファに腰を下ろした。
「美術部の顧問をしてらっしゃるんですか?」
「ええ。来月の頭が締め切りなので、手直しの時間を考えるとそろそろ追い込みです。発送準備もしておかないと」
「ああ、お忙しい時にすみません。ではこの辺で失礼します。お話ありがとうございました」
 会釈をして腰を上げると、春日も再び腰を上げた。
「いいえ。それにしても、四人一緒に目撃者なんて。どこかに出掛けてたんですか?」
「そうみたいですよ。それが何か?」
 応接室を出て、職員室の出入り口に向かいながら問い返すと、春日はそうですかとどこか安堵の笑みを浮かべた。
「いえね、野田さんと樋口さん、一緒に住んでいて年も性別も同じじゃないですか。でも、学校で一緒にいるところを見かけたことがなかったんですよ。クラスも別でしたし、登下校も別々だったみたいで。まあ、あんな事情を抱えていましたし、繊細な年頃ですからねぇ。親戚で女の子同士と言っても、知らない人といきなり同居というのは、やっぱり戸惑いがあったんでしょうね。でも、一緒に出掛けるくらい打ち解けたんだなぁと思って、安心したんです」
 顔をほころばせた春日に、紺野と北原は同時に息を詰まらせた。嘘八百の捜査理由にここまで安堵されるとさすがに罪悪感を覚える。目撃者はともかく、せめて一緒に出掛けるくらい仲が良いことを祈る。
「そ、それは良かったです。四人とも元気そうでしたよ」
 これは本当だ。少々引き攣り気味の紺野の笑みを見て、それでも春日はそうですかと満面の笑みを浮かべた。
 玄関までの見送りをやんわりと断り、職員室の戸口で礼を言ってそそくさとその場を後にした。
 駐車場は、職員室を出てすぐの職員・来客用玄関の脇にある。特別教室棟と呼ばれる正面の建物と渡り廊下でつながっており、スリッパから靴に履き替えていると二人組の男子生徒とすれ違った。
「こんにちはー」
 声を揃えて挨拶をされ、紺野と北原はそれぞれ挨拶を返す。誰?、知らね、と男子生徒たちのこそこそした声を背中で聞きながら玄関を出た。
「なんか、和みますねぇ」
 言いながら頬を緩めた北原が車の鍵を開けた。
「だな」
 ちょうど校舎が日差しを遮ってくれているおかげで直射日光は避けられているが、それでも車内の温度はサウナ状態だ。籠った熱気を逃がすため、運転席と助手席のドアを全開にしてしばし待つ。
 何年前からか。防犯意識の向上で、同じ地域の住民たちにさえ挨拶をしなくなったと聞き始めたのは。それでもやはり、学校で会う大人は大丈夫と思うのだろう。学校や教師の不祥事が世間を騒がせるこんな時代でも、子供たちの素直さは健在だ。
「児童養護施設か……」
 助手席側で突っ立ったまま呟くと、北原が顔を曇らせた。
「まさかでしたね……」
 未成年がどんな理由で寮に入ったのか、親はどうしたのかと思ってはいたが、まさか施設出身だとは思わなかった。しかも夏也も一緒だ。
 施設に預けられた子供を迎えに来る親は、ほぼいないと聞いたことがある。捨てられたなどという言い方をしたくはないが、子供たちの中にはそう思っている者たちもいるのだろう。ただ、それは施設の子供たちだけに当てはまるものではない。もし美琴の母親が一切の連絡を絶っていたとしたら、同じことだ。そして、香苗もおそらく。
「それにしてもあの説明、誰が考えたんでしょうねぇ。無理矢理繋ぎ合わせたって感じでしたけど」
 北原が気を取り直すように話題を変えた。
「同感だ。けどまあ、ある程度辻褄が合えば何でも良かったんじゃねぇのか?」
「そういうもんですかねぇ」
 自分たちからしてみれば大変嘘臭い、というか嘘だということは分かるが、そうでない者からすれば、そんなこともあるのかなと納得してしまうのだろうか。あるいは繊細な問題で指摘できなかったのか。どちらにしろ、春日には申し訳ないがあの妙な説明よりも指導要録の方がよほど役に立った。
「とりあえず、これで一応あいつらが寮に入った年表はできるな」
「ええ。夏也さんも弘貴くんたちと一緒でしょうし」
 一番長いのは(はな)の五年前、次いで四年前の弘貴、春平、夏也、三年前の(しげる)(いつき)、二年前の香苗と、おそらく怜司(れいじ)もだ。最後が美琴と(すばる)
「ん……?」
