第7話

文字数 5,136文字

 あいつら、リンとナナ、無事、従う――つまり、それは。
「お前ら何し……っ」
 対峙していた男に噛みつきかけた大河が、背後から別の男に羽交い絞めにされて言葉を切った。振り上げられた拳に歯を食いしばる。ゴッと骨がぶつかる鈍い衝撃が、脳を軽く揺らした。立て続けに腹へ拳が入る。集中力が切れ、木刀が消えた。
「なぁ、マジでどんな仕掛けなわけ?」
「俺たちにも教えてくれよ。なんかめっちゃ便利そうだからさぁ」
 激しく咳き込む大河を見て、男たちが笑った。大河は荒く呼吸をし、口の端と鼻から血を流したまま男をねめつけた。
「お前ら、女の人を人質にしてあの人たち脅したのか」
「女の人だってよ。ガキ臭ぇな」
 ひひっ、と引き攣った笑い声が癪に障った。
「そのガキ相手に二人がかりのお前らは何なんだよ! 卑怯な手ぇ使って関係ない人巻き込んでんじゃねぇよクソがッ!!」
 腹や傷の痛みを掻き消すくらい、腹立たしかった。
 多分、あの智也と圭介という二人と、冬馬と呼ばれた男も脅されて協力させられていたのだろう。彼らの関係とか経緯とかいきさつとか、そんなこともうどうでもよかった。ただ、弱みに付け込んで人を屈服させようとするその根性が、ひたすらに許せなかった。
「威勢がいいじゃねぇか。誰が」
 男が再度拳を振り上げた。
「クソだって!?」
 振り下ろされた拳を、大河は目を逸らさずに睨み付けた。負けたくない、こんな奴らに。ぎりっと歯を食いしばった、と。
「とうっ!」
 目前まで拳が迫った時、おかしな掛け声と共に突然目の前から男が消えた。
「悪い、大河。あいつら邪気の影響でしつこくてよ、加減が分かんねぇからちょっと手間取ったわ。ゾンビか」
 うどんでも捏ねるように男を何度も踏みつけにしながら、志季が飄々と弁解した。大河を羽交い絞めにしている男が、突然上から降ってきて仲間の男を頭から踏みつけた志季を呆然と見つめる。腕の力が緩み抜け出そうとしたその時、今度は呻き声が上がった。引き剥がされたようにするりと腕が抜けた。
「大河くん大丈夫!?」
 振り向くと、北原が男にチョークスリーパーをかけてずるずると後ろへ引き摺っていた。刑事というより営業のサラリーマンっぽい人だと思っていたが、とんでもなかった。男が顔を真っ赤にし、苦悶の表情で北原の腕を両手で引き剥がそうとするがびくともしない。その上、北原がいた場所には男たちが死屍累々転がっている。
「だ、大丈夫です、ありがとうございます」
 刑事さんってすごいなぁ、と尊敬の念を持って、大河はTシャツの裾で血を拭いながら何度も頷いた。真っ赤に染まったTシャツを見て、北原が目をひん剥いた。
「鼻血出てる鼻血! お前高校生相手になんてことしてんだ!」
「待て待て待て北原! 気持ちは分かるがそれ以上すると落ちる!」
 絞め殺す気かと思うほど力を込める北原を止めたのは、大慌てで駆け寄った紺野だった。
「落としてるんです!」
「馬鹿! 連行すんの面倒だろうが、ここ七階だぞ!」
 そこか、そこなのか。北原は、あ、そうか、と我に返って男を解放した。崩れるように膝をついた男は今にも嘔吐しそうなほどえずいて咳き込んだ。
「ああいう大人しそうな奴が一番危ねぇんだよな」
 大河は独鈷杵をしまい、しみじみと漏らす志季の足元に目を落とした。
「志季、助けてくれてありがと。でも、そろそろいいんじゃない?」
「お、そうだったな」
 忘れてたわ、と言いながらやっと解放された男はすっかり伸びている。晴と同じ大柄な体格の男が頭に着地し、挙げ句の果てに何度も踏みつけられれば気も失うというものだ。しかし同情の余地はない。
 つい先ほどまで怒号や打撃音で埋め尽くされていた大広間には、そこここから上がる男たちの小さな呻き声と、ピアノの周辺で、良親ともう一人の男を相手にする晴と樹の攻防戦の音が響く。
 不意に、パリンと薄いガラスを割ったような音がして振り向いた。椿が結界を解いた音だった。
「志季、あの人、冬馬さんって言ったっけ。仲間だったんじゃないの?」
「ああ、なんか陽のこと逃がそうとしたらしいぜ。詳しいことは知らねぇけど、あいつら脅されてたっぽいしな」
