第2話

文字数 4,075文字

「じゃあ大河くん、真言の構成は?」
 そう問うてくる茂を見据えた大河は、デジャヴを覚えた。
 昼食を終え、ソファに対面で腰を下ろした大河と茂を、食後のコーヒーを片手に皆がダイニングテーブルから見守っている。これは真言の暗記に躓いた先日と同じ光景だ。
「前半は個々の神様の真言で、後半はお願い事――現象を表す部分です」
 少々可愛らしく表現しようとして言い換えた大河に、茂がにっこりと笑みを浮かべて頷いた。
「それから?」
「神様によっては、前半の真言に小呪(しょうじゅ)中呪(ちゅうじゅ)大呪(だいじゅ)があります。それによって現象の威力が左右されるので、前半部分を変えれば威力の違う現象を使い分けることができます。あと、後半の真言を変えれば、例えば浄化と調伏両方オッケーな神様もいます。けど、一つのこと専門の神様とかがいるから要注意! です!」
 進めるごとに砕けてくる答えを力説した大河に、茂が苦笑した。
「はい、正解。理解はできてるね。じゃあ、昨日宗史くんと樹くんと相談した結果なんだけどね」
「はい」
 大河は安堵しつつも姿勢を正した。
「大河くんの成長速度を鑑みて、攻撃系の術も一緒に教えても大丈夫だろうってことになった」
「攻撃系?」
 そんな術、影正のノートにあっただろうか。大河は首を傾げた。
「影正さんのノートには書かれていなかっただろう? 影綱(かげつな)は大戦に参戦していたし、絶対に攻撃系の術を行使できていたはずなんだ。それに、守人である以上いざという時のために伝わっていてもおかしくないと思うんだよ。宗史くんたちも首を傾げていてね、何か思い当たる節はないかな?」
 大河は喉の奥で唸った。行使していたはずの術を後世に残していない理由と言われても、影綱のことをそこまで詳しく知っているわけではない。日記に何かヒントが書かれているかもしれないが、さすがに持って来ていない。
 そういえば独鈷杵(どっこしょ)も、とふと思い出す。あれから連絡がないということは、見つかっていないのだろう。
 残されているはずの独鈷杵は見当たらず、伝わっているはずの術は伝わっていない――晴明の命が下り、友の御魂塚の守人となった以上、万一の時の備えはしていたはずだ。それなのに、何故。
「日記を、持ってくればよかったかな……」
 現代語訳が残っているのかもしれないと宗史も言っていたし、きちんと読むべきだった。古語で書かれているのだろうと倦厭(けんえん)したことが災いした。
 もっと、影綱のことを知っておいた方がいいかもしれない。
「まあ、影綱がどんな意図で残さなかったにしろ、僕たちが教えればいい話なんだけどね。個人的に興味はあるけど」
「確かにそうですけど……独鈷杵のこともあるし、そのうち実家に戻ったら日記も持ってきます。俺も、ちょっと気になるし」
 うん、と茂が頷いた。
「じゃあ、話を戻そう」
「はい」
 大河は背筋を伸ばして頭を切り替えた。今は術が優先だ。
「大河くんと相性がいいのは地天(ぢてん)――つまり、土、大地の術と相性がいいだろうから、それを覚えてもらうね」
 やっぱな、と弘貴の声と皆が頷く声が聞こえ、大河は首を傾げた。
「相性ってあるんですか?」
「うん。例えば宗史くんは水、(せい)くんは火の術と相性がいい。何か気付かないかな?」
 水と火。あ、と声を上げた。
「式神」
 椿(つばき)は水神の眷族だと言っていたし、志季(しき)紫苑(しおん)との戦いで火を扱っていたから火の神の眷族なのだろう。つまり、召喚できる式神で相性が分かるということだ。
「そう。それで考えると、大河くんが地天と相性がいい理由が分かるだろう?」
(きば)ですか」
「うん。影綱の式神だったのなら間違ってないと思うよ」
「皆の相性はどうやって分かるんですか?」
 式神が相性の目安になるのなら、式神を召喚できない者たちの目安は何になるのか。
「僕たちはね、一通り行使してみるしか手がないんだよ。相性が良ければ、それだけ現象も威力も大きくなるから。もちろん他の術も使えるけど、相性が良い術と比べるとちょっと物足りないかなって感じ。ある程度は訓練で補えるけどね」
 へぇ、と相槌を打つと茂は続けた。
「今から覚えてもらう地天は、攻撃に特化した真言なんだ。調伏や結界と違って危険度が増すから、気を引き締めて取り組んでね」
「はい」
「それと、忘れないように先日覚えた真言と一緒に反復して覚えること。あと、専用の霊符があるからね」
「え……っ」
 影正のノートには、基本は浄化、調伏、結界の三種類だと書かれてあったのに。術自体が伝わっていないのだから知らなかったのだろうか。しかもそのどれもまともに描けないうちに新たな霊符を追加された。困惑した顔で凍りついた大河に、茂がにっこりと微笑んだ。
「新しい術、覚えたいんだよね?」
 大黒様のような穏やかな笑みで追い詰める茂に、大河は肩を落としてはいと小さく頷いた。自分で自分の首を絞めてしまった。
