第8話

文字数 3,807文字

 地面に赤いシミができ、どさりと宗史が地面に倒れ込む。とめどなく流れ出る血が、じわじわと面積を拡大していく。
 一瞬、全ての音がこの世から消え去ったような静けさが落ちた。
「――宗史ッ!!」
 打ち破るように叫んだのは、宗一郎と晴。
 その声に押されるように、椿が素早く寮の方へ大きく跳ねた。一斉に時間が動き出す。
「行って!」
「宗史さんッ!」
 昴に抑えられつつも、身を乗り出した美琴の悲痛な叫び声が響き渡る。式神が素早く身を翻して跳ねた。
「閃と右近、治癒! 急いで!」
「志季、紫苑、追え!」
「待ちやがれ昴!」
「宗史さん!!」
 あちこちから指示と怒声が響き渡る。
 指示を出す樹と怜司、そして紺野が間仕切りの方へ、閃と右近、大河たちが血相を変えて宗史の元へ、志季と紫苑が抉るほど強く地面を蹴ろうとした――直後、それぞれが触れた感覚に動き止め、空を仰いだ。
 頭上を覆い尽くすほどの、大量の赤い針が宙に浮かんでいる。まるで、夜空が真っ赤に染め変えられたみたいだ。
「またかよ……!」
 志季が忌々しくぼやきながら両腕を掲げて巨大な結界を張り、
「大河、全力で九字結界を張れ! 右近と閃以外動くなッ!」
 宗一郎が鋭く指示を飛ばしたのが同時だった。
 大河が反射的に空へ向かって印を組んだ次の瞬間、針が稲妻のような早さでびゅっと庭へ降り注いだ。
 ――ドンッ!!
 轟いた衝撃音と大きな揺れは、直下型地震のそれと似ていた。うわっ、と驚きの声を上げて弘貴たちが体を竦ませ、バランスを取る。結界の周囲にも針が降り注ぎ、一瞬だけ赤い雨が降ったように見えた。衝撃で上がった砂煙が結界内へ流れ込んでくる。しかし、それで終わりではなかった。二発目が襲いかかる。
「なんだこの威力……っ」
「――文王(ぶんおう)三台(さんたい)玉女(ぎょくにょ)!」
 志季が苦悶の表情を浮かべて足を踏ん張った時、大河の巨大な九字結界が志季の結界の下、二階ほどの高さに形成され、
「大河!」
 駆け寄ってきた紺野が腕を支えた。瞬間、三度目の轟音が轟いた。とたん、志季の結界に罅が入り、耳をつんざくほどの甲高い破裂音を響かせて砕け散った。間髪置かずに針が大河の結界に降り注ぐ。クソ! と志季が悔しげに吐き出した。
「ぐ……っ」
 二人揃って苦悶の声を漏らす。ズン、と押し潰されそうなほどの重圧が全身にかかり、崩れ落ちるように片膝をついた。結界の位置が低くなる。地面にのめり込みそうだ。腕の筋肉が震えて悲鳴を上げる。肘が曲がって、このままでは印が外れてしまう。
「大河!」
 砂煙の中から弘貴の声が響き、春平も一緒に身を低くして駆け寄り、両腕を掴んで支えた。
「悪い大河、耐えろ!」
「大丈夫……っ」
 全力とはいえ、まだ結界を張ったばかりで余力はある。問題は腕力。三人が来てくれなかったら外れていた。
 そんな大河たちの警戒とは裏腹に、攻撃はそこで止んだ。しかし油断はできない。もうもうと上がる砂煙で周囲が見えず、状況が分からない。次が待ち構えているかもしれないし、尖鋭の術を行使した術者がいるかもしれない。宗一郎をはじめ、治癒中である閃と右近以外の全員が警戒を張り巡らせている。
 やがて、近隣住民の慌ただしい足音と会話が耳に入ってきた。大丈夫、怪我は、でかかったな、被害は、と口々に互いの無事と被害を確認する。と、「やだ、煙上がってる!」と女性の慌てた声が響いた。どうやら砂煙を火事の煙と思ったらしい。消防に通報されたら厄介だ。
「大河、もういい。よくやった」
 もし尖鋭の術がまだ行使されていたら、住民たちの目に映って大騒ぎになっているはずだが、そんな会話は聞こえてこない。
 宗一郎の判断が下り、しかし大河は少しの緊張を残して印を解いた。紺野や弘貴、春平もほっと息を吐いて手を離す。頭上にあった結界がすうっと消滅していく。救急車を、消防を、様子を見に行った方が、と住民らの会話が届く中、しばし緊張が漂う。
 徐々に砂煙が収まり、攻撃は――ない。終わった。
 弾かれるように大河と弘貴と春平が立ち上がり、宗史の元へ駆け出した。一方紺野は、腰を上げながら昴たちが消えた方角へ視線を投げた。うっすらと周囲が見て取れる。――いない。唇を噛んで振り切るように顔を逸らし、大河たちに続いた。
「夏也、香苗」
 宗史の足元で、肩を寄せ合って膝をついていた二人が宗一郎を見上げた。眉尻は下がり、酷く心配した顔。香苗に至っては半泣きだ。
「寮へ戻って、近所の方々の対応を。妙子さんたちの様子も見てきてくれ」
 夏也と香苗は、一度宗史に目を落とした。
「案ずるな、生きている。行け」
 閃が端的に説明すると、夏也は回していた香苗の肩から腕を離し、香苗はぐいっと目元を拭いながら腰を上げた。
