第6話

文字数 4,435文字

 実は、と紺野は、まず亀岡で起こった事件と、明の見解を伝えた。
「それ、報道されてねぇよな。上が渋ってんのか?」
「はい」
「だよなぁ……」
 亀岡の事件は、被害者の一人が心神喪失で無罪となった人物のため、上層部が公表をかなり渋っているらしい。加えて、新たな被害者が出たと世間に知らせることになり、鬼代事件は、連続殺人事件として世間に認識される。少女誘拐殺人事件が解決したと思ったら次は連続殺人だ。警察の威信は落ち、一般市民の不安は募るだろうが、注意喚起はしなければならない。しかし、お偉方はどうやら威信の方が大切らしい。
「まあ、するにしても名前と現場の状況を伏せて公表するだろうな。もしお前らの言う通り、法律に焦点を当てることが目的だとしたら、当てが外れたことになるのか」
「そうなります。ただ、公表されないとしても、犯人自ら情報を漏らす可能性があります」
「今どき、ネットを使えば簡単だからな」
「その場合、海外のサーバーを経由するのは常套手段ですから、追えないでしょうね」
「ったく、もっと普通に使えよ」
 盛大な溜め息をついて、下平は箸を置いて煙草に火を点けた。
「白骨遺体の身元はまだか」
「ええ。DNAは採取されたそうですが、前科者の中に一致する者はいませんでした。歯科医院からもまだ」
「お、残ってたのかDNA」
「みたいです」
「科捜研の奴ら驚いただろうなぁ。医学界が震撼するんじゃねぇのか?」
「前例がないでしょうからね。これまでの常識を覆しましたよ、陰陽術」
 下平がははっと短く笑った。担当したのが誰であれ、近藤(こんどう)は結果を知っているだろう。気味の悪い笑みが目に浮かぶ。これが陰陽術だと知った日には狂喜乱舞して紹介しろと迫られそうだ。絶対に知られないようにしなければ。
 紺野は頭を切り替えるためにウーロン茶に口を付けた。
「それと、日本刀所持者、田代(たしろ)の以前の職場の同僚や交友があった者たちの中に不審な者はいませんでした。全員、当日のアリバイが確認されています。通っていた病院の担当医師や看護師の方も空振りです」
「駄目か。つーか、拘束された跡がないのは結界で隔離してたんだろうし、どこで隔離されてたにしても悪鬼を使えば運ぶのも簡単だってのは分かったが、なんで殺害するまでにそんなに時間が開いてんだ?」
「さあ、それもまだ。白骨遺体と関係があるのかもしれないですね」
「全ては白骨遺体が握ってる、か」
「かもしれません。それと、昨日、田代と重要参考人の渋谷健人、あと渋谷由香(しぶやゆか)の家族について詳しく調べ直したそうです。田代が退院してから父親の元に引っ越したのは一カ月後の四月。自宅は、死亡した母親が両親から譲り受けた物で、母親が死亡したあと、名義が叔母に変更されたそうです。現在は取り壊されて、土地が売却されています」
「じゃあ、田代が入院している間の母親の介護は、その叔母がしてたのか?」
「みたいですね」
「老老介護ってやつか。大変だったろうな」
 65歳以上の高齢者が65歳以上の高齢者を介護することを指す。資金面や介護者の時間的余裕、体力面など問題点が多く、田代のように精神的に追い詰められて疾患をわずらう者もいれば、共倒れ、殺人、心中に発展することもあり、社会的な問題になっている。
「渋谷と被害者の方は?」
「由香の両親や兄弟は所在とアリバイが確認されました。健人の方は、保護観察所に問い合わせたところ、やはり田代の情報提供の要請があったそうです。しかし今年の三月に提供終了の連絡があり、停止されていました。不自然な点は多いですが、渋谷の動向があまりにもあからさまですし、田代が退院してから約五カ月の間が開いていますので、渋谷ではないのではという意見も出始めています」
「引っ越すまでの一カ月は前の自宅にいたわけだし、狙うならその時に狙ってるだろうしな。渋谷への疑惑は濃いが、確かに色々説明が付かねぇところも多い。つーか、もし犯人が渋谷だとしたら、仕事しながら陰陽術を会得したってことになるのか?」
「どうでしょう。いつから計画に関わっていたのかなど、奴らの関係性が分からないので何とも。四年前の事件から付き合いが悪くなったという同僚の証言はありますが」
「ああ、まあそれはな……」
 妻子を殺害されて仕事を続けていたということだけでも、ずいぶん気丈だと思う。同僚たちも気を使ったのだろうが、飲み会などに参加する気分ではなかっただろう。
 北原がそうだと携帯を操作した。
「下平さん、渋谷の顔写真送っておきますね」
「おう」
 二人が携帯に目を落とし、下平の携帯が震えたところで、紺野は話を進めた。
「それで、その渋谷なんですが」
 短くなった吸い殻を灰皿で揉み消した下平が顔を上げた。
「紫苑が犯人の一人を見ているらしく、確認させるそうです」
「ほんとか」
 紺野は頷き、昼間行われた会合の内容を伝えた。下平は終始神妙な表情を浮かべ、ただ黙って話を聞いていた。
 柴と紫苑が正気に戻った方法や犯人たちの目的、皓の復活と不可解な行動、蘇生術に使われた生贄。そして、鬼の習性。
「なんつーか」
 下平は点けた煙草の煙を深く吸い込んだ。
「予想はしてたが、やっぱ本人から聞いた話しだと思うと、現実味が違うな」
 ええ、と北原が渋い顔で頷いた。人づてに聞いた自分たちでさえ実に不快だったのに、柴と紫苑本人から直接聞いた彼らは大丈夫だったのだろうか。
「言いたいことも思うところも多いんだが、隗の言うことが本当だとしたら、犯人は犯罪者を探して回ってる可能性があるってことだよな」