 うなだれた大河に笑いながら、弘貴と春平が腰を上げた。
「んじゃ、俺らそろそろ哨戒行ってくるわ」
「じゃあ美琴ちゃん、僕たちも」
「はい」
 同じく腰を上げた昴と美琴に、華も立ち上がった。
「美琴、ごめんね。あたしの当番なのに」
「いえ、大丈夫です……寝てください」
 美琴が自分の目の下を指差すと、華が素早く両手で頬を挟んだ。
「そんなに酷い!? クマ!」
「アイブラックみたいです」
 夏也が的確な指摘をした。スポーツ選手が目の下に付ける、太陽光の反射を軽減するための黒いステッカーのことだ。
 いやだほんとに!? と華の動揺する声に、いってらっしゃいと哨戒組を見送る声が重なる。
 傘持って行った方がいいよね、だなー、と弘貴と春平の会話を遮るように扉が閉められると、華がよろよろとキッチンへ足を向けた。
「いやだわ、少し寝不足なだけなのに……年かしら……」
「華さん、あたしが片付けしますから、少し休んでください」
 悲痛な声にいたたまれなくなったのか、香苗が慌てて腰を上げた。
「ありがとう。でも大丈夫よ、香苗ちゃんも訓練あるでしょう」
「樹さんたちまだ起きてこないですし、時間ありますから」
「華さん、その顔、樹さんに見られたら何言われるか分かりませんよ。今日一日ずっと言われ続けますよ」
 夏也のさらなる指摘に華がぐっと声を詰まらせた。確かに、皮肉屋な樹のことだ。にやつきながら「年だね」と言うに違いない。
「……わ、分かったわ。それじゃあお願いするわ」
「はい」
 女として年のことを突っ込まれるのが嫌なのか、それとも樹にからかわれることが我慢ならないのか。観念して承諾した華に香苗がほっとした表情で頷き、夏也と共にキッチンに入った。
 女の人って大変だなぁ、と思いながら双子を連れて和室へと入る華を見やり、大河は苦笑した。
「じゃあ大河くん、これ。僕が思いつくだけ書き出しておいたから」
 同じく苦笑いを浮かべた茂が数枚の紙をテーブルの上に滑らせた。前のめりに覗き込み、ずらりと並ぶ達筆な字で書かれた真言の数にぎょっと目を剥いた。
 一番上に長さの違う前半の真言が二つ並んで書かれており、その下には後半の真言が十数種類、ふりがな、現象の説明と共に列を成している。前半の真言は二つだけで比較的短いが、後半の真言の数は多い。これに加えて他の真言も覚えるとなると、かなり気合を入れなければいけない。
「大河くんが行使できる術とのバランスを考えると、優先順位はこっちだね。覚え方は任せるけど、どうしようか」
「うーん……」
 メモを眺めながら腕を組んで思考する。
 とりあえず短い方の真言で全て暗記して行使できるようにした後で、長い方の真言を覚えるやり方が正攻法だ。ただ、現状でそれは暢気な気がする。ならば、前半二つを完璧に覚える。そうすれば、後半を一つ覚えれば、現象は同じでも二つの術を一度に行使できるようになる。
「しげさん、この中で、実戦で使えそうなのってどれですか?」
「うん? そうだねぇ……ちょっと待ってね、印を付けておこう」
 ペンペン、と一人ごちながら腰を上げ、テレビボードの引き出しからボールペンを取り出して戻ってきた。床に直接座り込み、メモを引き寄せる。
「状況にもよるけど……これと、これと……こっちかな。とりあえず三つ付けておくね」
「ありがとうございます」
 差し出されたメモを眺め、よしと気合を入れる。
「まずは前半の真言、二つとも頭に叩き込みます。それから後半の真言を暗記します」
「そうだね、僕もそれがいいと思うよ」
「似てるし、短いから多分大丈夫だと思います」
「あ、どうせなら時間決めてみようか。三十分で前半の真言二つと、後半一つ覚えてみて」
 にこにこ穏やかな笑みを湛えて難題を提示した茂に、大河が顔を引き攣らせた。やっぱりこの人が一番厳しい。教え子たちはトラウマになっていやしないだろうか。
「……マジですか」
「マジですよ。大河くん、元々集中力すごいけど、追い込むともっと集中できるタイプだと思うんだよ。物は試しってことで」
 ね、と尋ねながらも向けてくる笑みが、お前に選択権はないと言っているように見える。
「頑張ってください」
「頑張って、大河くん」
 夏也と香苗の声援が届き、大河は唇を噛んで顔をして逸らした。応援してくれるのは嬉しいが、さらに追い込まれた気がしないでもない。しかしここで逃げてはあまりにも情けない。やると決めたからにはやらねば。それに、弘貴たちに負けていられない。
 大河は勢いよく茂に顔を向け、挑む眼差しで見据えた。
「よし、やります」
「決まりだね。はい、じゃあ始め」
 間髪入れず開始の号令を告げた茂に、大河は慌ててメモを引っ掴んで凝視した。
 午後一時過ぎ、微かに吹いていた風は徐々に強さを増し、黒い雲を運んでくる。
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