第23話

文字数 2,083文字

 目的の公園までは、五分もかからない。敷地を出て、美琴はすぐに話を振った。
「明さん。助けていただいて、ありがとうございました」
「いや。君が無事で良かった」
 この時間、人や車の往来はほぼない。闇に密やかに響く二人分の足音を聞きながら、美琴は改めて尋ねた。
「あの、いくつか聞いてもいいですか?」
「うん?」
「明さんは、京都にいたんですよね。どうしてあんなに早く来れたんですか?」
「ああ、たまたま仕事で来てたんだ。不謹慎な言い方だけど、タイミングが良かった」
「そうですか。助かりました」
 本当に仕事で来ていたのか。ということは、近くで仕事をしていたのかもしれない。明の言うように、タイミングが良かった。もしずれていたらと想像すると、ぞっとする。
「玄関の鍵は……」
「開いてたよ。閉まっていたら水龍に開けてもらおうと思っていたんだけど、手間が省けた」
 よくよく考えれば、母のあの様子なら鍵を閉めなくても不思議ではないか。それにしても、水龍はそんな使い方もできるのか。
「それと、転校手続きとかのコピーの送り先なんですけど。明さんの家の住所なんですか?」
「いや。ああ、大丈夫。私書箱宛てになっているんだ。仕事の依頼を受ける時に、今はほとんどメールだけど、書面で送ってくる方もいるから」
「あ、そうなんですね。良かった――あ、こっちです」
 もし明の自宅住所だったら、万が一でも母が乗り込んでこないとも限らないと思ったのだが、大丈夫そうだ。一応左右を確認し、信号のない横断歩道を渡る。
「あと……、何もしなくていいって言われてたのに、勝手な真似をして、すみませんでした」
 冷静になって考えると、ずいぶん出しゃばった真似をしたと思う。しかも、結局これっぽっちも説得できなかった。初めからあの録音を聞かせていれば、母はすんなり承諾しただろう。余計な時間をかけてしまった。
 俯いて言葉尻を小さくした美琴に、明がふと笑った。
「そんなことないよ。君が言わなければ、僕が言っていた。勇気を出してくれて、ありがとう」
 逆に礼を言われるとは。美琴は驚いたように目をしばたき、いえ、と小さく返してぎゅっと唇を結んだ。出した勇気は無駄ではなかったのか。嬉しさと照れ臭さをごまかすように、あっと声を上げて左の脇道を指した。
「ここから……」
「待った。戻ってきた」
 明が、不意に足を止めて斜め上を見上げた。視線の先には、宙に弧を描く閃の姿。荷物も抱えているのにすごい身体能力だと思っている間に、軽い所作で目の前に着地した。
「どうだった?」
「グラウンドと公園が隣接している。人は見当たらんが、グラウンドは団地から見えるやもしれん」
「公園の方は大丈夫そうだったか?」
「ああ」
「じゃあ、そっちにしよう」
「承知した。こちらだ」
 そう言って閃が足を向けたのは、入ろうとしていた左の脇道だ。車二台がぎりぎりすれ違える程度の広さ。外灯は一本もないが、団地の階段の明かりがあるので真っ暗ではない。左手に小学校、右手に団地を横目に進み、突き当りに設置された車両止めの間をすり抜け、階段を下りる。そこから、左右に伸びる緑道を右へ道なりだ。外灯が設置されているので、両側を木々に挟まれていても暗くない。
「ああ、確かに見えるかもしれないな」
 グラウンドへ下りる階段にさしかかった時、明が言った。グラウンドはぐるりと木々に囲まれているが、周囲より低い位置にあるので、側に建つ団地の上の階から見渡せる。けれど、それはあくまでも昼間の話しで、この時間に人がいてもかなり見えづらいだろう。そもそもだ。
「あの、何をするんですか?」
 今さら危機感はないが、ここまで人目を気にされると聞かずにはいられない。美琴が小首を傾げると、明はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「あとで分かるよ」
 ふふ、と漏れた笑い声に閃が溜め息をついたのは気のせいではないはずだ。危機感はないが少々不安になる。
「あっ、と、そうだ。電話いいかな」
「はい」
 明が何か思い出したように慌てて携帯を取り出したので、美琴は周りに視線を巡らせた。
 隣接する小学校の敷地には、サブグラウンドと呼ばれる運動場があり、小道を挟んだこちらのグラウンドはメイングラウンドと呼ばれ、小学校の施設でありながら一般開放されている珍しいグラウンドだ。その南側、いっそ森と言ってもいいような中に、小広場や遊具コーナー、大きな日時計が設けられている。
 小学生の時は、家から近いこともあり、友達とよく遊んでいた。そこからさらに南に下ると中学校があり、並走する森へ伸びる細い道路をひらすら下りて神明道路の歩道橋を渡ると、須磨寺がある。裏の霊園側になるので、墓地の中を通って境内へ入ることになる。祖母が亡くなって初めて徒歩で来た時は、少し躊躇ったものだ。
 懐かしいなと感慨に浸りながら、緑道を歩くことほんの五分。明の電話が終わり、小広場へ下りる階段に到着した。
 謙遜ではなく本当に何もない、グラウンドとは木々で隔てられたただの砂地の小さな広場。こんな所で何をするんだろうと思いつつ、先行する明と閃に続いて階段を下りる。
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