第12話

文字数 4,790文字

「出やがった!」
 宗史と晴が同時に駆け出し、大河が慌てて追いかける。
 晴がコールセンター室の扉を勢いよく開けて駆け込んだ。宗史と大河が続く。
「やべっ」
 晴が即座に霊刀を具現化させた。
 一番奥の壁際で、女性が三人、悪鬼に襲われている。人の形をしてはいるものの、大量の邪気を体に纏わせた悪鬼から伸びた触手に、一人の女性が腕を掴まれて空中に浮いている。一人はその彼女の足を掴んで必死に引き止め、そしてもう一人は恐怖で動けないのか、ぺたんと床にしゃがみ込んだまま呆然と異常な光景を見上げている。
「大河! 彼女たちを部屋から連れ出せ! 援護する!」
 突然の宗史の指示に、うえ!? とおかしな声が出た。
「行くぞ!」
 了承も状況把握もない。一歩先に飛び出した晴の後に続いて、宗史が弓矢を具現化させながら床を蹴った。考えている暇はない。大河も後に続いた。
 晴は通路を一気に駆けた。一番端のデスクに飛び乗ると、空中に浮かんでいる女性に向けて霊刀を振り上げ、跳んだ。
「手ぇ放せ!」
 足を掴んでいる女性をちらりと見やって叫び、左腕を浮かんだ女性の腰に回したところで、真横から宗史が三本連続して矢を放った。足を掴んでいた女性は、もう限界だったのだろう、それでもタイミング良く手を離し後ろへ尻もちをついた。晴が霊刀を振り下ろして触手を叩き切り、同時に三本の矢が悪鬼を捉えた。
「お、っと、あぶねっ」
 少々勢いをつけすぎて、晴は女性を抱えたままバランスを取りながら着地し反回転した。とん、と軽く窓に背中を預ける形で止まり息をついた。
 ぐおあぁぁぁぁ、とまるで痛覚があるかのように低く唸り声を上げる悪鬼を見据えたまま、宗史は弓矢を霊刀へと変え、さらに霊符を取り出そうとポケットに手を突っ込んで、床を蹴った。と、
「っ!」
 悪鬼から二本の触手が鼻と胸の辺りを狙って勢い良く伸びてきた。咄嗟に仰け反りながら左に大きく一回転して避ける。足を止めて前を向き直ると、悪鬼がこちらを見下ろして目を剥いた。
 霊力で作る矢は、あくまでもダメージを与えて相手の動きを止めるためのものだ。調伏や浄化の効果はない。だが、陰陽師の霊力である以上、射抜けば霊力が相手の体内に残るため確実に動きは止まる。例外はない。しかし、苦痛を感じ、動きを止めたのはわずかな時間で、すぐに攻撃を仕掛けてきた。ということは、効果が薄い、つまり悪鬼の力が強力だということだ。霊力を上げて効果を強化することはできるが、それだけ霊力を消費することになる。当たればいいが、避けられると打ち損だ。霊刀で接近戦が正しい。
 それにしても、効果を強化しなければならない程、この世に未練があるのか、葉山佐智子という女性は。しかも、社内の目撃者に実害があったという報告はなかった。あくまでも「呪いのデスク」の使用者のみだったはず。それが、何故今日に限って。
 宗史が眉を寄せたその時、悪鬼がぱかりと大口を開けた。
 二人が悪鬼と対峙する様を、大河は通路を駆け抜けながら横目で見ていた。
 部屋に入った瞬間の判断の早さもそうだったが、動きに一切躊躇がない。一体どのくらいの悪鬼と対峙すればこんな風になれるのだろう。
 大河は、足を掴んでいた女性の元へ、救出した女性を運ぶ晴の側に駆け寄った。
「晴さん!」
「おお、お姉さんたちよろしくな」
「分かった」
 晴がゆっくりと女性を下ろすと、すぐに足を掴んでいた女性が抱きついた。
「真奈美! 良かったよぉ」
「京香ぁ」
 ぼろぼろと涙をこぼす京香に、真奈美がしっかりと抱きついた。震えているのが分かる。
 互いの生存を確認するように抱き合う二人の側では、もう一人の女性が呆然とした表情でしゃがみ込んで悪鬼を見上げている。まるで魂が抜けたようだ。その表情を見て、晴は目を丸くした。
 その瞬間、悪鬼が獣のような咆哮を上げた。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
