第13話

文字数 4,639文字

 おつかいを終わらせ、寮に戻ったのは正午前だった。
 昨日は車で自宅に戻ったため、昼間寮に来る時に使ったバイクは置きっ放しだ。晴は車を戻しに自宅へ帰り、宗史はそのまま寮に残った。
 玄関から入る美琴と別れ、宗史は響く打撃音に引き寄せられるように庭へと回り込んだ。
 目に入った光景に足を止める。紫苑を相手に、怜司と茂、昴の三人がかりだ。縁側では、弘貴と春平が真剣な面持ちでそれを見守り、昼食の支度をする華と夏也の代わりに、香苗と柴が双子を膝に抱えている。柴と紫苑は何やらすっかり溶け込んでいるようだが、大河の姿がない。樹はまだ就寝中か。
 ダイニングでは、顔を出した美琴に、「変なことされなかった!?」と華と夏也が心配顔で駆け寄った。
 宗史は手合わせを横目に、邪魔をしないようにと壁に沿って縁側へ足を向けた。
「お疲れ」
 顔は怜司らに向けたまま声をかけると、香苗と柴が顔を上げ、手合わせに注視したままの弘貴と春平から「お疲れ様でーす」と挨拶が返ってきた。
「宗史さん、お疲れ様です」
「ああ」
 三人に囲まれた紫苑が、助走もなくその場で地面を蹴りバック転をして昴の背後に着地した。咄嗟に後ろ回し蹴りを繰り出した昴の素早い反応はさすがだが、やはり紫苑の方が上手だった。難なく襲ってきた足を掴み、そのまま昴の脇腹を蹴り飛ばすと同時に手を放した。昴は倒れ込んで地面を滑り、脇腹を押さえて苦痛に顔を歪ませる。さすがに手加減はしているだろうが、鬼の手加減は果たして人にとって手加減になっているのか。
 椿を召喚しておいた方がいいかな、と頭の隅で考えながら、宗史は縁側に視線を移した。
 柴の膝の上で、蓮が怜司らを真似して小さな拳をぶんぶんと振り回し、香苗の膝では藍が目を輝かせて怜司らを見ている。
 なんだろう、千作と会った直後だからだろうか、やけに和む。
 宗史は目を細め、自嘲気味に息をついた。本心では柴と紫苑を受け入れていることに、改めて気付く。
「大河は?」
 気を取り直して尋ねると、香苗が見上げた。
「それが、朝ごはんを食べてから、宿題をすると言って部屋に籠ったきりなんです」
「一度も下りてこないのか?」
「はい」
 珍しい。宿題を終えて霊符の練習をしているにしても、大河なら適当なところで切り上げて訓練に勤しみそうなのに。あるいは、寝ているか。
「きんにくつう、と言っていたが」
 不意に柴が口を挟むと、手合わせに集中していたはずの弘貴と春平、香苗が噴き出した。
「筋肉痛?」
「全身みたいすよ。めっちゃ痛がってました」
 弘貴の楽しげな説明に、春平と香苗が肩を震わせて笑いを噛み殺している。もしかしなくても、昨日の乱闘が原因だろうか。
「訓練ではならないのに、なんで乱闘で筋肉痛になるんだ……」
 怜司と同じ疑問をぼやき、宗史は溜め息をつきながら縁側から室内に入った。難しい問題で引っ掛かっているというより、寝ている確率の方が高い。
「お疲れ様です」
 美琴は着替えに上がったのだろう、キッチンの華と夏也に声をかける。
「あ、お疲れ様、宗史くん。ねぇ、千作さん、本当に香苗に何もしなかった?」
 カウンター越しに心配顔で尋ねられ、宗史は足を止めて逡巡した。心配する二人の気持ちは分かるが、本人が言わないのなら、求婚されたことは黙っておいた方がいいのだろう。
 宗史は、いえ、と笑みを浮かべた。
「特にこれと言って何も。大河の様子を見てきます」
 逃げるが勝ちだ。ほんとにー? と訝しんだ声を背中で聞きながら、宗史はそそくさと廊下に出た。千作と直接会った華だからこそ、何もないという答えに懐疑的になる。それでなくとも女性の勘は男のそれと比べて恐ろしいほど鋭いのだ。下手に言葉を交わすとバレる。
 宗史は階段を上がり、静かな廊下を進んで大河の部屋の前で足を止めた。隣の部屋の扉に下がるプレートを一瞥し、目の前の扉をノックする。
