第1話
文字数 1,647文字
電話が入ったのは、九時前だった。
下平 は、冬馬 から樹 に渡すよう頼まれたものがあると言っていたから、今日あたり会っているだろう。北原 はいつ仕事が終わるか分からない。大河 のことも気になるし、先に明 に連絡を入れるべきか。それとも今日の報告のあとにするべきか。そんなことを考えていた矢先のことだった。
相手は近藤 。何かあったのだろうかと通話ボタンをタップすると、聞こえた第一声はいつもの脱力するような声でも苛立った声でもなく、妙に落ち着いた声だった。
「紺野 さん? 僕だけど」
「ああ、どうした?」
電話の向こう側は恐ろしいくらいに静かだ。その静けさに、微かな不安を覚えた。
「今すぐ、東山区の上代病院 に来て」
「上代病院?」
なんで、と尋ねる前に、近藤が単調に言った。
「北原くんが襲われた」
一瞬、時間が止まったような感覚に陥った。
襲われた――口の中で反芻し、水面からゆっくりと浮かび上がってくるように、やっとその言葉の意味を理解する。
「なんだ、それ……、どういうことだ!」
噛み付くと、近藤はそれでも落ち着いた声を崩すことなく言った。
「いいから早く来て」
「おい待て! 近藤!」
近藤は止めるのも聞かずにさっさと通話を切った。
紺野は舌打ちをかますと弾かれたようにソファから立ち上がり、明かりもエアコンもそのままで家を飛び出した。けれどさすがに玄関の鍵はかけた。ような気がする。監視共々、もう他のことを気にしている余裕はなかった。
近藤が連絡をしてきたということは、二人は一緒にいるところを襲われた。何故二人が一緒にいたのか。東山区のどこで、一体何をしていたのだ。
紺野は隣の月極駐車場へ走った。キーレスで鍵を開け、転がるように運転席に乗り込んでエンジンをかける。そうだ、下平にも連絡を。シートベルトをしつつ片手で携帯を操作して下平へ繋ぐ。スピーカーに切り替え、コールが鳴る間に携帯をホルダーに突っ込んで、車を発車させた。
心臓の音がうるさい。大きく深呼吸をして、落ち着けと自分に言い聞かせ、病院までの最短距離を頭の中に描く。山代病院は東山署に勤務していた頃からあった。まだ覚えている。
無機質に鳴っていたコール音が途切れて、下平のいつもの声が届いた。
「もしもし? どうした?」
一呼吸置いて、紺野は口を開いた。
「下平さん、今どこですか」
少し落ち着きが戻ってはいるが、声色は硬いのが自分でも分かる。
「どこって、さっき樹に会って、署に戻るところだ」
「東山区の上代病院に向かってください。――北原が、やられました」
一瞬、重い沈黙が流れた。
「ちょっと待て、どういうことだ!」
「分かりません。今しがた近藤から連絡があって、北原が襲われたと」
「近藤から……?」
訝しげな声で呟いたと思ったらまた沈黙が流れ、やがて落ち着いた下平の声が届いた。
「分かった、すぐに向かう。明さんたちに報告はどうする」
そうか、それがあったか。さすがに冷静だ。下平の冷静さに引っ張られるように、さらに頭が冷える。紺野は逡巡した。
「ひとまず連絡します。詳しいことは近藤から聞いてからにしましょう」
「分かった。紺野、気を付けろよ」
「はい、下平さんも」
通話が切れ、紺野は速度を落として車を路肩に寄せた。明へ繋ぎ、再び走らせる。コール二回で繋がり、明の第一声を待たずに口を開く。
「俺だ。今、近藤から連絡が入った。北原が何者かに襲われて、東山区の上代病院に搬送されたらしい。下平さんも向かってる。詳しいことはまだ分からん」
こちらもまた沈黙が返ってきて、しかし聞き返されることはなかった。
「分かりました。宗一郎 さんには私から連絡をしますので、詳細が分かり次第報告をお願いします」