 反響でデスクやパソコン、椅子などの備品がカタカタと揺れ、窓ガラスが軋んだ音を立てる。呆然としている女性以外の全員が思わず体を丸めて耳を塞ぐが、完全に防ぎ切れない。音の圧に押し潰されそうだ。
 身動きが取れないまま、時間にしてほんの数秒後、やっと収まったという気で大河はそろそろと耳から手を離した。目の前では、すでに悪鬼から放たれるいくつもの触手と攻防戦を繰り広げる晴の背中があった。宗史の方を振り向くと、宗史も不快気に顔をしかめたまま霊刀で応戦している。女性と自分、四人を守りながらだと不利だ。
「早く出ましょう! 立って!」
 大河は薄い膜に覆われたような不快感が残る鼓膜を後回しに、真奈美たちに声をかけた。と、今まで呆然として微動だにしなかった女性が突然叫び声を上げた。
「ああぁぁぁ―――――ッ!」
 甲高い声に大河と真奈美と京香が身を引いた。叫んだ女性は、まるで先ほどの悪鬼の咆哮に答えるかのように天井を仰ぎ、叫び続ける。彼女の体から水蒸気のような黒い煙が立ち上っている。それは、大河たちには見慣れたものだ。
「邪気……!?」
「音羽!? どうしたの音羽!!」
「しっかりしてよ!」
 邪気は基本、普通の人には見えない。この二人も例に漏れず見えていないのだろう、躊躇なく音羽の体に手を伸ばした時、晴が鋭く叫んだ。
「触るなッ!! 宗! 聞こえるか!」
「聞こえる!」
「共鳴だ!」
 晴の一言に宗史は目を丸くしたが、すぐに指示を出した。
「大河! 全力で結界を張れ! 加減するな!」
「え、は!?」
「急げッ!!」
「わ、分かった!」
 何の説明もなしに出された指示に戸惑いながら、悪鬼の方を振り向いて印を結ぶ。
 昼間の訓練とは逆の指示。加減するのではなく全力で、かつ早く。体の中の全ての熱を一気に放出――いや、解放するイメージ。
 大河は大きく息を吸い込み、大声で力強く真言を唱えた。
「青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女!」
 訓練を初めてから何度も口にしてきた真言と組み続けた印は、やっと滑らかにできるようになった。その上、切羽詰まった状況で集中力が上がっているのか、今までで一番早いスピードで結界が現れる。
「でけぇなおい!」
 触手を力任せに弾き飛ばした晴と、数本を叩き切った宗史が、結界が完成する間際にこちらに飛び込んできた。
 大河が加減をせずに張った結界は、室内にもう一枚の壁を作りだした。つまり、結界を隔ててこちら側と悪鬼側に二分したのだ。上下左右の梁や柱の凹凸など関係なく、一ミリの隙もなくぴったりと塞いでしまっている。
「そのまましばらく維持してくれ」
 宗史は結界内に飛び込むや否や、すれ違いざまに大河の肩に触れてそう告げた。
「やってみるけど、長い時間は多分無理!」
「了解。すぐに終わらせる」
 向こう側では、ブラックホールのような真っ黒な目を大きく見開いた悪鬼が、癇癪を起したように唸り声を上げ、次々と触手を結界にぶつけて派手に火花を散らしている。真正面辺りを集中的に狙われていて、腕に絶え間なく衝撃が響く。耐え切れるか。
 大河の背後では、音羽が叫びながら大量の邪気を噴出し続けていた。晴が、困惑した表情の真奈美と京香を音羽から離れるように告げ、宗史が駆け寄りながら霊符を取り出す。左手の人差し指と中指を揃えて唇に添え、右手で音羽の顔面に向かって霊符を放とうとしたその時、音羽の口から低い声が漏れた。
「ぅあ……ああ……な、んで……あたし、が……も、っと、たくさ、ん……の、こと……」
 とめどなく涙をこぼしながら発した声は、若い女性のものとは思えないほどくぐもっていて、酷く掠れていた。音羽の声じゃない、と真奈美が呟いた。
 音羽を媒体にして思念を伝えてくるということは、それほど深く共鳴しているという証拠だ。宗史と晴がわずかに眉をひそめた。
