第10話

文字数 4,012文字

 八時になっても動きがない。自分たちなら陽が落ち始める七時を回った時点で様子を見に行く。指示を出した方がいいか、と少々残念に思っていると、
『一旦自宅へ行って様子を見てきます』
 と美琴から連絡が入った。それからしばらくして、香苗のGPSが途絶えた。
 自宅で何かあったのだとしたら、必ず右近が気付く。宗一郎から右近を監視につかせるとは言われなかったが、確実に香苗の自宅に張り付いていると断言できる。あんな状況で保護したせいか、右近の香苗への並々ならぬ庇護欲は、二年以上前から寮にいる者たちの間では有名な話だ。
 さてどう動くか。高みの見物を決め込んでいると、茂と華が自宅へ到着する前に昴と美琴が動いた。亀岡市方面。すぐに美琴から連絡が入った。
『首塚の方から強い邪気を感じるので、行ってみます』
 首塚といえば、有名な心霊スポットとなっていると同時に、不法投棄の穴場でもある。
 内通者は動かず、美琴からの報告も何もない。香苗の自宅の現状を推測すると、不法投棄をするため、あるいは何らかの理由で連れ出された可能性が高い。おそらく父親に携帯を取り上げられてGPSがバレたのだろう。どん臭いなぁ、とは樹の言だ。
 昴と美琴が到着する前にGPSが復活した。やはり首塚だ。
 邪気を感じたということは、酒吞童子の怒りを買ったらしい。敵側の誰かが介入してきたとしても、同じ神である右近と閃がいて、戦力は十分。彼らはどう切り抜けるか。
 しばらく連絡が途絶え、次にかかってきたのは「事態は収束したが、美琴が過呼吸を起こして閃が送り届けている」という華からの意外な報告だった。これまで一度としてなかったのに、何があったのか。ひとまず了解して通話を切った。
 皆が帰ってくるまで待つと言って聞かなかった双子が船を漕ぎ始めたため、夏也と怜司が双子を部屋へ運び、怜司だけが戻ってきた。
 とりあえず晴が明へ、宗史は宗一郎へ報告を入れた。その時、大河たち四人への処分内容と伝言に加え、夏也への提案も一緒に言付かった。
 しばらくして夏也が下りてきて、美琴を抱えた閃が戻った。手足のしびれや筋肉の痙攣はなかったようだが、念のために明日病院へ行くよう言い聞かせた。風呂に入ってすぐに休むよう言うと、美琴は俯いたまま「はい」と覇気のない返事をしてリビングを出た。
 閃によると対処したのは弘貴らしく、二人の関係と美琴の性格を考えるとその心境は考えるまでもない。
 夏也が野菜のたっぷり入った雑炊を作り、風呂から上がった美琴の部屋まで運んだ。
 GPSを確認しつつ、タイミング良く食事が出せるように夏也が気を利かせたが、一つだけ考慮していないことがあった。臭いだ。一応軽く説教はしておかなければと思い玄関へ出たのはいいが、強烈な臭いに耐えられず、早々にリビングに引っ込んで風呂に行かせた。まさかあんなに臭いとは。どれだけゴミを溜め込んでいたのだろう。
 一安心したところで何気なく庭の方を見ると、閃が縁側で戻ってきた柴と紫苑と一緒に何かひそひそと話していた。そして三人が視線を向けているのは、庭にいる右近だ。地面に目を落としてぼんやりと突っ立っている。
 四人揃って縁側に出て、晴が尋ねた。
「あいつ、どうしたんだ?」
 柴と紫苑は小首を傾げ、閃は珍しく呆れ気味の息をついた。
「道中、ずっとあの様子だ」
「車を追っているにもかかわらず、あらぬ方へ行こうとしていたぞ」
「は?」
 柴と紫苑の答えに、宗史らが揃って目をしばたいた。
「右近、どうした。大丈夫か?」
 神気を使い果たしたようにも見えない。宗史が声をかけると右近はゆらりと視線を上げ、ぽつりと言った。
「……香苗は、強くなったのだな……」
 と。しばしの沈黙が流れ、ぶはっと噴き出したのは晴と樹だ。宗史と怜司は口を覆って顔を逸らし、閃はますます呆れたように目を伏せ、柴と紫苑は揃って首を傾げた。
 しみじみと言うよりはどこか切なげな声色に、その意味を察した。右近にとってそう感じる出来事があったようだ。無表情ながらもしゅんとした様子の右近など、滅多に見られない。というか初めてだ。宗一郎と明がいたら笑い死にしている。
「まあまあ、とにかく上がれよ。お疲れさん」
 茶化すような顔で室内へ促す晴に、右近は素直に従った。キッチンから様子を眺めていた夏也が、すかさず麦茶を運んできた。お疲れ様です、とどこか同情を含んだ声がかけられた。
 柴と紫苑も風呂へ入るように言うついでに尋ねた。
「右近は香苗を監視していたか?」
「ああ」
 やっぱり、と言って顔を見合わせる宗史たちに、紫苑が小声で付け加えた。
「隗が仲裁に入った。大河の邪気が一気に膨らんだぞ」
 そう言い残してリビングを後にする二人の背中を、宗史らは目を丸くして見送った。
 しばらくして、大河だけが風呂から上がってきた。背中を強打したらしい。両手で握ったグラスに目を落としたまま微動だにしない右近に首を傾げつつ、閃から軽く治癒を受けた。