「分かった」
「紺野さん」
硬い声で名を呼ばれ、紺野は携帯を一瞥した。
「念のために式神を病院に向かわせますが、気を付けてください。何かあればすぐに連絡を」
「……ああ」
一言だけ返すと、通話が切れた。
紺野は眉を寄せたまま、睨むように正面を見据え、少しだけ速度を上げた。
相手は
「
「ああ、どうした?」
電話の向こう側は恐ろしいくらいに静かだ。その静けさに、微かな不安を覚えた。
「今すぐ、東山区の
「上代病院?」
なんで、と尋ねる前に、近藤が単調に言った。
「北原くんが襲われた」
一瞬、時間が止まったような感覚に陥った。
襲われた――口の中で反芻し、水面からゆっくりと浮かび上がってくるように、やっとその言葉の意味を理解する。
「なんだ、それ……、どういうことだ!」
噛み付くと、近藤はそれでも落ち着いた声を崩すことなく言った。
「いいから早く来て」
「おい待て! 近藤!」
近藤は止めるのも聞かずにさっさと通話を切った。
紺野は舌打ちをかますと弾かれたようにソファから立ち上がり、明かりもエアコンもそのままで家を飛び出した。けれどさすがに玄関の鍵はかけた。ような気がする。監視共々、もう他のことを気にしている余裕はなかった。
近藤が連絡をしてきたということは、二人は一緒にいるところを襲われた。何故二人が一緒にいたのか。東山区のどこで、一体何をしていたのだ。
紺野は隣の月極駐車場へ走った。キーレスで鍵を開け、転がるように運転席に乗り込んでエンジンをかける。そうだ、下平にも連絡を。シートベルトをしつつ片手で携帯を操作して下平へ繋ぐ。スピーカーに切り替え、コールが鳴る間に携帯をホルダーに突っ込んで、車を発車させた。
心臓の音がうるさい。大きく深呼吸をして、落ち着けと自分に言い聞かせ、病院までの最短距離を頭の中に描く。山代病院は東山署に勤務していた頃からあった。まだ覚えている。
無機質に鳴っていたコール音が途切れて、下平のいつもの声が届いた。
「もしもし? どうした?」
一呼吸置いて、紺野は口を開いた。
「下平さん、今どこですか」
少し落ち着きが戻ってはいるが、声色は硬いのが自分でも分かる。
「どこって、さっき樹に会って、署に戻るところだ」
「東山区の上代病院に向かってください。――北原が、やられました」
一瞬、重い沈黙が流れた。
「ちょっと待て、どういうことだ!」
「分かりません。今しがた近藤から連絡があって、北原が襲われたと」
「近藤から……?」
訝しげな声で呟いたと思ったらまた沈黙が流れ、やがて落ち着いた下平の声が届いた。
「分かった、すぐに向かう。明さんたちに報告はどうする」
そうか、それがあったか。さすがに冷静だ。下平の冷静さに引っ張られるように、さらに頭が冷える。紺野は逡巡した。
「ひとまず連絡します。詳しいことは近藤から聞いてからにしましょう」
「分かった。紺野、気を付けろよ」
「はい、下平さんも」
通話が切れ、紺野は速度を落として車を路肩に寄せた。明へ繋ぎ、再び走らせる。コール二回で繋がり、明の第一声を待たずに口を開く。
「俺だ。今、近藤から連絡が入った。北原が何者かに襲われて、東山区の上代病院に搬送されたらしい。下平さんも向かってる。詳しいことはまだ分からん」
こちらもまた沈黙が返ってきて、しかし聞き返されることはなかった。
「分かりました。
「分かった」
「紺野さん」
硬い声で名を呼ばれ、紺野は携帯を一瞥した。
「念のために式神を病院に向かわせますが、気を付けてください。何かあればすぐに連絡を」
「……ああ」
一言だけ返すと、通話が切れた。
紺野は眉を寄せたまま、睨むように正面を見据え、少しだけ速度を上げた。