第28話

文字数 3,787文字

 愛しているから嘘をついた。などという言い訳は、通用するだろうか。
 殺すつもりだった。
 どんな状況で奴らの悪事が暴かれようと、そこに誰がいようと、誰に止められようと、奴らを肉の塊になるまで八つ裂きにし、あの穢れた魂が二度とこの世に転生などしないよう、全霊力で完全に調伏してやるつもりだった。そしてそのあとは、死ぬつもりだった。そのために、寮に入ったのだ。
 栄明から寮の話を聞いた時、これだと思った。
 栄明に言ったことは本心だ。きちんとした対処法を身につければ負担が減る。間違いなく楽になる。けれどそれ以上に、本当に自分に陰陽師としての素質があるのなら、陰陽術を学び、体術を会得すれば確実に奴らを殺せる。もちろん香穂に嘘をつくのは気が引けた。義両親や横山たち、協力してくれた者たちへ申し訳ない気持ちもあった。
 それでも、寮に入ってから奴らへの憎しみは増すばかりだった。初めて会合で顔を合わせた時もそのあとも。分かってはいたけれど、草薙親子と(したなが)は何の反応も見せなかったのだ。龍之介に至っては、たびたび寮に来ては女性陣にちょっかいを出し、そのくせ桜の将来の夫だとうそぶく。奴らに、罪悪感の欠片も見当たらなかった。
 だから誰にも悟られないよう、恨みと殺意を胸の奥深くに沈め、固く蓋をした。そうするしか、この憎しみを晴らす方法がなかった。
 それなのに、あの時激怒する樹を見て、理解してしまった。殺さないでと言った時の、香穂の気持ちを。
 奔放で我儘で負けず嫌いで自信家。そのくせ努力家で妙に繊細な、面倒臭い相棒。そんな彼の――樹の手を、汚させたくないと思ってしまった。
 その上あんな顔を見せられては、死ねないではないか。
「ほんとに、あいつは面倒臭いな……」
 結果的に、嘘をついたことにならずにすんだけれど。
 つい自嘲気味の溜め息が漏れる。あんなに、生意気で憎たらしい奴だと思っていたのに。
 と、机に置いた携帯が着信を知らせた。発信者は輝彦。もう十二時を回っている。怜司は少し驚いて携帯を持ち上げた。
「もしもし」
「あ、怜司くん。ごめん、まだ起きてたかい?」
 何十年ぶりにも思える懐かしい声に、自然と表情が緩む。怜司は静かに椅子を引いて腰を下ろした。
「はい。すみません、起こしてしまいましたか」
「いや、こっちもまだ起きてた。あっ、こらフク、やめなさい」
 叱咤する輝彦の声に、にゃあと鳴くフクの声が被った。
「ああもう、ほら、ハクも駄目よ」
 スピーカーにしているのだろうか、少し遠いが法子の声だ。輝彦と法子、ハクとフク。皆、変わりなく元気そうだ。
 向こうで何やらごそごそと音がしたあと、輝彦が電話口に戻ってきた。
「ごめんごめん。もう、電話がかかってくるたびに邪魔するようになってね。あの時の会話を理解しているとは思えないんだけど……」
「分からないわよ。動物の勘ってすごいから」
「まさか」
 おどけた会話に、怜司は短く笑った。すぐ側に本能で生きている奴がいるため、一概に否定できない。
「……久しぶりだね」
 一転して、落ち着いた声。
「お久しぶりです。お待たせして、すみませんでした」
「いや。皆、無事なんだよね」
「はい。全員無事です」
「そうか、良かった」
 二つの安堵の息が重なった。
「明日には報道されると思います。実刑は確実です。それと、仲間も」
 志季の報告を聞く限り、香穂を襲った奴らの人数と合致する。もう生きてはいないだろうが。私財の没収や草薙家から追放されたことも話すべきかと思ったが、二人には陰陽師家のことを話していないのだ。それに、知る必要はないだろう。
「後々、そちらに警察が行くと思いますが……」
 二年もかかってしまった。奴らが撮った動画がまだ残っていれば、警察は被害者の身元を洗うだろう。確認のためにそれを持って、二人の元を訪れる。
「ああ……、あの日から、覚悟はできている」
 ぐすっと鼻をすする音が聞こえ、鼻声の法子が語りかけた。
「怜司くん」
「はい」
 一瞬言い淀み、遠慮がちに口を開く。
「香穂のことを、忘れないで欲しいの」
 何を当たり前のことを、と思った直後に、でもと続いた。
「貴方には、幸せになって欲しいとも思うの。勝手かもしれないけど、香穂もきっと、そう望んでるわ」
 ゆっくりと言い聞かせるような、それでいて力強い口調に、怜司は唇を引き締めた。それは無理な相談だ。この先、香穂以上に愛せる人は現れない。ただ。
「ありがとうございます」
 今のこの「普通ではない生活」が、自分にとってどんなものなのか。
「今度、改めてご挨拶に伺ってもいいですか」
「ええ、もちろん。待ってるわ」
「いつでもおいで」
