第7話

文字数 6,519文字

 明が改めて全員を見渡した。
「ここまでの話で、何か質問は?」
「あの」
 春平が急くように小さく手を上げた。
「その交換条件といい、隗が柴と紫苑に協力しろって言うのって、おかしくないですか?」
 うんうん、と皆が頷き、二人に視線が集中した。隗は二人の性格を熟知している。紫苑が柴以外の者に従わないことも、ましてや柴が協力を拒むだろうことくらい分かったはずだ。
 答えたのは紫苑だ。
「隗は、そうだろうなと言った。私たちが拒むことを承知の上で尋ねたのだろう」
「でも、だったらなんで二人の封印を解いたのかな? 邪魔されるかもしれないって分かる気がするけど」
「それは私たちには分からぬ」
 一蹴され、そうだよね、とますます訝しげに眉を寄せた春平に、明が言った。
「その点に関しては、私たちも不可解に思っている。これから判明するかもしれないが、どんな思惑があるにせよ、今のところ問題はない」
「あ、はい……分かりました」
 春平が納得すると、今度は弘貴が尋ねた。
「あの、向小島に行くまでの手段なんですけど、島は瀬戸内海ですよね。近場で大阪か神戸だとしても、そんなに遠くまで行けるものなんですか?」
「それ、私も思いました。個人で行けるんでしょうか」
「大丈夫みたいだぞ」
 追随した夏也の後に口を開いたのは、携帯をいじっていた怜司だ。
「俺も気になって今調べた。船舶免許二級があれば、沿岸から5キロ以内ならどこまででも航海可能だそうだ」
「では、日本一周もできるということですか?」
「みたいだな。もちろん装備とかの条件はあるけど。何度か停泊してたのは、給油のために港に寄ったんだろう」
 へぇ、と皆から感嘆の息が漏れる。
「幽閉されていた場所から海に出たって言っても、例えば、紫苑は大阪で船は神戸から、なんてことも有り得るから、出航した港が絞り切れないわね」
「あ、そうか。出発地点が一緒とは限らないか」
 華の見解に、うーん、と弘貴が腕を組んで唸り声を漏らした。
「どちらにしろ出航記録は残る。港を当たるしか術がない。紺野さんたちに伝えておくが、調べるにしても時間がかかるだろう。紫苑、何か思い出したらすぐに報告してくれ」
「分かった」
「他には?」
「あの」
 小さく手を上げたのは美琴だ。
「千代と隗と皓が存在しているということは、前に樹さんが言っていた通り、蘇生術が存在するということですよね」
「そうなる。だが、君たちに教えている通り、これまでこの世に存在しなかったのは確かだ。つまり、新たに術を構築した術者がいる」
「でも、大戦の時に調伏されたんですよね。それでも可能なんですか?」
「可能だ。ただし条件はある」
 会合で聞いた説明と同じ説明を聞きながら、大河はダイニングテーブルの方をじっと見やった。樹は相変わらず椅子にもたれかかったままじっと目を閉じている。双子は少し眠そうだ。怜司をはじめ、他の皆は明の説明に真剣な顔で耳を傾けている。
 樹と怜司、さすがに双子はないとして、この中の誰かが、内通者。個人的に弘貴と春平は除外だ。となると、茂、昴、華、夏也、美琴、香苗の六人だが、判断材料が先日見た部屋しかない上に不確定すぎる。皆が寮へ来たきっかけも分からない。
 大河は静かに息をついた。
 弘貴たち三人に、昴といい樹といい、やっぱり過去のことを聞くのは勇気がいる。というより、そもそも誰をどう見ても内通者とは思えない。いや、思いたくないからそう見えないのか。
「調伏し切れない場合があるのか……」
 茂の呟きに、大河ははっと我に返った。
「霊力の影響が大きいから、そういうことも有り得るのね」
「気を付けないといけませんね」
 そうね、と華と夏也が神妙に頷き合う。
「でも、一見ちゃんと調伏したように見えるんだったら、確認のしようがねぇよな。なんで蘇生しようとか思ったんだ?」