 宗史は霊符を放ち、真言を言葉に乗せた。
「オン・シュリ・マリ・ママリ・マリ・シュシュリ・ソワカ。帰命(きみょう)(たてまつ)る、窮愁斎戒(きゅうしゅうさいか)六根清浄(ろっこんせいじょう)穢絶心魂(あいぜつしんこん)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)
 霊符は音羽の額に貼り付くと、火を噴いた。
「きゃああぁぁぁッ!!」
 音羽が甲高い悲鳴を上げた。音羽は両手で顔を覆い、体を丸めてのたうちまわる。炎はすぐに全体を覆い尽くし、立ち上った邪気を追うように燃え盛った。
「ちょっ、ちょっとあんた何したのよッ!!」
「さっきより苦しんでるじゃん!!」
「落ち着け!」
 邪気も炎も見えていない二人には、宗史の真言によって音羽がさらに苦しみ出したようにしか見えていないだろう。パニックを起こし音羽に手を伸ばした真奈美と京香を制したのは晴だ。
「邪気を浄化してる。あの子自身に影響はない、大丈夫だ」
 ただ悪鬼と深く共鳴した分、強めの術をかけたから少し苦しいかもしれない、とは言わなかった。
 強い口調で制され、しかし見えない以上納得し切れないのだろう。でも、と戸惑いながら二人が見守る中、宗史が晴へ視線を送り、大河へと踵を返した。
 とりあえず、女性三人と大河を逃がす必要がある。見たところ触手は真っ直ぐにしか操れないようだし、結界を縮小しても問題ないだろう。女性たちは大河に任せるとして、問題は本体だ。今の状況でどう霊符を放っても触手で阻止される。五芒星を描いて結界で動きを止めようにも、デスクが邪魔で描けないし余裕もない。例え広さがある通路に五芒星を描いたとしても釣られてくれる確証はないし、扉へ近くなると大河たちの危険度が上がる上に、逃げ道を塞がれる可能性がある。となると、接近戦で一旦動きを止めてから霊符を放つしかない。
 晴は徐々に収まる炎を見計らい、音羽の側にしゃがみ込んだ。小さな炎が燻り、霊符と共にふっと消えた。体はぐったりとしているが、衣服や髪、肌には一切焼けた痕はない。晴が体を抱き起すと、音羽がうっすらと目を開いた。
「あ、たし……」
「よく頑張った。もう大丈夫だ」
 あれほど滝のように流れ続けていた涙も、もう止まっている。涙の跡が残る頬を拭ってやり、晴は真奈美と京香にもう大丈夫と視線を投げた。這うようにして近寄った二人に音羽を預け、晴は立ち上がった。
 宗史と晴が音羽の浄化をしている間、死ぬ気で結界を張っていた大河の腕は絶え間ない衝撃で小刻みに震えていた。印を組んだ指が今にも外れそうだ。
「もう少し保ちそうか」
 不意にかけられた声に、大河はちらりと横目で宗史を見やった。霊刀が握られている。
「大丈夫……っ」
 とは言え、このままでは後数分も保たない。
「あの人たちは?」
「問題無い。大河、結界の強度を上げながら縮小して移動できるな?」
「え……っ、う、うん」
「なら、彼女たちを庇いながら扉の方へ後退してくれ。悪鬼は俺と晴で調伏する」
「分かった……っ」
 もう少し頑張る、と答えたところで晴が合流した。こちらもすでに霊刀を握っている。
「大河が彼女たちを庇いながら後退する。一旦奴の動きを止めろ。一気に叩くぞ」
「了解」
 晴が不敵な笑みを浮かべて女性たちを振り向いた。
「悪いけどお姉さんたち、合図したらその子抱えて部屋から出てくれる? 危ねぇから。こいつが守るから安心して」
 言いながら大河を指差した晴に、真奈美と京香は無言で何度も頷いた。ぐったりして歩けない音羽の腕を両側から肩に回して立ち上がらせ、合図を待った。
「大河、油断するなよ」
「了解」
「そんじゃ、行きますか」
 じっと見つめる大河たちの視線に何か感じたのか、悪鬼が触手を引っ込めた。瞬間、
「行けッ!!」

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