第11話

文字数 3,871文字

 どうにも調子が狂う。
 先日、大河が双子の名を呼びながらあちこちを探し回っているところに出くわした。すぐにいなくなったのだと分かり、柴と共に行方を探した。小さな神社へと入っていく二人を見つけた時、その場で捕らえ連れ戻すこともできた。けれど、二人は隗が大河の祖父の臓物を食らう姿を、目の前で見ているのだ。幼子を怖がらせるのも忍びないという柴の配慮で、誰かに知らせようということになり、ひとまず見張りを任された。
 何かを探しているのか、社の外をぐるぐると回ったり中を覗き込んだりする双子を窺っていると、一人の少年が現れた。魂が抜けたような虚ろな目をし、しかしわずかに感じるのは負の気配。嫌な予感がした。同時に柴が戻ってきた気配がして一旦その場を離れると、大河がいた。忠告をし、鳥居をくぐった大河を見送った。あのまま彼らと接触を図るつもりだったが、有無を言わさず志季という式神の攻撃を受け、やむなくその場を離れることにした。
 そして、昨夜の騒ぎだ。
 警戒されることは承知の上だった。むしろそれが当然だ。だからせめて、当主らとは接触を計り話し合いをして、共闘という形を取るつもりだった。柴の「世話になる」という言葉はそういう意味だ。情報を共有し合うには、あの場所しかない。それなのに、何故か共に暮らすことになってしまった。茶を出され、食事を出され、終いには着替えまで用意されていた。話し合いの場を持ち越されてしまった上に、ここまでされては無碍にするわけにもいかない。ならば一晩だけと思ったが、どうやらこのまま世話になることになりそうだ。
 彼らの礼の言葉を聞く限り、公園での騒ぎや双子の居場所を教えたこと、また昨夜の出来事で加勢に入ったことが、信用の後押しをしたらしい。
 だからといって、ああも警戒心なく接してこられては戸惑う。怯え、忌み嫌われることが当たり前だったのに。
 さらに驚いたのは、大河だ。まさか、自ら精気を与えるなどと言い出すとは思わなかった。しかも、精気を吸われることがどういうことか、自分の精気が鬼にとってどれほど垂涎ものなのか、知った上での申し出だ。
 どうやら彼は、影綱以上の阿呆らしい。
 大河の部屋を出て廊下を行き、階段を下りる。玄関には、これから哨戒に行くのだろう、樹と怜司、見送りに出てきた華と夏也の姿があった。
「あ、終わった?」
 樹が、土間からこちらを見上げた。怜司たちも一斉に振り向く。
「大河くんは? 寝たの?」
「ええ、ぐっすりお休みです」
 階段を下りながら椿が答えた。
「二人は椿のお見送り?」
 華に尋ねられ、柴がいやと首を横に振った。
「椿を、送り届けてくる」
 は? と樹と怜司が首を傾げ、華と夏也が「あら」と言いたげに目をしばたいた。
「大河が心配するのだ」
 紫苑が補足すると、一同からああと納得の声が漏れ、小さな笑い声が上がった。呆れたような和んだような、そんな笑みだ。
「お二人の草履は縁側に置きっ放しでしたね。持ってきます」
「いや、いい。あちらから出よう」
 気付いて踵を返そうとした夏也を柴が止め、紫苑と共にリビングへ向かう。
 ダイニングテーブルには四つのグラスが置かれていた。四人で話しをしていたらしい。昼間のことだろうか。
 今朝、大河の見よう見まねで覚えた手順で、閉め切られた窓ガラスを開ける。縁側に出てからきちんと閉め、草履を履いて玄関の方へ回り込んだ。
「ここで使うならビーサンでいいんじゃない? 形は一緒だし」
「樹様、それはちょっと……」
「そうよ。駄目でしょ、いくらなんでも」
「履き心地が違いますよ」
「明日、調べてみよう」
「そうね、お願いするわ。一足をあちこち持って移動するのは面倒だものね」
 何やら五人が玄関先で相談中だ。びぃさんが何か分からないが、夏也と華の言葉から察するに、履き物らしいことは分かった。
「待たせた。行こう」
 柴が声を掛けると一様に振り向いた。
「では、華様、夏也様、おやすみなさいませ」
「おやすみ。気を付けてね」
「おやすみなさい」
「樹様、怜司様、お気を付けて」
「うん。そっちもね、って言いたいところだけど、二人がいるから大丈夫か」
「はい、心強いです。では失礼致します」
 椿は深々と頭を下げ、くるりと背を向けると向かい側の屋根へと高く跳び上がった。二人も気を付けてね、と華の見送りの声を背で聞いて、柴と紫苑が続く。
 屋根伝いに先行する椿の後を、周囲を警戒しつつ追う。日を跨いだ時間、時折車が通り過ぎるくらいで人の姿はないが、人工的な明かりが完全に消えることはない。警戒するには便利だが、未だ違和感は拭えずにいる。
 しばらく行くと、ふと椿が足を止めた。わずかに遅れて、少し離れた場所に着地した柴と紫苑を振り向いた。
「どうした」
 近寄りながら紫苑が問うと、椿はどこか浮かない顔で尋ねた。