「そっか……」
 逃がそうとしてくれたのか。それで失敗して暴行されたのだろう。智也と圭介が這うように冬馬へ近付き、涙ながらに謝罪する声が、小さく届いた。
 と、生木を裂くような音が盛大に響き、一斉に視線を投げた。
 良親ともう一人の男が、鍵盤側と大屋根側から挟むようにしてピアノにめり込んでいる。すっかり朽ちた木製のピアノが、形を留めないほど崩壊した。
 からんと音を立てて、木くずと化したピアノが傾いた。晴と対峙していた男は気を失ったのか、そのままぴくりとも動かない。
「そのまま死んでろ」
 晴が低い声で吐き捨てた。くるりと踵を返し、落ちていた携帯ほどの箱を踏み潰した。例のスタンガンだ。素手で敵わないと知って使ったのだろうが、通用しなかったようだ。ということはあの男が陽を襲った一人。晴は宗史らの元へ悠然と歩み寄った。
 俺も一発殴りたかった、と残念に思いつつ駆け出した大河に、志季と紺野と北原も続く。転がった男たちがぽつぽつと呻き声を上げて体を起こした。邪気がすっかりナリをひそめ、戦意を喪失している。
「大河、大丈夫、じゃなさそうだな」
 赤く染まったTシャツに目を落とし、怜司が眉を寄せた。
「平気です。志季と北原さんに助けてもらいました」
 志季が胸を張り、北原がはにかんだ。
「大河、いい判断だったが、独鈷杵の影響は大丈夫だったのか?」
「うん。ちょっと苦しかったけど、意外と平気だった。大丈夫」
 必死だったせいもあるかもしれないが、思っていた以上に動ける。笑ってみせると、そうかと宗史は安堵の息をついた。
「平気か、陽」
「はい。晴兄さんこそ、怪我ありませんか」
「おお、一発も当たってねぇよ。ボクシングやってたっぽいけど、あんなの余裕余裕」
 不敵な笑みで頭を乱暴に撫で回す晴に、陽がくすぐったそうに笑って肩を竦めた。
 互いに気遣う兄弟を見やり、大河は安堵の息を吐いた。陽は痣が濃くなっているようだが、それ以外の傷はない。晴も言う通り無傷だ。ほんとに強いなあいつら、と紺野が感嘆を吐いた。
「あとは、樹だな」
 怜司の声に、大河は樹へと視線を戻した。
 平然とした顔で良親の前で佇んでいる。静かに息を整え、樹は口を開いた。
「もういいでしょ。相手にならないことくらい分かるよね」
 尊大に言い放つ彼もまた無傷だ。背筋が凍るほど冷たい眼差しに、一切の感情が読めない無表情は、まるで人形のようだ。昨日と同じ、人を傷つけることを厭わない目。同じ人物とは思えない。
 荒々しく呼吸をしていた良親が、笑ったような短い息を吐いた。
「あの頃とは、比べもんにならねぇ強さだな」
 自嘲気味の乾いた笑い声を漏らす。いってぇ、と一人ごちてゆっくりと体を起こした。樹を相手にしてまだ起き上がれるのは、他の男たちと違い、まだわずかに纏う邪気の影響だろうか。それとも意地か。
 しかし限界らしい。立ち上がることはせず、良親は大きく息を吐いて正面から見据える樹を見上げた。
「お前、あの傷でよく生きてたな」
「おかげ様で、ぴんぴんしてるよ」
 樹の腹の傷のことだろうか。
「あれからどこで何してたんだよ。つーかあいつら何もんだ? クソ強ぇな」
 良親は、大河たちへと視線を投げた。
「答える必要ないでしょ。それに、質問するのはこっちだよ。さっきの答え、まだ聞いてない」
 じっと見据えたまま促す樹を、良親も見据える。ふと、良親が小さく噴き出した。
「お前、もしかして冬馬をズタボロにされて頭に来てんのか? あいつに懐いてたもんな。けど――」
 歪な笑みを浮かべ、良親は言った。
「三年前、見殺しにされただろ」
 大河は驚愕の表情で冬馬を振り向いた。同じように紺野らも目を剥いている。
「それは……っ」
「やめろ」
 弾かれたように智也が何か言いかけて、冬馬が制した。良親が白けた顔つきでふんと鼻を鳴らした。
「酷ぇよなぁ、お前を拾ったのはあいつだろ。覚えてるか? 冬馬が襲われた時のこと。お前、ぶち切れて相手殺そうとしたろ。その目、あん時と同じ目だ。しかも訳分かんなくなった挙げ句あいつも傷付けてさ、お前が表情変えたのあれが最初で最後だったよな。なかなか見物だったぜ?」