「文献にも書いてないだろうし、もしかしたら賭けだったのかも。この事件も、蘇生術が成功しなかったら起こってなかったのかもしれない」
「賭けかぁ……なんか、新しい術を構築するくらいだからもっと計画的っていうか、確信があったのかと思ったけど、結構運任せって感じなのかな」
「どうなんだろう……何か確信を得られるような情報があったとは思えないけど、そればっかりは……」
 弘貴と春平の会話が途切れると、昴が心配顔でそろそろと手を上げた。
「あの、ちょっと気になったことが……。蘇生術があるということは、他の鬼も蘇生できるかもしれない、ということですよね……」
 あっ、と大河を含めた全員が虚をつかれた顔をした。
「確か、三鬼神って皆腹心がいるんだよね」
 大河が柴と紫苑を見やると、二人は同時に頷いた。
「もし腹心も蘇生されると厄介だね……」
 茂の神妙な呟きに、皆が重苦しい声を漏らした。
「可能性としては低いが、注意するに越したことはないな」
 不意に宗一郎が口を開いた。注目が集まる。
「どうしてですか?」
 大河が尋ねると、宗一郎は腕を組みながら言った。
「人の肉体と魂は、一本の糸のようなもので繋がっている。死んだ際にそれが切れることにより、肉体は腐敗し魂は浄土へと導かれる。ゆえに、一つの肉体には一つの魂しか宿り得ない。これがこの世の理だ」
 分かるか? と尋ねるように宗一郎に見据えられ、大河はこくりと頷いた。
「これを踏まえると、蘇生術は現世に呼び戻した魂、あるいはこの世に留まっている魂を肉体に定着させる術だ。糸が切れた肉体と魂を無理矢理結びつけることになる。この世の理を捻じ曲げるには、それなりの対価が必要になってくるだろう。我々陰陽師にとって霊力がそれに当たり、何度も行使すれば当然命に関わる。しかも今回の場合、隗と皓の肉体はすでにこの世にはない。さらに奴らは鬼だ。つまり――」
 宗一郎は言葉を切り、言明した。
「人の肉体に鬼の魂を定着させたことになる。負担は計り知れない」
 それは、誰もが気付いていながら、あえて口にしなかった事実――隗と皓、そして千代を蘇生させるために、生贄にされた者がいる、と。
「ただ、千代の場合は少々異なる。彼女は、れっきとした人間の悪鬼であり、自らの意思で人に乗り移り生き長らえていた。現世に魂を呼び戻すことさえできれば、取り憑くことが可能だ。盗まれた骨は、おそらく定着率を上げるために器となる人間に飲ませた、あるいは呼び戻す際の呼び水のような形で使用されたのではないかと考えている」
「飲ませたって、骨を、ですか……?」
「仮説が当たっていればな」
 悪鬼が取り憑いていた人の骨はそれだけで邪気を帯びる。だから千年以上もの間、鬼代神社で秘匿され続けてきた。そして悪鬼は、邪気が強い者に取り憑く習性がある。邪気を帯びた骨を取り込んだ体、しかもそれが自分の邪気ならば、確かに定着率は上がるだろう。
 さすがに丸ごとではないだろうが、砕いたにしろ骨を飲ませるなんて。大河は渋面を浮かべた。
「じゃあ……」
 昴がぽつりと呟いた。
「僕たち、人を……調伏するんですか……?」
 真っ青な顔でゆっくりと告げられた言葉に、皆が一様に息を詰めた。
 鬼や悪鬼の魂を宿しているとはいえ、彼らの体は、人として生まれ生きていた、自分たちと同じ人間だったのだ。隗は一人の男性を、千代と皓は二人の女性を犠牲とし蘇生された。犠牲となった上に、鬼と悪鬼に乗っ取られた人間の肉体を、魂ごと完全にこの世から消し去らなければならない。
 大河はごくりと喉を鳴らし、柴と紫苑を盗み見た。わずかな動揺すら見えない、落ち着いた表情。二人は、すでに覚悟を決めていたのだ。
 息苦しいほどの沈黙を破ったのは、宗一郎の明瞭な声だった。
「もう、人ではない」
 一瞬、時間が止まったような感覚に陥った。言葉の意味を理解するのに時間がかかり、大河は目を見開いて宗一郎を凝視した。
 今、何て言った?