「あの、一つお聞きしたいことが」
「何だ」
「渋谷健人という男のことは、お聞きになられていますよね」
「ああ」
「……大河様のご様子は、いかがでしたか?」
 やはり気付いていたらしい。主である宗史の懸念か、それとも自らのものか。
「私がこの男だと答えた時、重ねて間違いないかと問うてきた。少々思い詰めた様子だった」
「やはり、そうですか……」
 椿が俯いて溜め息をついた。
「奴も、家族を殺されたらしいな」
「はい。自分と重ねてしまうのではと、宗史様が心配されておりまして」
 確かに、二人が置かれた状況は同じだ。いくら自ら鬼に精気を与えるような彼でも、祖父を殺害した隗や仲間たちを許せるほどお人好しではないだろう。現に、密偵を許せる自信がないと言っていた。しかしそれでも、自分と同じ境遇である敵に感情を重ねてしまえば、対峙した時に迷いが生まれる。
「本人に直接聞けばよかろう」
「ですが、繊細な問題なので……」
「そのような心持ちで戦はできぬぞ。死なせたくないのなら聞くべきではないのか」
 紫苑の忌憚ない指摘に、椿は口をつぐんだ。
「分かった」
 柴が口を開いた。
「しばらく、様子を窺ってみよう」
 椿がぱっと顔を明るくした。
「ありがとうございます。何かお気付きになりましたら、樹様か怜司様に。宗史様がお話になるそうなので」
「分かった」
 主の決定に異を唱える気はない。しかし、少々甘いのではないかとも思う。大河のことだ、聞けば素直に喋るだろうに、何故そこまで慎重になる必要があるのだろうか。
 では、と椿は安堵の表情で土御門家へ足を向けた。
 以前、土御門家を訪れたのは、大河が戻ってきてすぐの頃だった。茂と華と一緒に大きな箱を届けていた。
 土御門家には、結界樹(けっかいじゅ)と呼ばれる樹木を使った結界が張られている。桃や南天、杉や松、そして椿を鬼門や裏鬼門に植えて悪鬼の侵入を防ぐ、古からの手法だ。正直に言って、この程度ならば入ろうと思えば入れる。だが居心地は非常に悪いので、足を踏み入れることはしない。
 向かいの民家の屋根に到着すると、どうやら待っていたらしい。縁側に腰を下ろし、部屋から漏れる明かりを頼りに書物を読んでいた明が顔を上げた。柴と紫苑はそのまま庭へと下りる椿を見送った。言葉を交わしながら椿がお守りを手渡して会釈をすると、明は立ち上がってひらりと手を振ってきた。頷くような会釈だけをし、椿を待って踵を返す。
 続けて賀茂家へと向かう。
 賀茂家には、大河が霊刀ではなく木刀を具現化した日に訪れた。土御門家同様、賀茂家にも結界樹が張られているため、先程と同じように、向かいの民家の屋根の上で足を止める。
「送っていただいて、ありがとうございました」
 椿は深々と頭を下げた。
「いや、構わぬ。早く戻れ」
「はい。お二人もお気を付けて。失礼致します」
 にっこりと笑みを浮かべ、椿は玄関先へと下りた。すると待ち構えていたように扉が開き、宗一郎が出迎えた。言葉を交わし、二人揃ってこちらを見上げて手を振った。あれは挨拶なのか、それとも礼なのか。手を振り返すべきなのだろうか。迷っていると、二人は連れ立って家の中へと姿を消した。
 これでひとまず約束は果たした。紫苑は一歩前に立つ柴に視線を向けた。
「柴主、今宵はいかがなさいますか」
 柴はゆっくりと振り向いた。
「お前は、まだもつか?」
「はい」
 逡巡し、足を踏み出す。
「やめておこう」
「承知致しました」
 とんと跳ね、寮への道を辿る柴に続く。
 大河が両親と電話をしている時に、宗一郎と明が地図を指差して言った。
『ここ、嵐山の千鳥ヶ淵と、こちらの保津川に架かる保津峡大橋は、昔から自殺の名所になっている。そう都合よく見つかるとは限らないが、行ってみるといい』
 つまりは、人間が食えるかもしれない場所だ。まさか、人を鬼に差し出すような真似をするとは。敵の根城を探れと言ったことといい、どうやら当主二人は相当な覚悟を持って受け入れたらしい。
 会合での様子を見る限り、宗史、晴、陽、樹、怜司、美琴はおそらく覚悟ができている。だが、他の者は果たしてどうか。大河と香苗も不安ではあるが、特に昴と春平は、樹が言っていたように、あのままでは確実に命を落とす。ただ、樹と怜司を除いた者たちの中に、一人、あるいは何人かは敵側の密偵だ。元々できていた覚悟か、それとも演じているのか。
 見る限り、この時代に戦は無い。安寧の世に生き、戦い慣れていない彼らが戦に身を投じるには、揺るがぬ覚悟が必要だ。彼らと敵側の決定的な違いはそこにある。
 このままだと、間違いなく全滅する。
 蒸し暑く晴れた夜、月明かりが照らす住宅街を移動する二つの影に、犬が吠えた。
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