 明るい声色に変わった二人に、怜司はありがとうございますと小さく呟いた。
「本当に、色々とありがとう。協力してくれた人たちにも、よろしく伝えておいてくれるかい」
「ええ」
「じゃあ、遅い時間に悪かったね。おやすみ」
「おやすみ、怜司くん」
「おやすみなさい」
 通話を切って、怜司は息をついた。写真を手に腰を上げ、本棚へと歩み寄る。
 香穂を失ってから本を読まなくなっていたのに、寮に入ってからは「ほとんど」読まないに変わった。それもこれも、茂や春平、夏也、香苗、宗史、あるいは昴が本を読むからだ。ごく身近で本の話をされれば、本好きとしては知らないふりをするにも限界がある。それに、仕事で対象者が現れるまでの待機時間があると、どうしても手持ち無沙汰になるのだ。樹が一緒だとはいえ、四六時中一緒なのだからいい加減ネタも尽きる。ただ、電子書籍の試し読みで時間を潰すことはあっても購入することはないし、紙書籍も何度か借りたことはあるが買っていない。
 以前は棚に並べきれず押し入れにしまっていたのだが、寮に入る時に処分した。五十嵐東吉の本と、香穂の遺品として貰い受けた一冊だけを残して。
 備え付けの本棚の一段は、五十嵐東吉の作品が占領している。左から右へ、発行年月日が古いものから順に並べてある。そんな中、一番右端に同じタイトルが二冊、隣り合って並んでいる。
怜司は手を伸ばし、指先で右側の本の背表紙をゆっくりと撫でた。
「終わったぞ、香穂」
 ぽつりと呟き、滑る指を追って視線を落とす。香穂は、喜んでくれているだろうか。
 下まで辿り着き、怜司はそのまま棚板を握って俯いた。視線の先には、穏やかに微笑んで寄り添う二人の姿。いつか今とは違う姿で、またこうして寄り添える日が来るだろうか。
 ふと、怜司は写真に目を落としたまま、棚板を握っていた手を離し口元を覆った。じわじわと顔の熱が上がる。
「今さら……」
 あの時、完全に雰囲気に飲まれていたとはいえ、よくもまああんなクサイ台詞を言えたものだ。さすがに樹には話していないし、例え知ったとしてもさすがにネタするほど無神経では――。
 そこまで考えて、他に警戒すべき人物が頭に浮かんだ。あの時あの場所にいたのは、栄明と郡司、そして鈴。
「……いや、いくらなんでも……」
 郡司はともかく、栄明と鈴は一体どこまで報告したのだろう。報告は「全て包み隠さず詳細に」が基本だ。とはいえ、さすがにそこまでは報告しないだろう。と、言い切れないのが恐ろしすぎる。
 直接聞いてもいいのだが、それはそれで自ら墓穴を掘りかねない。余計な探りを入れない方が身のためだ。知っていたとしても、ネタにするような無神経ではないが、おそらくそれは自分次第。反抗しようものなら言質として従わせるのだろう。やる、あの二人ならいざという時は躊躇いなくやる。
 怜司は深々と長い溜め息を吐いた。
「一生、下僕か……」
 自分の行く末が見えた気がする。
 もう一度溜め息を吐き、怜司は自嘲気味に笑って机に戻った。どのみち、生きることを選択してしまった今、ここ以外に居場所はないのだ。転職する気はさらさらないし、履歴書に空白の二年間を何と書く。陰陽師をやってましたなんて言った日には、即落とされるどころか二度目の危険人物認定を受ける。ならば、下僕だろうと奴隷だろうと、ここにいた方が食いはぐれることはないし面倒もない。
「……いや、面倒はあるか」
 わずかに顔をしかめたものの、心の端っこでこっそり思う。
 ――それもまあ、悪くない。
 怜司はもう一度写真に目を落とし、小さく呟いた。
「またな」
 この記念すべき日に、恋人の写真を抱いて眠るなどという乙女な趣味はない。いつ誰が部屋に入ってくるのか分からないのだ。特にあの面倒な相棒には前科がある。
「……ほんと、なんで相棒なんてやってるんだろうな」
 やれやれと嘆息し、怜司は封筒を引き出しに入れ、その上に写真を置いた。ゆっくりと閉めて部屋の電気を消し、眼鏡を外してごそごそと布団にもぐりこむ。
 草薙の件は終わった。横山たち社内の仲間たちは、明日から草薙の尻拭いに奔走するだろう。暴いたの俺たちだけどムカつく! なとど悪態をつく川口、それを諌める横山の姿が難なく想像できる。けれど彼らなら大丈夫。一介と一信もいる。時間はかかるだろうが、きっと乗り越えてくれる。
 けれどまだ鬼代事件は続いていて、謎も多く残されたままだ。まだまだ精神的に未熟な子供たちはもちろん、成熟した大人でも抱え切れないことはある。
 割り切らなければ、また失うことになる。
 ゆっくりと息を吐いて目を閉じると、吸い込まれるように眠りに落ちた。
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