「そうなります。柴と紫苑から埋めた場所を聞いて探せば、前科があれば照合できますし、足取りを追えば真偽もわかるでしょうが……」
「大騒ぎになる上に、情報源を聞かれるな」
「ええ」
 二人が幽閉されていたのは山中だ。それも奥深い場所だろう。そんな場所に遺体が埋まっていると知っているのは、犯人か共犯者くらいしかいない。柴と紫苑のことを話せない以上、こちらが疑われるのは明らかだ。しかも食われたのは四人。食い散らかされた四人もの遺体が出れば、京都は大騒ぎになる。
 警察官でありながら、殺害された人間がいると知っていても何もできない。
 下平が大きく舌打ちをかました。
「ったく、なんてことしてくれんだ」
 苛立たしげにぼやいて、下平ははたと気付いたように顔を上げた。
「柴と紫苑に言ったわけじゃねぇからな?」
「分かってますよ」
 紺野は思わず苦笑した。
「あの二人はいわば被害者です。千年後に復活させられたと思ったら事件に巻き込まれるなんて、迷惑極まりないでしょうね」
「まったくだ。俺だったら恨む……北原、どうした?」
 ふと下平が北原へ視線を移した。俯いてグラスを両手で握り締めたまま、何やらぶつぶつと呟いている。これは例の病気、いや癖が出たか。
「確かに」
 北原がぽつりと口を開いた。
「犯罪者だから安易に殺していいとも鬼に食わせていいとも思いません。でも、そうしなかったら一般市民から犠牲者が出ていた可能性は大きいです。それは事実です。けど――」
 顔を上げ、目を据わらせて言い放った。
「そもそもこんな事件起こしてんじゃねぇよボケ、と思います」
 反論の余地がない、正論だ。紺野は大きく頷き、下平は短く笑った。
「そうだそうだ、言ってやれ北原」
 見るからに面白がって煽る下平に答えるかのように、北原はウーロン茶を飲み干して乱暴にグラスを置いた。
「大体ですよ、何度も言いますけど何ですかこの世を混沌に陥れるって。世界征服を目論む魔王か! 何があったのか知らないですけど、辛くても歯を食いしばって必死に生きてるのは皆同じなんです。自分だけが辛いと思うなよこの野郎! 俺だってなぁ、死ぬ気で仕事してんのに電話出なかったからって浮気を疑われた挙げ句無視されてんだぞふざけんな!」
 私怨が入った。ああ、彼女と喧嘩したのか、と紺野は白けた視線を投げ、下平は豪快に笑い飛ばす。北原のプライベートはともかく、奴らも居酒屋でボケだの魔王だのと揶揄されているとは思わないだろう。
「確かに美人がいればつい目で追いかけますよ、可愛い子がいれば可愛いなと思いますよ。でもしょうがないじゃないですか、男なんですから! 女だってそうでしょう。イケメンがいれば見るでしょう、格好良いと思うでしょう。それをなんで責められなきゃいけないんですか不公平です! 俺はこれでも一途なのに!」
 最後の自己申告はあまり信憑性がないが、気持ちは分かる。アイドルのポスターを貼っているだけで、男はエロいだのキモいだの言われるが、女は何も言われない。あれは何なのだろう。
 酷過ぎる、と悲痛な顔でテーブルに突っ伏した北原に、下平がうんうん分かるぞと何度も頷く。何やら思い当たる節があるようだ。
 話が思い切り逸れているが、不愉快な気分を払拭するにはいい。このまましばらく放置するか。これまで貯め込んでいたらしい不満を漏らす北原と、絶妙な間合いで相槌を打つ下平を横目に、紺野はこっそり息をついた。
 北原の言うことは正論だ。こんな面倒な事件を起こすなと思う。被害者が犯罪者であろうとなかろうと、どんな理由があろうと、こんなのはただの連続殺人に過ぎないのだ。だが――この事件が起こらなければ、昴と一生会うことはなかったかもしれない。下平も樹も冬馬も、後悔や迷いを抱えたままだったかもしれない。この事件が起こったからこそ、やっと過去から一歩踏み出せた。
 紺野は顔を歪ませて小さく舌打ちをかました。何を考えている。大勢の被害者が出ているというのに。
 と、北原が盛大に息を吐き、照れ臭そうに笑った。
「下平さん、ありがとうございました。すっきりしました。俺、トイレ行ってきます」
「おう」
「おい北原、飲み物追加するけどどうする?」
「あ、すみませんお願いします。同じので」
 了解、と返して呼び出しボタンを押す。北原が階段を下りると、下平が楽しそうに喉を鳴らした。
「あいつ、相当尻に敷かれてんなぁ」
「みたいですね」
「まあ、若いうちは買ってでも苦労しろって言うしな。あいつモテるだろうし、これが駄目でもすぐに次ができるだろ」
 耳を疑うような台詞に、紺野はこれでもかと眉を寄せた。
「モテる……あいつがですか……?」
「……なんて顔してんだお前。北原に失礼だろ」
 お待たせしましたー、と間延びした挨拶をしながら顔を覗かせた店員が、紺野の顔を見て体を竦ませた。下平が何でもねぇんだすまんなと謝り、空いた皿を渡しながらウーロン茶を三つ追加した。
「あいつ素直だし人懐こいから、年上にも年下にも慕われるタイプだ。ちょっと頼りがいはなさそうだけどな」
「五人兄弟の真ん中らしいですよ」
「五人!? なるほどなぁ、それでか」
 へぇ、と相槌を打って残りのウーロン茶を飲み干す下平をちらりと見やる。そういえば、下平はどう答えを出したのだろう。あの時、間違えたと言った選択を、今はどう思っているのだろう。

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