 ははっ、と短く笑い、さらに続ける良親を、大河は怪訝な表情で見つめた。
「それだけ懐いてた奴をいざとなったら置き去りだぜ? あんな場所で瀕死のお前を置き去りにしたんだ。何をそんなに気にかけることがあんだよ。さっきこんな仕事受けねぇって言ったよな、まだ信じてんのかあいつのこと。自分を見捨てた奴なんて放っとけよ。馬鹿かお前」
 違和感を覚え、大河はますます眉間に皺を寄せた。
「しかも今回の仕事に誘ったらしいじゃねぇか。裏切っといてよくそんなことできるよなぁ。一度手懐けたからって、自分を見殺しにした奴に手ぇ貸すわけねぇだろ。恨まれてんならともかくさ」
 喉で低く笑った良親に、樹は表情を変えずに口を開いた。
「言いたいことはそれだけ? それで、質問の答えは?」
 心理的に動揺させるつもりだったのだろうが、空振りだ。良親から笑みが消えた。
「言っとくけど、僕の仲間に手を出してただで済むと思わないでよ。代償はきっちり払ってもらう。まずは首謀者の名前を言え」
 睨み上げたまま口を開こうとしない良親に、樹が小さく溜め息をついた。おもむろにポケットから独鈷杵を取り出し、一瞬で霊刀を具現化する。良親が突如として出現した日本刀に目を剥いた。
「いつ……っ」
 足を踏み出した大河と紺野と北原を、宗史と怜司が制した。
「大丈夫だ、殺気がない」
 行く手を塞ぐように伸ばされた腕がゆっくりと下がり、大河たちは倣うように足を引いた。
「首謀者から口止めでもされてるの? それとも僕の言うこと聞くのはプライドが許さないのかな。どうしても言わないのなら拷問を受けてもらうけど、いい?」
 樹は霊刀を持ち上げ、良親の目の前に突き付けた。悲鳴すら出なかったのか、首筋が浮くほど喉を引き攣らせて身を引いた。残骸がどこかで崩れた。
「おい、マジでヤバいって」
「こいつら何なんだよ……っ」
譲二(じょうじ)さんまでやられるとか有り得ねぇだろっ」
 やっと体を起こせるようになった男たちの数人がざわめきだし、腰を上げた。仲間に肩を貸す者、置き去りにしようとする者と様々だ。まずいと紺野らが動いたその時、
「動くな」
 声を上げたのは樹だ。視線は良親に向けたまま警告する。
「死にたくなかったら動くな」
 さすがに脅しだと思うが、男たちからすれば手も足も出なかった事実と、手にある霊刀が判断を鈍らせるのだろう。
 男たちが息を詰めて動きを止めると、樹は続けた。
「まずは耳。右と左、どっちがいい? それともリクエストある? どこでもいいよ。僕、刀の扱い上手いから痛くないと思う。でも、その後は知らない」
 抑揚のない喋り方に、大河は背筋を凍らせた。これは本当に、脅しなのか。
「さっき自分で言ったよね。僕がブチ切れて相手を殺そうとしたって。あんたがどこまで知ってるのかはともかく、こんなことして僕がキレないとでも思った? 僕がどういう人間か、まだ覚えてるんでしょ」
 樹が霊刀を構えた。非の打ちどころがないほど美しい構え。それゆえに、本来の威力が発揮されやすい。樹の実力と霊刀ならば、自覚する前に削がれ、時間差で激痛に襲われる。例え寸止めするつもりでも、この薄暗さで可能なのか。
「おい……本当に大丈夫なのか、あれ……」
 ごくりと喉を鳴らした紺野が、硬い声で呟いた。
「俺も、本気に見えますけど……」
 北原も同意し、大河は勢いよく宗史を振り向いた。至極真剣な面持ちで樹を注視したまま動かない。晴も陽も怜司も、皆息を呑んで樹の動向を見つめている。大河は再び樹に向き直った。
 恐怖で声も出ないのか、顔を青く染め、怯えた目で見上げる良親に樹が痺れを切らした。
「もういいや、右耳からね。歯、食いしばってた方がいいよ」
 言うや否や樹は霊刀を握り直し、一切の躊躇いを見せず霊刀を振り上げて、振り下ろした。良親が反射的に体を丸め、交差した腕を掲げて顔をうずめる。
「樹ッ!」
「樹さんッ!」
「樹くんッ!」
 下平と冬馬、紺野、大河と北原の鋭い叫び声が重なった。
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