「大河、俺だ」
 いつもならすぐに元気な返事が聞こえてくるのだが、少し待っても返ってこない。これはやっぱり寝ているか。
「開けるぞ」
 一応声をかけてから扉を開ける。一歩踏み入れて、足を止めた。寝ているとばかり思っていたが、起きている。
 姿勢正しく机に向かう背中から妙な気迫を感じ、宗史は首を傾げた。これほど集中しなければいけない宿題とは、一体どんな宿題なのか。
 邪魔すると悪いかなと思い扉を閉めかけた時、大河が盛大な溜め息と共に頭を上げた。そして再び俯くと、うーんと悩ましい声を上げ、こてんと首を傾げた。
「大河」
 一区切りついたのなら構わないだろう。宗史が声をかけると、大河は大仰に肩を跳ね上げて勢いよく振り向いた。
「あ、びっくりした。宗史さんか」
「悪い、一応声をかけたんだが。そんなに難しい宿題なのか」
 宗史は部屋に入り、扉を閉めながら尋ねた。
「ああ、ごめん、気付かなかった。宿題は終わったんだけど、って、あれ? 晴さんは?」
「車を置きに戻った。昨日のバイク置きっ放しにしてるから」
「そっか。あ、宗史さん、これ確認して欲しいんだけど」
「うん?」
 視線で促され、宗史は大河の隣から机上を覗き込んだ。相変わらず雑多に物が積み上げられ、書き損じた半紙の束がまとめられている。
「護符?」
 机の真ん中には、宗史が描いた護符が一枚、横に大河が描いていたらしい護符が一枚並んでいる。練習は感心だが、予備は十分渡してあるのだから、するなら霊符にして欲しいと思わなくもない。
「どうした?」
 横目で見やると、大河は足元の紙袋を持ち上げ、机に置いた。
「これなんだけど」
 A5サイズより一回り小さなクラフト紙に、白い文字で店名が印字されている。覗くと、たくさんのお守り袋が入っていた。大河がもらった青地に白い星のものや、色違いの赤、ピンクと白のストライプ、色違いの黄色、恐竜柄や迷彩柄などなど、色とりどりだ。
「これ、昨日夏也さんが作ってくれたやつか?」
「そう。俺たちを待ってる間ずっと作ってくれてたらしくて。ほら、弘貴も言ってたじゃん。何かしてないと落ち着かなかったって。数えたら十一個あった」
「十一個?」
 宗史は目を丸くした。よほど心配をかけたようだ。食事や風呂を済ませたとしても、どうしても時間は余る。待っている間、皆で手伝ったのだろう。
「良かったじゃないか。一生困らないかもしれないぞ」
「俺もそう思った。すごい有り難いなーって。でも、これだけあったら、紺野さんたちに護符渡せるかなって思ったんだ」
 意外な方向に話が転がった。
「ああ、昨日、瘴気の影響を受けていたな。だから護符の練習か」
「うん。でも……」
 大河は困ったように息をついて護符に視線を落とした。
「使える? これ……」
 不安な声で尋ねられ、宗史は大河が描いた方の護符に隅から隅まで目を走らせた。そんな宗史を、大河が不安顔で見上げている。
 正直に言って、まだ甘い。線の太さは均一ではないし、全体的に歪だ。宗史は顎に手を添えて思案した。使えるか使えないかと言われれば、使える。と思う。多分。何せ中途半端な出来の護符や霊符を使ったことがないため、はっきりしたことが分からない。
「微妙だな……使えなくはないと思うけど……」
「効果が半減するとかある?」
「あるな」
「そっかぁ……」
 うーん、と腕を組んで大河は並んだ護符に目を落とした。
 確かに宗史が描いた護符の方が綺麗で、効果は十分に発揮される。しかし、あくまでも一般人の護符として使用するのであって、発動させるわけではない。例え護符自体の効果が半減するにしても、上乗せされる大河の霊力を考えると十分なような気もする。もちろん、完璧な護符に大河の霊力が上乗せされることが一番いいのだが。
「大河、俺の護符を使おうとは思わなかったのか?」