「はい」
 表情を引き締めて返事をし、先行したのは夏也。まだうっすらと砂煙が残る中を向かったのは、間仕切りがあった方だ。攻撃をまともに食らい、形が残っていない。
「香苗ちゃんは、妙子さんたちの様子を見てきてください」
「はい」
 大河たちと入れ替わるように、二人は間仕切りの残骸をまたいで駆け出した。
 仰向けにされた宗史の両側から、傷を挟むように閃と右近が両手を掲げている。宗史の頭の横に陽が膝をつき、その背後に晴が立ち尽くしている。
 大河は滑り込むように陽の向かい側にしゃがみ込み、夏也と香苗がいた場所に弘貴と春平が収まる。宗一郎の回りに、樹と怜司、志季、紫苑、そして紺野が集まった。怜司が携帯を取り出して、GPSアプリを開く。
 宗史の体の周りの土は黒く変色し、けれど服は真っ赤に染まったままだ。傷口は徐々に塞がっていくけれど、覗き込んだ顔は血色が悪く、真っ白。指一本、ぴくりとも反応しない。
 まるで、死人みたいだ。
 縁起でもない言葉が頭に浮かび、大河は小さく首を横に振った。
「大河」
 右近の声に、大河は一拍遅れて顔を上げた。
「心配いらん。急所は外れている。しっかりしろ」
 淡々とし過ぎて、励ましなのか叱咤なのか分からない。けれど。
 真剣な面持ちで治癒を続ける右近の顔を見つめたあと、ゆっくりと視線を弘貴と春平へ向け、宗史に戻した。
「……うん……そう、だよね……」
 掠れた声で答えた大河を、右近が一瞥した。
 会合での話、昴のこと、椿のこと。何から考えればいいのか分からない。どう整理すればいいのか見当もつかない。しかし大河以上に、何も知らされていない弘貴たちの方がショックは大きいだろう。
 今の感情だけに囚われるな。いつか内通者が判明した時、皆の支えになれるようにと、そう思ったではないか。
 大河はきゅっと唇を噛んで顔を上げた。疑問も気になることもたくさんある。でも今は、今考えなければいけないのは、美琴の安否。
 携帯を覗き込む宗一郎たちを見やり、大河は腰を上げた。と。
「……どう、なってるんですか……」
 ぽつりと呟いたのは、弘貴だ。全員の視線を浴びながら勢いよく立ち上がり、宗一郎を睨み付ける。
「一体どうなってるんですかッ!」
 爆発したように吐き出した声には、紺野へ向けた時と同じ不信感、それに不満と苛立ちが含まれていた。弘貴、と春平が窘めるように立ち上がって腕を掴む。
 会合で行われた会話の全てが、弘貴たちにとっては初耳だ。事情を知らされていないのに、話はどんどん進む。質問することも責めることも許されず、ただ「堪えろ」と言われれば、ストレスがたまって当然だ。
 しばらく、宗一郎と弘貴の間に沈黙が落ちた。
「宗一郎様」
 不意に、携帯を手に縁側へ出てきた郡司が口を挟んだ。後ろから栄明と律子がやってきて、縁側から飛び下りた。青い顔で宗史の元へ駆け寄る。さらに後ろから、恐る恐るといった顔をした氏子と秘書らが姿を現した。
「あと五分ほどでご到着されるそうです」
「分かった」
 まだ誰か来るらしい。短く答えた宗一郎は、改めて弘貴に視線をやった。
「説明はあとだ」
 カッと顔を怒らせて、弘貴が地面を蹴った。
「ひろ……っ!」
「弘貴」
 縋るように腕を掴んで引き止めた春平に声を重ねたのは、大河だ。落ち着いた声。足を止めた弘貴を含め、全員が意外そうな顔で視線を向ける。
「気持ちは分かる。俺だってわけ分かんない。けど、宗史さんは大丈夫みたいだし、今は美琴ちゃんのこと考えよう。迎えに行かなきゃ。きっと、一人で不安になってる」
 しっかりしているし強いから大丈夫。とはどうしても思えない。宗史の名を呼んだ彼女の声。多分あれが、本当の美琴だ。人質にされ、本当に無事解放されるのか、どこに連れて行かれるのか分からないのに、あんなふうに心配できる。
 唖然とした空気と、珍妙なものでも見たような視線に気付かないまま、大河は小走りに宗一郎たちの元へ駆け寄った。
「今どの辺? まだ動いてる? あ、止まってるね。てかこんなとこまで行ったの? 早っ」
 携帯を覗き込みながら独り言のように実況する大河を見て、宗一郎はわずかに口角を上げた。ついと視線を投げる。
「閃、どうだ?」
 問われた閃が、かざしていた手を引っ込めた。
「傷口は塞いだ。あとは右近だけで事足りる」
「なら、美琴の迎えを頼む」
「ああ」
 腰を上げ、場所はどこだと言ってこちらへ歩み寄る閃を見て、大河は首を傾げた。紫苑はまずいが、志季がいるのにわざわざ治癒していた閃を迎えにやるなんて。
 不思議そうな顔をする大河から、春平がふっと視線を逸らした。そして弘貴は、乱暴に頭を掻いた。
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