 ふと違和感を覚え、紺野は眉を寄せた。
「紺野さん、どうしたんですか? そろそろ行きましょう」
「ああ……」
 運転席に乗り込みながら促した北原に我に返り、紺野は違和感を覚えたまま助手席に乗り込んだ。
「次どうします? 施設か香苗ちゃんが通っていた中学、あとは自宅ですね」
 北原がエンジンをかけ、紺野が即座にエアコンを入れる。生ぬるいを通り越した熱気が噴き出してきて、思わず顔をしかめた。
「そうだな……」
 胸に引っ掛かった違和感は気になるが、今は調査優先だ。紺野はシートベルトを締めながら頭を切り替えた。
 弘貴ら三人は、樹と似たパターンだ。この世を恨み、混沌に落とし入れる目的なら、施設出身は事件を起こす十分な理由になると考えてもいい。偏見と言われるだろうが、綺麗事は言っていられない。けれど寮に入ったきっかけが分からない。そちらが理由になったとも考えられる。
 香苗は美琴と似たパターン。けれど、春日の説明が当てにならない以上、事件を起こす理由も寮に入ったきっかけも分からない。結局のところ、彼女については何も分かっていないのだ。
 ただ、夏也については不明だが、少しだけ分かった四人の人柄だけで判断するならば、全員シロだと思いたい。事情だけならばクロ、人柄だけならシロ。噛み合わない。
「ああいう施設ってのは、出てった子供に連絡を取るもんなのか?」
「さあ、どうなんでしょう。もし取ってたとしたら、確実に俺たちのことバレますね」
「そうなんだよなぁ」
 しかし、施設に聞き込みができないとなると他に当てがない。高校も同じ証言しか出てこないだろう。
「しょうがねぇ、香苗の方調べてみるか。西京区(にしきょうく)だったな」
「はい。中学ですか?」
「いや、自宅の方だ。特記事項に何も書かれてなかった。何かあったとしても学校は知らなかったんだろうな」
「そうか、確かに。じゃあ自宅に向かいます」
「ああ」
 ナビに住所を打ち込みながら、北原が心配そうに言った。
下平(しもひら)さんの方、無事に聴取できましたかねぇ」
「かなり手強そうだが、下平さんのことだし平気だろ。むしろ、野瀬歩夢(のせあゆむ)の証言の方が気になるな」
 紺野はポケットからメモを取り出し、昨夜の下平からの報告のページをめくる。
「ああ、河合尊(かわいたける)が俺も殺されるって言ってたってやつですよね」
「下平さんの推理、多分当たってるな。尊の仲間は食われてる可能性が高い」
「てことは、証拠も遺体も出ない、ですよね」
「そうなると立件は無理だ。家族が捜索願くらいは出してるだろうから、行方不明ってことは分かるだろうが、いないってだけじゃあな」
「……完全犯罪ですか……」
「嫌な言葉だな……」
 ですね、と溜め息交じりにぼやき、北原はゆっくりと発車させた。
 下平からの報告を聞いて、悪鬼の厄介さを改めて思い知った。悪鬼が人を食うとは、つまり証拠が残らない。精気や心臓、肉を食らう鬼とは違い、丸飲みにするのだ。そうなると警察は動けない。尊のように目撃者がいたとしても、非現実的な証言を信じる者はいないだろう。家出か失踪の言い訳くらいにしか受け取ってもらえない。
 とどのつまり、尊は自業自得で、歩夢ともう一人の少年は巻き込まれた被害者だ。カツアゲの相手から恨みを買い、仲間が悪鬼に食われる場面を目撃し、その仲間になりすましたカツアゲ被害者に自らも襲われた。
 少女誘拐殺人事件をはじめ、加害者が被害者となった事件が起こるたびに思う。人を理不尽に苦しめ、傷付けておいて、恨まれないとでも思っていたのだろうか。報復されないと高を括っていたのだろうか、と。
 そして尊は、仲間が悪鬼に食われてからの一年間を、どんな思いで過ごしてきたのだろう。少なくとも、今回の事件が起こるまでは改心したように思えない。
 紺野はメモ帳を閉じて、車窓に視線を投げた。
 報告を聞きながら、ふと昔のことを思い出した。あれは、警察学校に入る前の出来事。春の鴨川で助けた少女は、今頃どうしているだろう。トラウマになっていなければいいが。
 ここ最近増えた重苦しい溜め息を、静かに吐き出した。
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