 皆が言葉を失う中、宗一郎は柴へ視線を投げた。
「柴、千代の特徴は」
 柴はついと視線を宗一郎へ向けた。
「目は血のような赤、髪は闇のような黒。まだ幼い少女だった」
「大河」
 続け様に名指しされ、大河はびくりと肩を跳ね上げた。
「隗の特徴を言いなさい」
 強い命令口調に慌てて頭を動かした。
「えっと、つ、角と赤い目と白い髪」
「そうだ。髪はともかく、鬼の特徴である角と深紅の目が現れている以上、すでに肉体も鬼と化している。また千代が持つ深紅の目は、人ならざる者の証だ。同じく現れていたとしたら、もう人ではない」
 躊躇することなく言い切った宗一郎に、大河は目を見開いた。この人は、どうしてこうも簡単に割り切ることができるのだろう。
 一同から同意や納得の言葉が上がることなく、しばらく時間が過ぎた。と、
「俺は、宗一郎さんに同感だ」
「あたしもです」
 迷いのない声で同意を示したのは、怜司と美琴だった。皆が戸惑った表情で二人を見やり、しかし同意の声は上がらない。
 やがて、じっと沈黙を通していた樹が顔を上げた。
「僕も同感」
 樹は溜め息交じりに言いながらすっかり冷めたコーヒーに手を伸ばし、一気に飲み干した。
「で、でも、元々は……」
 恐る恐る反論しかけて言葉を切った春平を、樹は一瞥した。
「皆、さっきの宗一郎さんの説明、聞いてなかったの?」
 無言のまま、樹へと視線が集まる。樹はカップを置くと椅子に背を預け、足と腕を組んで皆を見渡した。
「一つの肉体には一つの魂しか宿り得ない。つまり、体の元の持ち主はもういない。でもね、自分の体を鬼の蘇生に利用された挙げ句、犯罪にまで利用されてるんだよ。いいの? それで」
 虚をつかれた。
 体の持ち主が何故悪鬼や鬼の蘇生に選ばれたのか、死因はなんだったのか、病死、事故、あるいはこのために殺されたのか。それは分からない。けれどもし、
「元は人間、でも今は鬼。だからこそ、調伏してあげるべきじゃないの? それが僕たち陰陽師の役目じゃないの?」
 もし肉体の持ち主がまだこの世に留まり、自分の体が誰かの手によって利用されていることに、嘆き悲しんでいるとしたら。
 ああ、そうか。
 陰陽師の役目は、穢れとされる悪霊や怨霊を祓い、生者を守ることだ。引いては、憎しみや恨みに囚われた人の魂を、苦しみから解き放つことに繋がる。
 柴と紫苑は、もう覚悟を決めている。ならば、二人のためにも、肉体の持ち主のためにも、自分も覚悟を決めるべきだ。大河は皆を見つめる宗一郎へ視線を投げ、きゅっと表情を引き締めた。
「そうだね、確かに樹くんの言うとおりだ」
 初めに同意を示したのは茂だった。
「僕たちは、陰陽師なんだから」
 ふっと自嘲気味の笑みを浮かべ、すぐに力強い眼差しを上げた茂に続いたのは、弘貴。
「うん、そうだよな。死んでるからって自分の体を利用されるとか、やっぱ嫌だよな」
 自分に言い聞かせるように呟いた弘貴に続いたのは、華と夏也だ。二人とも、船を漕ぎ始めてしまった双子に愛おしそうな視線を落とした。
「確かにそうよね。想像しただけでぞっとするわ」
「救ってあげられるのは、私たちだけですね」
 さらに続いたのは、まだ少し迷いを残したまま顔を引き締めた香苗だ。
「が、頑張りますっ」
 だが、春平と昴は続かなかった。二人揃って俯き、じっと一点を見つめている。
「別に、今すぐ覚悟を決めろなんて言わないけど、でもどこかで割り切らないと、死ぬよ?」
 樹が言った最後の一言に、二人は同時に肩を震わせた。
 宗一郎も樹も、犠牲になった男女のことだけを思って言ったのではないのだ。迷いは躊躇を生む。千代や隗と皓と対峙した時、それは命を落とすことになりかねない。
 大河はじっと樹の横顔を見つめた。
 宗一郎が、何故ここまで皆に信用されるのか。迷子事件の後、矛盾がある蘇生術を指摘した樹に何故皆は反論しなかったのか。その理由が、やっと分かった。
「……はい」
「……分かりました」
 しぶしぶとと言った風ではあったが、ぽつりと返事をした二人に樹は深々と溜め息をついた。と思ったら、勢いよく大河を振り向いた。
「ていうか大河くん」
「はい?」
