第10話

文字数 3,805文字

 柴の姿が見えなくなり、口火を切ったのは茂だ。
「さっそくですが、皆さんに確認しておきたいことがあります」
「はい」
「皆さんの中で、霊感をお持ちの方は」
 いや、と一様に首を振る。
「では、先程の菊池雅臣の体から出た邪気のことですが、見えましたか」
「ええ、俺は」
「あたしも見えました」
「俺もです」
 下平、佐々木、熊田が答えると、茂と華は難しい顔をした。普通は見えないはずのものが見えたのは確かだが、何か問題があるのだろうか。
「あの、それを言うなら廃ホテルの時も悪鬼が見えました。普通は見えないと聞いています。何か条件があるんでしょうか」
 答えたのは華だ。
「はい。悪鬼の力が強ければ強いほど、普通の人でも見えやすくなるんです。ただ邪気は、勘が鋭ければ感じることはあっても、よほど霊感が強い人にしか見えません」
「でも、さっきは……」
 佐々木が困惑気味に指摘した。
「ええ、だからあたしたちも不思議だったんです。皆さんが見えているようでしたので。悪鬼が人に取り憑くことは?」
「はい。下平さんから聞いています」
「悪鬼、特に負の感情から生まれた悪鬼にとって、人の負の感情は餌です」
 悪鬼化した浮遊霊ではなく、邪気が個体として動く方の悪鬼のことだ。
「ですので、悪鬼は取り憑いたあと、人を食らってしまわないように邪気と同化するんです。そして取り憑いた人の邪気をさらに吸って、新たな悪鬼としてまた生まれます」
 悪鬼は邪気と共に人を食らう性質もある。つまり、餌を生む人間を食らい尽くさないようにするための生態だ。そういう仕組みになっているのか。
「ということは」
 熊田が口を挟んだ。
「菊池の体から出ていたのは邪気ではなく、悪鬼?」
「ええ、おそらく。しかし……」
 華が困惑した顔で見やると、茂が口にあてがっていた手を離した。
「悪鬼のまま取り憑かせることは、性質から考えて無理です。ですが、千代なら故意に取り憑かせることも可能かもしれません。それが常時可能なのか、それとも制限があるのかまでは、さすがに分かりません。ただ、皆さんに見えるほどの強力な悪鬼となると、精神的にも負担が大きいでしょうから、悪鬼次第では制限があるのだと思います」
「故意に取り憑かせるって、あれを……?」
 佐々木が呆然と呟いた。あの禍々しい気配を持つ悪鬼を取り憑かせる、つまり体内に入れるなど、想像しただけでも身の毛がよだつ。
 下平はぞくりと走った悪寒に背筋を凍らせ、ふと思い出した。
「じゃあ、あの時、渋谷が止めたのはもしかして……」
 ええ、と茂と華が頷いた。
「いざという時のための奥の手だったんでしょうが、今後のことを考えると、できればこちらに悟られたくなかったのだと思います。別の悪鬼の気配でごまかして、伏兵として使えますから」
 さらに、この場に人がいれば追い払うことができ、元々見える尊への威圧にもなる。だからあんなに巨大な悪鬼を使ったのか。なるほど、と下平は口の中で呟いた。
「接近戦の途中で突然触手が出てきたら、さすがに対処できませんからね」
「うん。あくまでも推測だけど、かなり貴重な情報だ」
 ええ、と華が神妙に頷いた。直接対峙する彼らにとって、犯人たちの戦力や戦法の情報は貴重なのだ。何せ、こちらの情報は内通者によって全て知られている。
「てことは、雅臣が近寄らなかったのも、それが原因か……」
 邪気を抱えていたこともそうだろうが、体の中に悪鬼が潜んでいれば近寄れなくて当然だ。
下平が独り言のように呟くと、華がそうだわと突然小走りに車へ向かった。下平たちが小首を傾げる。
「下平さんは、護符をお持ちでしたね」
「ええ。でも、すみません。尊に渡したんです」
 茂に尋ねられ、下平は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「おや、そうでしたか。実は、宗一郎さんから熊田さんと佐々木さんに護符をお渡しするように言われていまして。お二人の分はご用意しましたが、そうですね……怪我もありますし、できれば寮へ来ていただきたいのですが……」
 濁した茂に、ああ、と下平たちは車を見やった。桃子はもちろん、榎本に尊、それに女性二人を送り届けなければならない。華が戻ってきて、小さな和紙を二つ、熊田と佐々木に差し出した。公園で見た、護符を包んでいたお守り袋の形をした和紙だ。
「ごめんなさい、お守り袋がなくて」
「いえ、とんでもない。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 礼を言って受け取った熊田と佐々木を、華が至極真剣な眼差しで見据えた。
「必ず、肌身離さず持ち歩いてください」
「はい」
 硬い声に、二人は顔を引き締めて頷いた。
