第7話

文字数 3,312文字

「市場に売られる子牛か、あいつ」
 とぼとぼという擬音がぴったりの歩みでリビングを後にした大河に、晴が呆れ気味に突っ込んだ。
「気付いたか?」
「多分な。まあ、しょうがないだろ。ちょっと考えたら分かることだし」
「だが、大河は感情移入し過ぎる。気にしても仕方ないと分かってはいるだろうが……」
「らしいっちゃ、らしいけどな」
 宗史は、まあな、と溜め息と共に吐き出した。今回の一件が罠であり、かつ香苗が内通者かもしれない可能性は大河も気付いているだろう。その上で大河の感受性の高さは、渋谷健人のこともある今、不安要素にしかならない。
 深夜、椿から報告された紫苑の指摘は手痛かった。
「で、宗」
「うん?」
 改めて呼ばれて振り向くと、晴が今にも死にそうな声で言った。
「腹減らねぇ?」
「……減ったな」
 低く腹を鳴らしながら言われ、宗史は素直に同意した。どちらともなくキッチンへ足を運ぶ。
「結局トンボ帰りだったからな」
「俺は家に辿り着く前に連絡来たぞ。――夏也」
 洗い物を片付けていた夏也に声をかける。
「悪いんだけど、簡単でいいからなんか作れねぇ? 俺ら昼飯食いそびれてさ」
「はい、分かりました。ですが、ご飯がないので……そうですね……」
 夏也は逡巡した。
「焼きうどんはいかがでしょう?」
「お、上等上等」
「すみません、夏也さん。お願いします」
「はい。すぐに作りますね」
 夏也は冷蔵庫へ足を向け、野菜庫を漁った。
 宗史と晴は再び縁側へ戻り、藍と蓮を抱っこした樹と怜司の隣に腰を下ろした。二人とも不安なのか、いつもなら膝に座って訓練の様子を眺めるのに、今は樹と怜司に抱きついて身じろぎ一つしない。いっそ昼寝させた方がいいと判断したようで、樹と怜司は二人の背中をリズム良く叩いている。
「で、どうなの?」
 携帯を取り出した宗史に、声量を押さえ、目線は弘貴と春平に向けたまま樹が問うた。
「六対四、と言ったところでしょうか」
 樹は声を殺して笑った。
「宗史くんらしい、慎重な判断だね」
「樹さんは?」
 そうだねぇ、と樹は視線を空に投げた。
「断然、偶然である可能性の方が高いかな」
「成功する確率が低い上に雑ですからね」
 そ、と同意して樹は口をつぐんだ。
 うとうとし始めた藍の無邪気な寝顔に微かに微笑み、宗史は携帯に目を落とした。
 この件が罠であり、香苗が内通者でない場合、まず敵側は両親のことを調べる必要がある。
何の情報もなく調べるのは、まず無理だろう。となると、香苗の方からだ。戸籍謄本に現住所は記載されない。だが住民票には、一つ前の住所も記載される。しかし、戸籍謄本もそうだが、基本的に他人からの申請は受け付けないところが多い。債務不履行などの理由で正当な請求の根拠を示した場合など、例外はあるがかなり厳しくチェックされるため、役所勤めの仲間がいれば話は別だが、他人が取得するのは至難の技だろう。警察内部の協力があったとしても、捜査に必要であることを明記し、正式な手続きを踏まなければいくら警察といえども申請は通らないと聞いた。
 唯一、香苗の事情を知っていた華は、環境だけで住所やその他のことは一切伝えられていない。先の皆の反応を見る限りでは、香苗自身から何かしら情報が漏れたようにも見えなかった。
 つまり、内通者がいても両親の情報を手に入れることはほぼ不可能だ。
 一方、香苗が内通者であり罠である場合、情報の入手は問題ないだろう。香苗が保護された時の状況を考えると、父親と連絡を取っていた可能性は低い。だが、雅臣や健人同様、復讐の機会を狙っていたのなら有り得る話だ。香苗の友人だとか何だとか適当な理由を付けて仲間が父親に接触し、入れ知恵をして情報を渡し、香苗を囮にこちらをおびき寄せるには最適な演出だ。
 しかし、コンビニで事前に顔を合わせる意味がないし、皆に力づくで引き止められれば計画は頓挫する。それは香苗が内通者でない場合にもあてはまる。さらに、時間だ。誰が内通者であれ、寮の習慣や様子は漏れている。口の立つ樹がいない時間を選んだとしても、かなりの大声を上げていたらしいし、一歩間違えば宗史たちに加えて右近とも鉢合わせしていた。今日、朝から散髪の予定が入っていることも、右近が独鈷杵を届けにくることも分かっていたのだから、万全を期すのなら日を改めるだろう。
