第10話
文字数 2,164文字
*・・・*・・・*
第一次大極殿を背に、中央に祈祷中の明と宗一郎。そこから右側の離れた場所で、尚は霊刀を構えた。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・アギャナウエイ・ソワカ」
「行け」
炎を纏った霊刀が大きく振り抜かれ、悪鬼が塊となって四方八方から尚へ向かって一斉に襲いかかった。
霧散した火玉は広範囲に飛び散り、悪鬼を貫いた。大量の悪鬼が黒い煙となって消えていく。カバーできない背後からと、黒い煙の向こう側から悪鬼が飛び出してきて、瞬きをする一瞬の間に尚を取り込んだ。と思ったのも束の間。内部から強烈な黄金色の光の筋がいくつも漏れ出し、後方の悪鬼が呆気なく分離して仲間を見捨てた。残された悪鬼はあっという間に光に飲み込まれ、怨念めいた低い唸り声を上げて消えていく。隙間から、平然とした顔の尚が姿を現した。
「戻れ」
千代がひと言発すると、分離した悪鬼が再び融合しながら上昇する。
「やはり、取り込めぬか」
悪鬼を背景に、冷ややかな深紅の目で一連の様子を眺めていた千代が冷静に呟いた。そんな彼女を、尚はにっこり笑顔で見上げる。
「情報って大事よね」
敵同様、鬼代事件が起こってからこっち、寮で起こったすべての出来事は詳細な報告を受けている。
大戦の折、大勢の陰陽師が悪鬼に食われたと聞いたが、自ら脱出した者は一人もいない。悪鬼の負の感情に当てられ、恐怖と混乱で術を発動させる余裕がないまま同化し、調伏されたのだろう。陰陽師として十分な知識と経験がある者でさえもそんな有様なのに、訓練を受けて間もない大河は、自ら脱出しようと試みた。そしてそれが偶然ではないことは、茂が証明済みだ。
興味が湧いた。いくら陰陽師の末裔だとはいえ、未熟もいいところの彼は、悪鬼に食われながらも正気を保ったのだ。しかも、向小島での争奪戦。聞く限りでは、負けず嫌いで単純なところはあるが、その分とても素直で裏表のない人物という印象を受けた。
元気な現役高校生男子。その上寮は美男美女揃い。腹黒い当主二人は、自分の趣味を知った上でそんな情報を寄越した。思惑通りに動くのは癪に障ったけれど、欲に素直なところが長所なのだ。
「何が何でも死ぬわけにはいかないわねぇ」
うふふと笑って霊刀を構え、こちらを見下ろす深紅の目を見据える。
実力はもちろん、属性も知られていない。警戒させるには十分だが、それはこちらも同じことだ。悪鬼を従わせることができ、しかも故意に取り憑かせることもできる。今のところ、直接対峙したのはこれが初めてということもあって、千代の力に関してはそれしか分かっていない。ただ一つ、語り継がれていてもおかしくない両家の口伝にも、知っているであろうはずの柴や紫苑からも得られていない謎がある。この戦いでそれを探れと、指示を受けた。
そのためには、まずこの大量の悪鬼を駆逐しなければ。尚はぐるりと視線を巡らせた。取り込むことは諦めたようだが、ドーナツ型の態勢はそのまま。となると。
「さて、今日のご機嫌はいかがかしら」
ぽつりと呟くと、まずは結界の霊符と尻ポケットから取り出した。
「行くぞ」
千代が告げた瞬間、悪鬼からにゅっと無数の触手が生え、尚はひっと短い悲鳴を上げた。例えるなら、生け花に使う剣山だ。巨大な剣山の針を向けられている。ぞわっと全身が総毛立った。
「あたし集合体駄目なのにー」
いやぁん、と情けない顔で情けない声を漏らす尚に、千代がおかしな間を開けた。落ちた妙な沈黙に、尚がこてんと首を傾げる。
しばらくして千代は何度か瞬きをし、おもむろに右腕を上げた。
「行け」
短い号令に弾かれるように、触手の集合体が一斉に伸びた。目標は尚、それと、明と宗一郎。真っ直ぐに空を切るものもあれば、蛇行するものもある。
間が独特な子ねぇ。頭でちらりと考えながら、冷静にかつ素早く真言を唱える。
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン。帰命 し奉 る。縛鬼滅鬼 、永劫封緘 、千古幽隠 、急急如律令 」
霊符が頭上に浮かび、瞬時にキンッと甲高い音を立てて結界を形成したとたん、悪鬼が激突して派手な火花を上げた。
一方で、明と宗一郎の方でも激しい衝撃音が響いた。当主二人による巨大結界の発動中だ。二人を守護する結界もまた、膨大な霊力で形成されている。悪鬼は弾き返され、しかし怯むことなく再び激突する。結界内では、絶え間なく襲いかかる悪鬼を意にも返さず祈祷が続けられ、井桁から立ち上る炎が毒々しいほど真っ赤に燃え盛っている。
そんな二人を気にする様子もなく、尚はさらにもう一枚霊符を取り出して口元に添えた。360度、視界が火花で覆い尽されるほどの悪鬼の数と激しさだ。さすがに長くもたない。
「オン・バザラニラ・ソワカ」
唱えたとたん霊符がぴんと立ち、尚の口元に不敵な笑みが浮かんだ。
「帰命 し奉 る。颶風顕現 ――」
突如、結界の前、少し離れた場所に平たい小さな風の渦が発生した。千代がわずかに目を見開き、全ての触手がぴたりと動きを止めて先端を風の渦へと向けた。
「奸在拿獲 、風楼風縛 ――」