「あのさ、閃。治癒って、病気に効かないの?」
「ああ。病を治すことはできん」
 言い切られ、大河は「そっか」と残念そうに呟いた。美琴のことか。もし病気を治癒できたのなら、今頃桜の体も丈夫になっているだろう。例え神であろうとも、万能ではない。
 風呂から上がってきた順に食事を終わらせ、報告に入る。いつも宗一郎たちが座る場所には、右近と閃が座った。
 ひとまず、一昨日の哨戒時、コンビニで再会したという香苗の報告からだ。
 あの日、休憩でコンビニに立ち寄った際、茂がトイレへ行っている間に、香苗は飲み物を買い求めたらしい。
 車の側で茂を待っていると、作業着を着た五人組の男たちが連れ立って敷地に入ってきた。何気なくそちらを見やった香苗はすぐ父親に気付き、また父親の方も、呆然とする香苗に気付いたらしい。初めは驚きの顔をし、苦い表情を浮かべて顔を逸らしたがすぐにまた香苗を見て、にやりと口の端を上げた。
「香苗じゃねぇか。なんだ久しぶりだな、何してんだこんなとこで」
 親しげに声をかけながら近寄ってくる父親に、仕事仲間らしい男たちが興味津津な顔をして後に続き、あっという間に囲まれた。
「もしかして、野田さんの娘さんっすか。例の別れた奥さんに引き取られたっていう。可愛いっすね」
「そうそう。あ、そうだ香苗、お前夏休みだから暇だろ、久々に親子水入らずで会わねぇか? 明後日休みだからさ、迎えに行くわ」
「おー、久々の親子の再会、いいっすねぇ」
「感動的だろ」
 そう言って父親はげらげらと笑った。そこへ茂が戻ってきた。父親は香苗の耳元で「逃げんなよ」とドスの利いた声で囁き、その場を離れた。あれ誰すか、と尋ねる仲間に、元嫁の父親、と適当なことを言いながらコンビニへと入って行ったのだという。
「知ってたのか……」
 呆れ気味にぼやいた弘貴に、香苗は肩を竦めて「ごめんなさい」と呟いた。
「小言はあとだ。香苗、続けて」
「はい……」
 寮を出てから大河たちが到着し、掃除が終わるまでは特に変わったことはなかった。それから父親と連れの女とのやり取り、首塚へ行くことになった経緯、戦闘、そして隗の介入。さらに右近の父親への「仕置き」。途中、香苗が父親に言い放った台詞を聞いて、ああこれか、と思わず宗史らは同時に右近を盗み見た。
 おそらく、この事件そのものは偶然だ。
 香苗が内通者だった場合、事前に父親が来ることを知っていたのならもっと綿密な計画を立てる。そもそも、絶対に酒吞童子の怒りを買うという保証がない。それに父親を逃がしたりはしないだろう。これに乗じて父親を酒吞童子に食わせるよう仕向ける方が自然だ。
 だが、公園襲撃事件と今回の件、隗が現れた事件の両方に香苗が絡み、二度とも命拾いしている。今回の隗の判断はもっともだが、しかしこちらの戦力を削ぐにはいい機会だった。不自然さを拭えない。念のために父親と女の生存を確認した方が無難か。
 また茂たち哨戒組の方は、トイレ休憩を挟めば五分程度なら一人になれる。連絡を取るなら十分だ。しかし、右近が自宅に張り付いている以上近くで監視することはできないし、香苗の携帯が切られたことで行く先も分からない。もし首塚に行くまでに不審な車や気配があれば右近が気付く。四人の中に内通者がいたとしても、あのタイミングで隗を向かわせるのはほぼ不可能だ。潜伏先が首塚周辺だったのなら可能だが。
 一方夏也も同じで、あれからほとんどリビングにいて、途中からは体術訓練を初めた樹と怜司に加わり、食事の支度をし、香苗のGPSが復活してからはずっと一緒にいた。仲間に連絡を取るのは難しい。
 全体的に見て計画性は感じられないが、だからこそ、香苗は内通者でないと断定するには早計だ。右近には悪いが。
 ただ、その右近が助けに入ったタイミングは、気になる。まさか――。
「香苗」
「はいっ」
 香苗が姿勢を正し、顔を引き締めた。
「報告を聞く限り、二度と来ないだろうが保証はない。もしまた同じことがあれば、必ず報告するように」
「はい、必ず守ります」
「大河、弘貴、春」
「はい」
 三人同時に返事をして背筋を伸ばす。
「お前たちは、牽制の仕方を覚えろ」
 状況にもよるだろうが、暗に「常識が通用しない輩には術を行使して構わない」と告げた宗史に、三人は一瞬声を詰まらせた。しかしすぐに表情を引き締めて、大きく頷いた。
 香苗がおもむろに腰を上げ、視線を巡らせた。
「皆さん、本当にご迷惑をおかけしました。すみませんでした」
 そう言って深く頭を下げた香苗に、茂が言った。
「香苗ちゃん、そう何度も謝らなくていいよ。僕たちは迷惑だなんて思ってない。心配はしたけどね」
「もし次があったら、力づくでも止めるわ」
「そん時は遠慮なくぶん殴らせてもらう」
 便乗した華と弘貴の物騒な宣言に笑い声が漏れる。二度と来ない方が父親と女にとっては身のためだ。
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