「華さん、とりあえず宗一郎さんに電話を。状況が分からないから、繋がらなかったらこっちで決めちゃおう」
「了解です」
 華が携帯を操作しながら少し距離を取った。宗一郎から連絡するように言われているが、華がするのならいいだろう。
 下平は茂に視線を投げた。
「茂さん、俺からもお話しておくことが」
 そう前置きをして、下平は雅臣から警告されたことと、会話の内容を伝えた。
「確かに、おかしいですね……」
「自分のためだけじゃない、か……」
 茂と熊田の呟きに、下平と佐々木が訝しげな顔で唸った。
 雅臣の警告は、北原が襲われた今、どう考えても不自然なのだ。犯人たちの標的基準には「事件に深く関わる者」という条件もある。北原への襲撃は、目的が分からないにせよ条件に合っている。しかし、ならば何故下平には警告したのか。もし条件が間違っていたとしても、それはそれで北原を狙った理由が余計分からなくなる。どちらにせよ、謎は残るのだ。
 それに、雅臣のあの言葉。この事件を起こしたのは、自分のためだけではない。では他に誰のためなのか。同じように傷を持つ仲間のため、だろうか。
 茂がふいと視線を上げた。
「ひとまず推理は置いておきましょう。報告しておきます」
「お願いします。それと、実はここへ来た時に女性を二人保護したんです。どうやら悪鬼で脅かされた上に、連れの男二人に置き去りにされたみたいなんです」
 言うや否や、茂、佐々木、熊田が顔をしかめた。
「酷いことをしますね」
「置き去りって……」
「腑抜けた野郎共だ」
「同感です。それで、彼女たちを送ってやってくれませんか」
「ええ、もちろん。それはいいですが……」
 熊田は頷いて、ちらりと車を見やる。
「どうしますか……?」
 窺うように尋ねられ、下平は深く溜め息をついた。問題はそれだ。
「ばっちり見られてますから、ごまかすのはちょっと難しいかと……」
 ですよねぇ、と熊田と佐々木は不憫そうに声を揃えた。そもそもどうやってここが分かった。尾行されていたのなら、この山の中ならヘッドライトで絶対気付くはずなのに。まさかトランクに隠れていたわけではあるまい。
 下平が困り顔で頭を掻いた時、華が浮かない顔で戻ってきた。
「どうだった?」
「えっと、下平さんは怪我をされた上に護符がないのは危険なので、できればおいで頂くようにと。それと、冬馬さんたちのことですが」
「何かあったのか」
 下平が食い付くと、華は言いづらそうに眉尻を下げた。
「あたしも詳しいことは分からないんですが、智也さんが、刺されたそうで」
「容体は!」
 茂たちが息をのみ、下平が目を剥いて身を乗り出した。華が「ああいえ」と否定するように両手を横に振った。
「椿と志季は、護符が反応したから大したことないと思うと言っているそうです」
 そうか、罪を犯すつもりなら邪気を抱えていてもおかしくない。それに椿もいたはずだ。何やら曖昧な言い方だが、ひとまず無事らしいことは分かる。ほっと息をついたのも束の間、華が続けた。
「ただ、樹が……」
 心配そうな顔で目を落とした華に、下平は「ああ」と口の中で呟いた。宗一郎が状況によっては寮においで頂くことになる、と言ったのは、樹のことも想定した上でのことだったのか。志季の報告も曖昧だったし、詳細が分からなくて苛立っているのかもしれない。あとで冬馬に連絡を入れてみるか。
「分かりました、寮へご一緒します。尊は榎本に送らせましょう。車、一緒でよろしいですか」
「ええ、もちろん」
「車回してきますね」
 言いながら華が車の方へ駆け出すと、下平たちも一斉に動き出す。熊田は向こう側の後部座席のドアの方へ、佐々木は桃子に説明をするために自分たちの車へ、そして下平は、榎本がいる運転席へ向かった。
 こちらの様子を窺っていたらしい、すぐにドアが開いて榎本が飛び出してきた。
「下平さん、怪我! すみません、あたしが……っ」
 冷静に色々と思い返して、逆に混乱したらしい。下平は、あたふたとする榎本の腕を掴んで引き戻す。
「榎本、悪いが説明してる暇はない。怪我は大したことねぇよ、気にするな」
「下平さん!」
「いいから聞け」
「だって……!」
「榎本、落ち着け」
 語気を強めると、榎本は泣き出しそうな顔をして、唇を噛んだ。開けっ放しのドアの前で足を止めて正対する。
「怪我は本当に大したことない。それと、事情は明日きちんと説明してやる。だから今日は尊を送ってやってくれ。頼む」
 車の鍵を差し出すと榎本は目を落とし、しばらくじっと見つめてからしぶしぶ受け取った。申し訳ないが、生真面目な分こういう時は無理を通しやすい。
「あの……」
「彩!?」
 顔を上げて何か言いかけた榎本を遮ったのは、熊田の驚きと戸惑いが混じった叫び声だった。
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