 大河が首を傾げると、樹はにやりと口角を上げた。
「この前もそうだったけど、なんで僕をそんなに見つめるのかな。本当は僕のこと好きでしょ」
 いかにもな樹の表情と台詞に、柴と紫苑以外の全員が頬を引き攣らせて笑いを堪えて大河を見ている。そんな中で大河はじっと樹を見つめて逡巡し、ふわりと笑みを浮かべた。
「はい」
 端的な返事に、柴と紫苑以外の全員が一斉にぶはっと噴き出し、笑いの渦が巻き起こった。船を漕いでいた双子が弾かれたように飛び起きて、何事かときょろきょろ回りを見渡している。美琴は少々呆れ気味の表情だが、閃や右近、左近、夏也の無表情組まで顔を逸らして肩を震わせている。なんでこんなに笑われてるんだろう。
 一方、満面の笑みで返答された樹は、呆気にとられた顔で目をしばたき、視線を泳がせると、ふいと顔を逸らした。
「……そう……ありがと」
 俯いて小声でそれだけ言うと、樹はますます俯いた。あ、これ照れてる。髪で表情は見えないが、そう分かるくらいには、樹のことは理解でき始めている。
 先程の張り詰めた空気が嘘のように笑いに包まれる中、一本取られたな樹、うるさいなっ、と怜司に噛み付く樹を見て、大河は満足した笑みを浮かべた。
 なんだか初めて樹に勝てた気がして、とても清々しい。これまで溜まっていた鬱憤が一気に晴れたようだ。
「た、大河、お前……」
「え?」
 笑い声の隙間で名前を呼ばれ、大河は緩んだ顔で宗史と晴を振り向いた。宗史は手で口を覆って笑いを噛み殺し、晴は呼吸困難気味だ。
「公然告白……っ」
 声を絞り出すように吐き出した晴に、大河はきょとんとした。告白、と頭の中で反芻し、さらに先程の自分の行動を振り返ってはたと気付く。まさか笑われているのはそういう意味か。大河の顔が一気に紅潮した。
「ち……っ、違うそういう意味じゃないし!」
「勇気あるな、お前」
「宗史さんまで! ていうか分かってて言ってるよね!?」
「当然」
 声を揃えて茶化しました宣言をされ、大河は肩を怒らせた。皆には笑われるし宗史と晴には茶化されるし、と大河は心でぼやきながらちらりと柴と紫苑を盗み見て、すぐに視線を逸らした。柴は無表情だが、紫苑から物凄く警戒した視線が飛んでくる。昨日の風呂場での件もあり、紫苑の中で疑惑が深まったようだ。
「樹さんが余計なこと言うからっ!」
 堪らなくつい口から出た苦言を耳ざとく聞き付けた樹が、ぐるりと首を回して振り向いた。
「はあ!? 余計なこと言ったのは大河くんでしょ!」
「樹さんが聞いてきたから素直に答えただけじゃないですか!」
「ああいうのは素直に答えなくていいんだよ!」
「何で!」
「樹、大河、痴話喧嘩はやめなさい」
「痴話喧嘩じゃないッ!!」
 聞き捨てならない口を挟んだ宗一郎に同時に噛み付くと、宗一郎は再び噴き出して明と共にソファに沈んだ。どう返ってくるか分かってやっているのだ。質が悪い。
 せっかく尊敬し直したのにこれだよ、と膨れ面でぼやく大河に、宗史と晴がくつくつと笑いを漏らす。
「もう宗一郎さんと明さん笑い過ぎ、話し進めてよ!」
 苛立った樹がばんばんとテーブルを叩き、真似をしようとした双子を華と夏也が止めた。
「ちょっと樹、叩かないで。藍と蓮が真似するでしょ。ていうかあんた、体調大丈夫なの?」
「もう平気、大丈夫」
「そう、それならいいけど」
「後でいいから、何か甘い物ちょうだい」
 膨れ面で回復早々らしい要求をされ、はいはい、と華は安堵と呆れが混じった笑みを浮かべた。
 あれだけ人をからかう気満々な顔ができれば大丈夫だろう。ほっとしたような、もう少し殊勝になって欲しいような、複雑な気持ちで大河は息をついた。
 ほぼ同時に、向かいでは宗一郎と明を宥めていた陽が疲労感満載で息をつき、笑い上戸当主二人がやっと笑いを収めて居住まいを正した。だが、宗一郎が目を合わせてくれない。どうせ合うとまた笑いそうだからわざと逸らしているのだ。目が合うまで見続けてやろうか、とくだらない仕返しが頭をよぎったが、仕返しの仕返しが怖いのでやめておいた。

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