 たまたま偶然、香苗の父親と知り合った可能性も無きにしも非ずだが、何にせよ、この計画はあまりにも無謀かつ杜撰なのだ。
 この杜撰さを逆手にとって、こちらが偶然だと判断し油断を誘う計画とも考えられるが、廃ホテルの事件からたった二日。しかも事件の最中だ。最大限の警戒をすることは、敵側も考慮するだろう。
 何故一人で行かせたのかと思わなくもないが、彼女の前で、虐待という言葉を口にできず反論の余地を失ったと考えるべきだろう。香苗を思う気持ちが仇になった。
「あ、寝たかな」
 樹の囁くような声で目を落とすと、藍が規則正しい寝息を立てていた。こっちも寝たぞ、と怜司が言うと、揃ってゆっくり腰を上げる。双子を起こさないように静かに移動し、和室へと入った。
 宗一郎と明へ報告のメッセージを送り、宗史は短く息をついた。情報を得られる立場というだけで判断するなら、身元調査をした紺野と北原、さらに下平も疑うことになる。廃ホテルでの事件の様子を見る限り、彼らはシロだ。
 ふと、そういえば下平の連絡先を聞いていないことに気付いた。弘貴と春平の手合わせの打撃音が響き、出汁と醤油の香ばしい香りが漂ってくる。
「やれやれ、二人とも重くなったねぇ」
「これからもっと重くなるぞ」
「腰にくるよね、腰に」
 年寄り臭い台詞を吐きながら戻ってくる樹と怜司に、宗史と晴が苦笑した。
 怜司は特に問題なかったが、寮に来たばかりの頃の樹は子供に慣れていなかったらしく、双子の扱いにずいぶんと戸惑っていた。また双子の方もそれを感じていたのか、当時はあまり近付こうとしなかった。打ち解けたのは、冬。降り積もった雪で雪だるまや雪うさぎを一緒に作って遊んだことがきっかけだと聞いている。
「すっかり子守りが板に付いたな」
「三年前からは想像できねぇ」
 宗史と晴は、こそこそと声を殺して笑った。
「なに内緒話してるの?」
 背後からの声に、宗史と晴は反射的に背筋を伸ばした。
「いえ、何でもありません」
 怪訝な顔で隣に座り、スニーカーへ手を伸ばした樹に声をひそめて話を逸らす。
「樹さん。下平さんの連絡先を教えてもらえますか」
「ああ、そうか。知らないんだっけ。ついでに大河くんにも送っとこ。怜司くんにも送るよー」
 言いながら樹は尻ポケットから携帯を引っ張り出した。俺にも送ってくれ、と晴も携帯を出す。怜司はああとそっけない返事をして庭に下り、柔軟を始めた。
 すぐに着信があり、下平の電話番号だけが書かれたメッセージが届いた。どうやらメールは知らないらしい。電話番号の交換だけで仕事中に電話をかけるのは気が引ける。となるとショートメールしかない。名前と番号だけを書いて送信した。体術訓練をするらしい、樹は縁側に携帯を置くと庭に出て柔軟を開始した。隣では晴が、
「メール知らねぇのか。メッセージも自動追加解除してんなぁ」
 とぼやきながら面倒臭そうにショートメールを作成中だ。
「宗史さん、晴さん、お待たせしました」
「おー」
 タイミング良く夏也から声がかかり、晴が返事をして二人はいそいそと腰を上げる。すっかり腹ペコだ。
 自宅へ戻る途中、宗一郎から連絡が入り事情を聞き、夏美を送り届けてそのまま引き返した。寮への道すがら宗一郎から出された指示は、
『お前に全て任せる。報告だけは忘れるなよ』
 この一件は偶然と判断したとしか思えない指示だった。確かに仕事は入っているが、事件の最中に起こった件の対処を丸投げしてくるなんて。
 ――試されている。
 事件をどう分析し、寮の者たちをどう統率し、配置し、解決へと導くか。宗一郎は、次期当主としての才覚を見極める足掛かりとして、この事件を利用しているのだ。
 宗史は椅子に腰を下ろし、鰹節が踊る焼きうどんと味噌汁と漬物を目の前に、静かに手を合わせた。
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