第3話

文字数 1,740文字

「……すまない」
 ふと、柴が呟いた。
「守り切れず、すまなかった」
 一体何を言われたのか、一瞬理解できなかった。目を丸くし、ゆっくり顔を上げると視線が合った。深紅の瞳が分かりやすく、ゆらりと揺れた。
 すまなかった、と言ったのか。三鬼神が。
 野鬼との争いは、今に始まったことではない。先代、先々代、もっと以前から続いてなお、どれだけ手を尽くしても未だ掌握し切れない厄介な連中なのだ。だから仕方ないと、言い訳ができるのに。
 驚いたというよりは、衝撃だった。東国の鬼たちの頂点に立つ三鬼神ともあろう方が、たかが配下の子一人に謝罪するなんて。
 父と母が言ったように、優しい方なのだ。
「さ……」
 柴主が謝ることなどありません。そう告げようとした時、屍の上から大きな影が降ってきた。屍を踏みつけたらしい。おっと、と驚いた様子で足を避ける。敵か。
 思わず息を詰めた紫苑に、柴は腰を上げながら言った。
「案ずるな。私の腹心だ」
「腹心……」
 呟いて、紫苑は柴の影から恐る恐る彼を覗いた。
「これはまた、ずいぶんな数ですなぁ」
 呆れているのか茶化しているのか分からない軽い口調とは裏腹に、声は太く、身の丈は七尺(約二メートル十センチ)ほどあろうか、体躯は先程の襲ってきた鬼と同じで筋骨たくましい。濃くて太い眉にぎょろりとした目、真ん中に居座る骨ばった鼻と大きな口。無造作に束ねた髪は肩ほどの長さで、左腰には二振りの刀を佩いている。見るからに迫力があって屈強そうだ。
 そんな体躯に似合わず、ひょいひょいと、軽々と屍を飛び越えて柴の元へ辿り着き、ぐるりと視線を巡らせてから、紫苑に目を止めた。
「もしや、童一人にこの数を?」
「ああ。紫苑だ」
 腹心は「ああ」と思い当たったように呟くと、眉をひそめて大きな溜め息をついた。
「奴らには恥も外聞もありゃしませんね。しかも、なかなか美しい(かんばせ)だ。捕えられていたらどうなって……」
玄慶(げんけい)
 柴が語気を強めると、玄慶と呼ばれた腹心はぱっと両手で口を覆い、肩を竦めた。
「こりゃ失敬」
 どことなく愛嬌があるというか、気安さを感じさせる仕草だった。見た目ほど怖い鬼ではないのかもしれない。ただ遮られた言葉の続きが分からずに、紫苑は小首を傾げた。
「して?」
 短く問われ、玄慶が姿勢を正した。
「餓虎の一派のようです」
「やはりか……他に、生き残りは」
「いえ、残念ながら。残党がいないか、周囲を暁覚(ぎょうかく)らに探らせております。隊に被害は出ておりません。それと、根城からも襲撃を受けたとの知らせはありません」
「……そうか」
 柴は怪訝そうに小さく呟いて逡巡し、改めて紫苑の前にしゃがみ込んだ。
「紫苑。私は、今から集落へ戻る。……お前は、どうする?」
 少々言葉足らずな問いかけは、それでも何を言いたいのか理解するのに十分だった。紫苑は抱きしめたままの刀に目を落とし、ぎゅっと唇を噛んだ。
 戦い方、狩りの仕方、食べられる野草や木の実が生る場所、三鬼神の配下としての決まりごと。そして、柴の信条。父と母、集落の仲間から色々なことを学び、たくさんの愛情を注いでもらった。
「この手で……」
 紫苑はぽつりと口を開くと、挑むような眼差しを持ち上げた。
「自らの手で、弔いとうございます」
 刀を握るこの手はまだ小さいけれど、仲間の敵を討つために、無念を晴らすために、如何な凄惨な光景であろうとも目に焼き付けておかなければと、そう思った。
 強い覚悟の色を滲ませて見上げる紫苑に、柴は一拍置いて小さく頷いた。
「では、共に」
「はい」
 大きく頷いて腰を上げると、玄慶にひょいと抱えられて肩に乗せられた。
「あの……っ」
「私や柴主について来れぬだろう?」
 にんまりと意地の悪い笑みを向けられて、紫苑は目をしばたいた。こちらの心情を察した上で挑発している。ならば、弱気な返答はできない。真っ直ぐ進行方向へ顔を上げ、いずれ、と言いかけて思い直す。
「すぐに、追い付きます」
 強気の発言に今度は玄慶が目をしばたくと、弾かれたように豪快な笑い声を響かせた。
「あっはっは! これは頼もしい。のう、柴主」
「そうだな」
 微かに笑みを浮かべた柴に、紫苑ははにかんで肩を竦めた。
「では、行こう」
「御意」
 玄慶と紫苑が声を揃え、集落へ向かって走り出した。
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