それは砂を巻き込み、急速に強さを増しながらドーナツ状に大きく細長く形を変える。本能か。明と宗一郎を狙っていた触手もろとも、一斉に風の渦へと襲いかかった。
第一次大極殿を背に、中央に祈祷中の明と宗一郎。そこから右側の離れた場所で、尚は霊刀を構えた。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・アギャナウエイ・ソワカ」
「行け」
炎を纏った霊刀が大きく振り抜かれ、悪鬼が塊となって四方八方から尚へ向かって一斉に襲いかかった。
霧散した火玉は広範囲に飛び散り、悪鬼を貫いた。大量の悪鬼が黒い煙となって消えていく。カバーできない背後からと、黒い煙の向こう側から悪鬼が飛び出してきて、瞬きをする一瞬の間に尚を取り込んだ。と思ったのも束の間。内部から強烈な黄金色の光の筋がいくつも漏れ出し、後方の悪鬼が呆気なく分離して仲間を見捨てた。残された悪鬼はあっという間に光に飲み込まれ、怨念めいた低い唸り声を上げて消えていく。隙間から、平然とした顔の尚が姿を現した。
「戻れ」
千代がひと言発すると、分離した悪鬼が再び融合しながら上昇する。
「やはり、取り込めぬか」
悪鬼を背景に、冷ややかな深紅の目で一連の様子を眺めていた千代が冷静に呟いた。そんな彼女を、尚はにっこり笑顔で見上げる。
「情報って大事よね」
敵同様、鬼代事件が起こってからこっち、寮で起こったすべての出来事は詳細な報告を受けている。
大戦の折、大勢の陰陽師が悪鬼に食われたと聞いたが、自ら脱出した者は一人もいない。悪鬼の負の感情に当てられ、恐怖と混乱で術を発動させる余裕がないまま同化し、調伏されたのだろう。陰陽師として十分な知識と経験がある者でさえもそんな有様なのに、訓練を受けて間もない大河は、自ら脱出しようと試みた。そしてそれが偶然ではないことは、茂が証明済みだ。
興味が湧いた。いくら陰陽師の末裔だとはいえ、未熟もいいところの彼は、悪鬼に食われながらも正気を保ったのだ。しかも、向小島での争奪戦。聞く限りでは、負けず嫌いで単純なところはあるが、その分とても素直で裏表のない人物という印象を受けた。
元気な現役高校生男子。その上寮は美男美女揃い。腹黒い当主二人は、自分の趣味を知った上でそんな情報を寄越した。思惑通りに動くのは癪に障ったけれど、欲に素直なところが長所なのだ。
「何が何でも死ぬわけにはいかないわねぇ」
うふふと笑って霊刀を構え、こちらを見下ろす深紅の目を見据える。
実力はもちろん、属性も知られていない。警戒させるには十分だが、それはこちらも同じことだ。悪鬼を従わせることができ、しかも故意に取り憑かせることもできる。今のところ、直接対峙したのはこれが初めてということもあって、千代の力に関してはそれしか分かっていない。ただ一つ、語り継がれていてもおかしくない両家の口伝にも、知っているであろうはずの柴や紫苑からも得られていない謎がある。この戦いでそれを探れと、指示を受けた。
そのためには、まずこの大量の悪鬼を駆逐しなければ。尚はぐるりと視線を巡らせた。取り込むことは諦めたようだが、ドーナツ型の態勢はそのまま。となると。
「さて、今日のご機嫌はいかがかしら」
ぽつりと呟くと、まずは結界の霊符と尻ポケットから取り出した。
「行くぞ」
千代が告げた瞬間、悪鬼からにゅっと無数の触手が生え、尚はひっと短い悲鳴を上げた。例えるなら、生け花に使う剣山だ。巨大な剣山の針を向けられている。ぞわっと全身が総毛立った。
「あたし集合体駄目なのにー」
いやぁん、と情けない顔で情けない声を漏らす尚に、千代がおかしな間を開けた。落ちた妙な沈黙に、尚がこてんと首を傾げる。
しばらくして千代は何度か瞬きをし、おもむろに右腕を上げた。
「行け」
短い号令に弾かれるように、触手の集合体が一斉に伸びた。目標は尚、それと、明と宗一郎。真っ直ぐに空を切るものもあれば、蛇行するものもある。
間が独特な子ねぇ。頭でちらりと考えながら、冷静にかつ素早く真言を唱える。
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン。
霊符が頭上に浮かび、瞬時にキンッと甲高い音を立てて結界を形成したとたん、悪鬼が激突して派手な火花を上げた。
一方で、明と宗一郎の方でも激しい衝撃音が響いた。当主二人による巨大結界の発動中だ。二人を守護する結界もまた、膨大な霊力で形成されている。悪鬼は弾き返され、しかし怯むことなく再び激突する。結界内では、絶え間なく襲いかかる悪鬼を意にも返さず祈祷が続けられ、井桁から立ち上る炎が毒々しいほど真っ赤に燃え盛っている。
そんな二人を気にする様子もなく、尚はさらにもう一枚霊符を取り出して口元に添えた。360度、視界が火花で覆い尽されるほどの悪鬼の数と激しさだ。さすがに長くもたない。
「オン・バザラニラ・ソワカ」
唱えたとたん霊符がぴんと立ち、尚の口元に不敵な笑みが浮かんだ。
「
突如、結界の前、少し離れた場所に平たい小さな風の渦が発生した。千代がわずかに目を見開き、全ての触手がぴたりと動きを止めて先端を風の渦へと向けた。
「
それは砂を巻き込み、急速に強さを増しながらドーナツ状に大きく細長く形を変える。本能か。明と宗一郎を狙っていた触手もろとも、一斉に風の渦へと襲いかかった。