 それが一番手っ取り早い方法だ。大河は宗史を見上げ、へらっと笑った。
「なかなか上手く描けなくてさ、実はちょっと思った。けど、俺が勝手にやってることだし、自分で描くのが筋じゃん」
 大河が霊符を描き始めて四日ほど経つが、なかなか進歩しなかった霊符より、遥かに出来は良くなっている。自分のための霊符ではなく、紺野たちのためにという気持ちがあるからだろうか。
「それに、いつまでも宗史さんに頼りっ放しで悪いなって思ってたから、いい練習になると思って」
 紺野さんたちに失礼かな、と苦笑いを浮かべた大河に、宗史はふっと笑みを浮かべた。
「別に悪くない、気にするな。紺野さんたちにも失礼だとは思わない。俺も昔は父さんが描いた霊符を使ってたしな」
「え、そうなの?」
「ああ。術を覚える方が早かったから。でもな大河」
 宗史は、見上げてくる大河を見据えたまま告げた。
「描く物は、和紙と墨でなくてはならないという絶対的な決まりはない。多少効果の差はあるが、普通の紙でも壁でも、ペンでも鉛筆でもいい。護符や霊符を自分で描けるようになれば、いざという時に対処できる。利便性があるから、早く描けるようになれと言ってるんだ。特にこの状況だから、何があるか分からない。俺たちが常に一緒にいてやれる保証はないんだ」
 余計なプレッシャーを与えてしまうだろうか。けれど、大河の安全を考えるなら言うべきだ。それに。
「それに、自分だけじゃなくて、一緒にいる誰かも守れる」
 霊符は無限にあるわけではない。囚われて奪われる可能性もある。そんな時、どこかに描ければ助かる命がある。助けられる人がいる。
「だから、早く描けるようになれ」
 守りたい人がたくさんいて、大事な人を亡くした大河なら、絶対に分かる。きちんと汲み取って、成長してくれる。
「うん、分かった」
 真剣な眼差しで見上げたまま大きく頷いた大河に、宗史は満足気に微笑んだ。
「とりあえず、一番上手く描けたやつを入れて準備はしておけ。紺野さんたち、捜査で忙しいだろうから呼び出すわけにもいかないし、次いつ会えるか分からない。もしどうしても気になるなら俺のを使っていいから」
「いいの?」
「ああ。でも練習は続けろよ。もちろん霊符もだ」
「はーい」
 良い子の返事をし、大河は携帯の時計を確認して片付けを始めた。
「ところで大河」
「うん?」
 先程、紙袋を取った時に気になったことがある。
「お前、全身筋肉痛って本当か?」
 大河は筆ペンの蓋を閉めたままの恰好で凍り付いた。本当のようだ。
「さっき特に痛そうには見えなかったけど」
「……何かに夢中になると、忘れる……」
「……そうか」
 護符と話に夢中になって忘れていたらしい。大河らしいというか、なんというか。
 手早く片付けを終わらせた大河がゆっくりと腰を上げた。いたたた、と顔を歪ませる。長時間座っていたせいで痛みが戻ったようだ。
 宗史は、片付けたとは思えない机を見やり、呆れた溜め息を吐き出した。
「お前、ちゃんと整理しろ。そのうち雪崩を起こすぞ」
「うん。今度、気が向いたら」
 こう言う奴ほど一向に気が向かないのだ。
「いつ気が向くんだ」
「そのうちそのうち」
 宗史は、まったく、とぼやいてへっぴり腰で扉へ向かう大河にぼそりと呟いた。
「……確実に、樹さんの餌食になるな」
「それ言わないでくんないかな!?」
 大河が慄いた顔で食い気味に反抗し、宗史は笑い声を上げた。扉の向こう側から、大河宗史さん飯ー! と大声で呼ぶ弘貴の声が響き、
「分かったー!」
 と大河が大声で返した。樹がまだ寝ているのではないのかと思ったが、言わずにおいた。
 大河と宗史がダイニングに到着したのは五分後のことだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み