第8話

文字数 2,129文字

 やがて、悪鬼の中からすとんと栄明が落ちてきた。両肩には、朱雀と水龍。栄明は霊刀片手に消えていく悪鬼を仰ぎ見て、小首を傾げた。先に気付いたのは、朱雀と水龍だった。
 するりと肩から離れた二体につられるようにこちらを振り向き、白い生き物を見るなり息を止めて固まった。一方、朱雀と水龍は気安く白い生き物に近寄り、尻尾を振った。そして白い生き物は、空気が抜ける風船のようにしゅるしゅると縮んでゆく。
「びゃ……っ」
 ぎょっとする紺野たちをよそに、目をまん丸にした栄明が口を開いた。
「白狐様……っ」
 びゃっことは『白狐』か? とかろうじて動く脳みそで漢字変換する。
「犬じゃなくて、狐?」
「伏見稲荷の?」
「稲荷神の使いとかいう?」
「あの赤い前掛けしてる?」
 紺野、下平、佐々木、熊田の順に、各々思い付くまま口にしながら、縮んでゆく白狐を目で追いかける。中型犬ほどまでに縮んだ白狐が、やれやれと言いたげにお座りし、首だけでこちらを振り向いた。美しい真っ白な毛並み、大きな三角形の耳、細長くすっとしたマズル。そして吊り気味の目は、式神と同じ濃い紫色。紛うことなき、狐神だ。
「どうなることかと思ったが、手のかかる連中じゃのう」
 溜め息をつきながら前を向き直る。やっぱ喋るのかと思った紺野と下平とは逆に、え、と呟いたのは熊田と佐々木だ。
「しゃべ……っ」
「神じゃからな。喋りもするわい」
 熊田の言葉を容赦なく遮ってさらりと肯定した白狐に、二人は「ああ」とすんなり納得した。この二人も段々常識がバグり始めている気がする。
「も、申し訳ありません、白狐様。お手を煩わせてしまい。ですが、何故貴方が……一体誰の命でここに」
 やっと正気に戻った栄明が、霊刀を消しながら駆け寄って白狐の前で両膝をついた。朱雀と水龍が肩に乗る。
「命ではない。『お願い』じゃ」
 栄明が酷く困惑した表情を浮かべた。
「お願い、ですか……? 誰の……」
「すぐに分かろう。ま、楽しみにしておれ」
 どこかで聞いたセリフだなと思う紺野たちの前で、ふっさふさの尻尾が楽しげに左右に揺れている。どうせあいつらだろと顔に書いて、紺野は溜め息をついた。尚のことといい、栄明にも言っていないとは。本当に隠し事が好きな当主陣だ。
 要するに、経緯はともかくとして、白狐は当主二人の差し金で、姿を消して紺野たちを監視、もとい護衛していたのだろう。
 陰陽師に式神に鬼。今さら白狐が出てこようが否定する気にもならない。
「あ――――……」
 紺野たちは、溜め息と一緒に気の抜けた声を長く漏らしながら、やっと地面に尻をついた。四人が四人とも、肩を落として脱力する。
「すみません、ご心配をおかけして。まさか不動明王の中呪を破るほどとは。不甲斐ないです。ですが、あの、中からでも調伏できると先程……」
 申し訳なさそうにも苦笑いにも見える顔で指摘され、思い出す。作戦会議中、確かに言われた。双子の迷子事件の時に、悪鬼の中からでも調伏できることが判明したと。だから最悪食われても心配するな、とにかく逃げろと。下平は展望台でも見ている。だが。
「それはそうですが……」
「あの状況だと、考えるより先に体が動きますよ」
 苦い顔の反論に熊田と佐々木が大きく頷き、栄明は「すみません」ともう一度謝って肩を竦めた。
 この数日で俺の寿命ずいぶん縮んでるぞ、心臓止まるかと思いました、などと言い合う熊田と佐々木に、紺野と下平がうんうんと頷く。そんな四人を、白狐が振り向いてじっと見つめた。
「とりあえずだ」
 軌道修正したのは下平だ。よっこらせと腰を上げた下平に倣って、紺野たちも立ち上がる。彼の切り替えの早さは見習いたい。
「白狐、様に色々聞きたいことはあるが、ひとまず地下を確認するか」
 紺野たちより先に、白狐が口を開いた。
「よいよい、わしゃ堅苦しいのは苦手じゃ。普通で構わん。この際だ、このままお前たちにつき合ってやる」
 言うだけ言って、とっとっと、と軽快な足取りで倉庫へ向かう。ありがとうございますと苦笑いの栄明に紺野たちが続く。どうやらずいぶんと気安い狐神のようだ。
「なんつーか、あれだな。空想上の生き物の見本市みたいになってきたな」
 並んで先行する朱雀、白狐、水龍の一柱と二体の後ろ姿を眺めながら、下平が苦笑した。
「可愛いですよねぇ」
「佐々木さん、順応しすぎです」
「もう末期だな」
「えー、そうですか? だって、使いはもちろんですけど、白狐様ももふもふしたら絶対癒されると思いません? 順応する理由なんて、それだけで十分ですよ」
 可愛いが理由になるのかどうかはさておき、はっと虚をつかれた顔をしたのは、栄明を除いた男性陣全員だ。確かに、鬼代事件が発生して以降、心休まる時がない。狐神に夏毛、冬毛があるのかは知らないが、どちらにせよもふもふに変わりはないし、何よりも輝くほどの毛並みの良さ。ぎゅっと抱いて顔なんぞうずめたら、それはそれは気持ちいいだろう。いっそ抱き枕にしたい。
「み、皆さん落ち着いて。確実に引っかかれますよ、ばりっとやられます、ばりっと!」
 獲物を狩るような目付きでじりじりと白狐との差を縮める男三人を栄明が慌ててなだめ、佐々木が声を殺して笑う。全員お疲れだ。
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