第22話

文字数 2,616文字

 熊田が言った。
「それにだ。あの件をきっかけに、俺たちは事件の真相を知ったんだぞ」
「あ、だから一緒に。じゃあ……」
 北原は熊田と佐々木を交互に見やった。佐々木が笑顔で頷く。
「ええ。今、あたしたちも協力してるの」
「そうですか」
 嬉しそうに顔を緩めた北原を諌めるように、熊田が厳しい声で続けた。
「ただな。言われなくても分かってるみたいだが、お前の行動は軽率だった。そこは反省して、二度と同じことをするな。いいな」
「はい。すみませんでした」
 北原は真剣な面持ちで両手を揃え、首だけで頭を下げた。鎮痛剤が効いているとはいえ、無理に動かすと痛いだろう。熊田も特に指摘することなく、よしと頷いた。
 紺野が言う。
「北原、あれからのことを詳しく話してやりたいんだけどな、俺たちは捜査本部に戻らなきゃいけねぇし、下平さんも冬馬と会うことになってる。とりあえず簡単でいいか」
「はい」
 紺野は、詳細やいきさつは省き、捜査に復帰したこと、犯人たちの名前と、うち二名は蘆屋道満の子孫であること、加賀谷と草薙親子の関与、怜司と栄明のこと、椿のこと、これからの敵側の狙いと楠井家の調査、影綱の独鈷杵、そして秘術のことを伝えた。
 結果のみの報告に北原は余計な口を挟むことなく、けれど椿のことはさすがに驚いて宗史の心配をし、怜司のことについては驚いていた。
「まさか、裏でそんなことが……。あれ、じゃあ明さんたちは、怜司くんのことは内通者候補から外していたんですか?」
「どうだろうな。いくら協力していたとはいえ、復讐する理由があることに変わりはねぇし」
 怜司は心から香穂を愛していた。何せ彼は、二年を費やして報復したのだ。その間に痺れを切らし、もういっそこの世ごと、と心変わりしてもおかしくない。
 薄情とも言えるが、人の命がかかっている以上仕方がないし、怜司も理解しているだろう。
「あと、草薙のことはニュースで大々的にやってる。警察(こっち)でも二課と監察が動いてて、沢村さんも聴取を受けてるそうだ」
 未だ連絡がないということは、まだ終わっていないのか。
「確か、加賀谷管理官の後輩でしたっけ」
「ああ」
 ずいぶんと慕っていたが大丈夫だろうかとは思うが、こちらも今は色々と考えることがある。
ふと、下平が思い出したように言った。
「そういやお前、聴取は?」
「あ、一応終わってます。犯人については心当たりがないと言っておきました。メモ帳のことも聞かれたので、無くなっている理由は分からないと。あとお守りなんですけど、下平さんから貰ったことになってましたけど……」
「聴取に間に合ったか。俺がそう言ったんだ。いつまでも探られると面倒だろ。どこからあいつらのことを知られるか分かんねぇからな」
「良かった。間違いないですって言ったので、探られることはないと思います。えっとあとは……、どうして近藤さんに会いに行ったのか聞かれたので、鑑定のことを詳しく聞きに行ったと……」
 口実だ。本当は問い質すつもりだったのだろう。全員から嘆息が漏れる。すみません、と北原が肩を竦めた。と、紺野が思い出した。
「そうだ。その近藤だけどな、あいつにも全部話してある」
「そうなんですか?」
「ああ。それとこれ、預かってきた」
 内ポケットを探り、真新しいお守りを引っ張り出す。
「ありがとうございます」
 ふと会話が途切れ、妙な空気が流れた。お守りを握ったまま、北原が何か言いたそうにじっと見つめるものだから、紺野は首を傾げて見つめ返す。下平たちも不思議そうな顔をして二人を見守っている。
「何だ?」
 尋ねると、北原は恐る恐るといったふうに口を開いた。
「あの、紺野さん……」
「うん?」
 何やら言いあぐねて、北原は意を決したように目に力を込めた。
「む、昔、小学生を助けたこと、覚えてますか」
「あっ、馬鹿お前……っ」
 即座に苦言を呈したのは下平だ。慌てて心持ち身を乗り出す。一体なんだといった顔で、紺野と一緒に熊田と佐々木も下平を見やった。
 確かに、警察学校に入る前、春の鴨川で子供を助けたことがある。紺野は翌日の十日に入校式を控えていて、大学へ進学した数名の友人たちと遊びに行った時のことだ。
 三人の小学生男子が、水色のランドセルを背負った一人の女子をからかっている場面に遭遇した。上級生くらいだろうか。少女を取り囲み、蔑んだ声で「男女(おとこおんな)ぁー」などと言って笑っていたから、女子が水色のランドセルを使っていることに対しての嫌味だろうと思った。今どき色ごときで、いやいや気を引きたいんだろ、と友人らと半ば呆れながらすれ違った直後、ドンと何かを押したような鈍い音と、派手な水しぶきの音が耳に飛び込んできた。
 驚いて振り向くと同時に、周囲から甲高い悲鳴が上がった。
 その日の前日は大雨が降り、川は増水して流れも速かった。午後になって幾分か収まっていて、濁流というほどではないが、小学生が泳ぐには難しいと分かるくらいにはまだ収まり切っていない。落ちた衝撃で肩ひもが抜けたらしい、波打つ水の隙間から、流されていく水色のランドセルと助けを求める細い腕が見えた。
 考えるより早く体が動いた。友人が止めるのも聞かずに、消防と救急を呼べと叫びながら、川に飛び込んだ。
 もがくように泳いで追い付き腕に抱えて岸へと辿り着いた時には、少女は息をしておらず、額から血を流していた。流木が当たったか、岩にぶつけたのだろう。
 周囲の大人たちの協力で止血と人工呼吸が施され、少女は一命を取り留めた。すぐに消防と救急車が到着し、警察まで出動する騒ぎとなった。
 突き落とした子供たちは真っ青な顔で泣きじゃくって話しにならず、また紺野は消防隊員にきつく注意を受けて、念のためと病院に連れて行かれた。さらに友人らに激怒され、連絡を受けて病院に駆け付けた両親にしこたま説教され、挙げ句の果てに昴に号泣された。
 今思えば危険なことをしたと分かるが、あの時は助けることしか頭になく、本音を言えば後悔はしていない。
 あんな出来事、忘れるわけがない。
「鴨川で溺れて助けたやつだろ? そりゃ、覚えてるけど……つーか、なんでお前が知って」
「じゃあっ」
 紺野の言葉を遮って、北原はごくりと喉を鳴らした。
「そ、その子の名前は……」
 探るような問いかけに、紺野はますます訝しげに眉を寄せる。
「近藤千早だろ?」
 あっさりと口にした紺野に、北原と下平だけでなく、熊田と佐々木も目をまん丸に見開いた。
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