第8話

文字数 2,291文字

 宮司に結界を張る場所を説明し、陽が落ちるまでにはここから離れるようにと伝え、茂たちは森を抜けて西鳥居に出た。茂たちの位置からだと、右に西鳥居、正面に駐車場、左手に西門が建っている。そしてもう一つ。ここからは見えないが、左手奥に正門へ続く道の入り口がある。手水舎は正門の側にあるので、茂たちはそちらから境内へ入った。
 少しずつ陽が傾き始める七時。
 石で出来た三本の車両止めの間をぬうと、真っ直ぐな砂利道が遠くの方まで延びており、その先にかろうじて小さな鳥居が見える。長さは百五十メートルほど。秋祭りに流鏑馬神事(やぶさめしんじ)が行われる、西門と東門を繋ぐ馬場だ。
 砂利道を進み、手水舎で手と口を清め、いざ正門へ。ちなみに、右近はともかく、柴も興味深そうに茂たちの真似をしていた。それはいいのだが、先程から一つ、気になることがある。
 茂は、美琴へハンカチを返す柴を見やった。
「柴。大丈夫かい?」
 問うや否や、柴は首を横に振り、門の奥へ視線を投げた。
「ここはそれほど問題ないが、できれば、あの中へは足を踏み入れたくない」
 やっぱりか。神社は神域だ。しかもここは、国を生み、神々を生んだ神が祀られ、さらに巨大結界を支える一端。さすがの柴も、本殿が近いと厳しいらしい。鬼とはいえ、国を守ろうとしてくれる彼を神々に知っておいて欲しかったのだが。
「そうか……」
 茂が残念そうに呟くと、柴はさして気にした様子もなく言った。
「先に、周囲を見回っておく」
「うん。じゃあお願いするよ」
 柴はこくりと頷き、大きく跳ねて東門の方へ姿を消した。
 鬼らしくないなと、何度も思った。けれど、鬼だからこそ神域は居心地が悪い。こんな時、改めて思い知らされる。柴は、人を食って生きる鬼なのだ。
「行こうか」
「はい」
 茂が先行し、一礼のち、門をくぐる。桧皮葺の屋根を乗せた正門は、以前は左右に随身像(ずいじんぞう)が置かれた随身門(寺院で言うところの仁王門にあたる)で、三棟造だったらしい。明治時代に再建され、今は授与所や祈祷受付を兼ねた授与所棟になっている。
 正面に拝殿、後ろに本殿が建ち、左隣に渡廊(わたりろう)で繋がった祓殿(はらえでん)がある。本来なら、先にこちらで身を清めてから参拝するのが習わしになっているそうだが、申し訳ないけれど境内を見て回る時間を考えると悠長にしていられない。石畳を進み、拝殿の前で横一列に足を止める。茂、美琴、香苗、右近の順だ。
 左右に狛犬と大きな灯籠を従え、白い提灯がずらりとぶら下がり、太いしめ縄に紙垂(しで)。明治初頭に再建されただけあって、歴史を感じられる趣ある古さと重厚感を兼ね備えている。
 また舞殿を兼ねており、毎月二十二日の「夫婦の日」には夜間特別参拝が可能になり、子供たちが舞う「国生み神楽」が観賞できる。大鳥居から参道、正門、拝殿、そして見どころの一つでもある「夫婦の大楠」がライトアップされ、本殿から天へ向かって放たれる青白いライトは、実に幻想的で神秘的な光景を見せてくれる。
 と、右近がおもむろにしゃがみ込んで片膝をついた。ぎょっとして、中途半端に腰を折った体勢で各々動きを止め、見下ろす。
 目を丸くして固まる三人の視線に気付いて、右近がこちらを見上げた。しばし妙な沈黙が流れ、やがて右近が言った。
「私にとっては、曾祖父母にあたるのでな」
 その答えに、三人揃って逡巡する。
水神の眷族である右近の生みの親は、貴船神社の主祭神である高龗神(たかおかみのかみ)。別名、闇龗神(くらおかみのかみ)。その高龗神は、神産みの際、その性質から伊弉冉尊(いざなみのみこと)に火傷を負わせ死なせたことから、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)に切り殺された火神の迦具土神(かぐづちのかみ)の血から化成(かせい)したと伝えられている。人に置き換えると洒落にならない壮絶な家庭環境だ。
 右近からしてみれば、曾祖父が祖父を殺したことになるのだが、それでも「祖先」として敬う相手なのだろう。まあ、そもそも人と同じ感覚で考えることが間違いなのかもしれないが。
「あー」
 揃って納得の声を上げた茂たちに、満足げに頷いて右近は恭しく頭を垂れた。改めて茂たちも二礼二拍手。ひ孫さんたちにはいつもお世話になっておりますと、式神たちの顔を思い浮かべて礼を告げ、一礼を済ませてその場をあとにする。
 正門を出て、茂たちは足早に境内を見回った。
 神宮のホームページの境内案内図を参考に、手水舎や「せきれいの里」、日時計の「陽の道しるべ」「淡路祖霊社(あわじそれいしゃ)」など、次々と結界を張って歩く。案内図は簡略化されているため、実際に見ると思ったより距離が近かったり遠かったりしたが、これといって問題はなかった。ただ、案内図に載っていない本殿の敷地と隣接する建物が西側にあり、避けて結界を張るのは難しかった。仕方ないので、駐車場へはみ出す形で結界を張ることで落ち着いた。見える人がいないことを祈る。
 一通り見終わり、正門の前に戻ってくると、一足先に柴が戻っていた。
「どうだった?」
「今のところ、侵入した者はいないようだ」
「そう」
 茂は一つ唸った。
「やっぱり、待機するのならここが一番見通しいいかな」
 馬場を挟んだ向こう側には放生の神池が広がり、曲線を描いた石橋と平坦な橋が並んで架けられ、大鳥居への参道がまっすぐ伸びている。脇に等間隔に灯籠が立ち並ぶだけで、視界を遮る物がない。石橋の向こう側もちょっとした広場になっているが、周囲に木々が茂っているので見通せない。
「ならば、打ち合わせ通りか」
「そうだね」
 茂は頷いて空を見上げた。ついさっきまで青空が広がっていたのに、すっかりオレンジ色に染まっている。
「香苗ちゃん、そろそろ」
「はい」
 香苗は返事をすると、少し距離を取った。当然のように右近があとをついて行く。
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