第9話

文字数 1,676文字

 あの戦から、幾年月。桜が山を薄紅色に染める季節。
「お前、今膝ついただろ!」
「ついておらぬ」
「いいや、ついたね。俺がこの目で見た」
「節穴だな」
「何だと!」
「そもそも私より先に手をついたのは貴様だろう。それを見逃してやったのに、言いがかりをつけるとは見苦しい」
「俺がいつ手ぇついたって? 節穴も言いがかりも見苦しいのもお前の方だろうが!」
「何だと!」
「やるかこの野郎!」
 満開を迎えた山桜が、笑うように枝を揺らした。
「あーあ、また始まったか」
「毎日毎日、ほんと飽きないな、あいつら」
「ようし、今日は(しし)の干し肉だ。そろそろ食べ頃だぞ」
「おお、いいな。じゃあ紫苑に賭けよう。あいつは骨がある。しつこいとも言うが」
「俺は行毅だ。玄慶様譲りの怪力はやっぱり有利だろ。さっぱり当たらないが」
「ひと言多いですよッ!!」
 紫苑だ行毅だと賭けを始めた大人たちに揃って噛み付く。げらげらと楽しげな笑い声があちこちから上がり、広場に響き渡った。
 そんな騒がしさを増した広場の片隅で、柴が胡坐を組んで微笑ましげに眺めている。左手を失った玄慶の補佐役に昇格した暁覚が、長い溜め息をついた。
「やはり、止めなくてよろしいですか」
「ああ。あれも鍛錬のうちだ」
「……ただの取っ組み合いの喧嘩にしか見えませんが」
 呆れ顔で言って、もう一度溜め息をつく。と。
「何だ、あいつらはまたやっているのか」
 笑いを噛み殺した声で言いながら、玄慶が上から降ってきた。馬を一頭肩車している。
「おかえりなさいませ、玄慶様」
「ご苦労。……それは、どうした」
 どっこいしょと掛け声をかけながら馬を下ろし、肩をほぐす。
「拾った」
「拾った?」
 柴と暁覚が同時に聞き返して小首を傾げる。
「食われた形跡がなかったので、おそらく盗賊同士の争いの最中に崖から落ちたのでしょう。崖の上にそれらしい人の死骸がありました。まだ死んで間もないようでしたので、氏玉(しぎょく)らに回収させて埋葬地に運ばせております」
氏玉はもともと暁覚の隊の一員で、現在は後を継いで隊の長に就いている。
「暁覚、氏玉らに手を貸すよう皆に伝えてくれ。あと里の者たちにもな。なかなかの数だった」
「承知致しました」
「それとだ」
 玄慶は、野次馬ができ始めている広場へと視線を投げた。紫苑そこだ、行毅右だ右、と囃し立てる大人たちへか、それとも騒ぎの中心である紫苑と行毅へか分からない苦笑が漏れる。
「どうせなら決着がつくまでやらせてやりたいが、出掛けなきゃならん。紫苑を呼んできてくれ」
「……承知致しました」
 貴方もですか、と言いたげな溜め息を残して、暁覚は「こらあお前たち、いい加減にしろ!」と声を張り上げながら駆け出した。
「して?」
 柴が腰を上げながら端的に問うた。
 ここ最近、ある噂が出回るようになり、玄慶が氏玉を連れて縄張りに国府を持つ隗の根城まで真偽を確かめに行っていたのだ。ちなみに、通例どおり氏玉は(せき)(こちらで言う里)に留め置かれ、念のために同行した隊の者たちは縄張り外で見回りをしていた。馬を発見したのは、その帰り道だ。
「どうやら間違いないようです。山城国(やましろのくに)だとか」
「山城国……。蝦夷との戦が続いておるというのに、遷都するか」
「人の民も苦労しますな。ですがまあ、酒吞童子の縄張りを出ないようですし、こちらに影響はございますまい」
「……そうだな」
 遷都は、他人事ではない。もし(こちら)へ遷都しようものなら、主に都の民を糧としている酒吞童子が縄張りを広げる危険がある。場所によっては戦になるだろう。広大な縄張りは、配下の数の多さや酒吞童子の力量の証明にもなる。一方こちらは、先の餓虎との戦で多大な犠牲を出し、戦力が落ちている。若い兵が育っているとはいえ、相当不利であることに変わりはない。さらに言うなら、餓虎との戦は酒吞童子の耳にも入っているだろう。おそらく、こちらの戦力を見透かされている。だが、そんな懸念もひとまず払拭された。
「父上、おかえりなさいませ!」
「玄慶様、おかえりなさいませ!」
 肘で互いを小突き合いながらこちらへ駆けて来る紫苑と行毅に、柴と玄慶が苦笑した。
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