第2話

文字数 3,311文字

      *・・・*・・・*

 片付けが終わり、さてどうしようかと話し合っていた九時過ぎ、宗史が申し訳なさそうな顔で起きてきた。物音や人の気配にまったく気付かなかったらしい。
 宗史が朝食を食べている間に、荷物の整理をした。この先、またゴミ箱行きとなる服が出ないとも限らない。一組だけ残し、手持ちの服を全て詰め込んだ。
 寮の庭や畑といい、洋服代も請求してやりたい。そんなことを考えながらキャリーケースを抱えて居間の襖を開けると、志季が召喚されていた。
「志季、おはよう」
「よう」
 笑顔で返してきた志季は、とりあえず昨日の失態を気にしているようには見えない。志季も雪子もさっぱりした性格だし、大丈夫そうだ。
 宗史はまだ食事中で、晴は縁側で一服中。柴ら人外組は、情報バラエティ番組に釘付けになっている。「まだ間に合う! 夏休み満喫スペシャル!」と銘打たれた特集は、北海道のご当地スイーツを紹介中だ。広大な牧場でのんびりと草をはむ牛をバックに、女性アナウンサーが濃厚バニラアイスを堪能している。
「あのまだら模様の動物は、牛なのか」
「ホルスタインという種類だ。確か、この国に入ってきたのは明治辺りだったか。お前たちは知らぬだろうな」
 鈴の答えに、柴と紫苑がほうと感心した声を漏らす。牛車があったくらいだ。平安時代にも牛はいたはずだが、さすがにホルスタインはもっと時代が下るらしい。
 側に置かれた刀が不釣り合いではあるけれど、興味津々な姿は微笑ましい。大河はくすりと笑い、キャリーケースとボディバッグを入口の側に置いて柴の隣の腰を下ろした。
 と、尻ポケットから携帯を取り出したとたん、着信音が鳴った。省吾だ。大河は柴に背を向けて通話ボタンを押す。宗史がごちそうさまでしたと手を合わせ、鈴が腰を上げた。
「おはよー」
「お、起きてたか。おはよう。今大丈夫か?」
「うん、どうしたの?」
「あのさ、お前、筋トレグッズとか使う?」
「筋トレグッズ?」
「そう。訓練見てて、兄貴が持ってたこと思い出したんだよ。部屋を探したら、綺麗に取ってあった。だからお前が使うならって思ってさ」
 兄の大吾は中、高とバスケ部に所属しており、当時使っていたのだろう。庭にバスケットゴールを設置するほど夢中になっていて、省吾と一緒にシュートやドリブルのコツを教わったことがある。
「いいの?」
「兄貴に確認したら、もう使わないからあげていいって。使うか?」
「使う使う。ありがとう、助かる」
「じゃあ、適当に見繕って持っていくわ」
「うん、ありがとう」
「んじゃ、あとでな」
「うん」
 通話が切れ、大河は少し興奮気味に口元を緩めた。樹から筋トレはしっかりねと言われていたが、腕立てや腹筋、スクワットがせいぜいだった。道具があれば効率的にできる。
「省吾くんか?」
 グラス片手に宗史が声をかけた。
「うん。省吾の兄ちゃんが使ってた筋トレグッズくれるって」
「そうか、良かったな」
「省吾、兄貴がいるのか」
 一服を終えた晴が戻ってきた。
「うん。大吾兄ちゃん。宗史さんの一つ上で、大学生」
 そういえば、毎年この時期には帰省していたけれど、今年は会えないのか。夏祭りといい、やっぱりちょっと寂しく思う。
「ところでお前、昨日の筋肉痛どうよ」
 晴が尋ねた。ニヤついた顔には、ちょっかいをかけてやろうという下心が見え見えだ。だがおあいにく様だ。大河はにっこり笑顔で言ってやった。
「大丈夫。鈴の治癒も効いてたし風呂で揉みまくったから、全然痛くない、絶好調」
 晴が何だ残念とぼやいていたずらっぽく笑うと、食器の片付けを終えて鈴が戻ってきた。待ちかねたように、紫苑がテレビを消した。
 大河、柴、紫苑が並び、向かい側に宗史、晴、志季。鈴は台所側のお誕生日席に腰を落ち着かせる。それぞれの前には麦茶と、回収した文献。エアコンの稼働音に混じって、微かに蝉の鳴き声が届く。
 宗史が口火を切った。
「では始める。まず、誰が誰と交戦したのか確認だ。俺は満流、晴は昴だ」
「俺は式神だな」
「私は悪鬼、のちに式神だ。柴主は皓と交戦された」
「私は深町弥生、渋谷健人、玖賀真緒」
「俺は、菊池?」
 あれを交戦と言っていいのかどうか分からないが。
「では志季」
「はいよ。えーとな、あいつらは元々――」
 志季の報告は、元々誰が誰と交戦するはずだったのかというものだった。宗史一人に雅臣、弥生、犬神なんて、相当実力を買われているのは分かるけれど、そうまでしないと敵わないほど差があるという証拠でもある。また、昴一人に晴を任せたということは、それだけ昴は実力を隠していたことになる。
「で、あいつの実力は説明するまでもねぇからいいとして、名前は(あんず)って書いて杏。生真面目って感じの奴だな。で、主は満流だ」
「やっぱりか」
「だろうな」
「あの時、満流を庇ってたもんね」
 宗史、晴と続き、大河も便乗する。一瞬だったが、牙が干渉する直前、満流だけを庇う杏の姿が見えた。
「ということは、式神が増える可能性があるな。他には?」
 宗史が尋ねると、志季はうーんと唸った。
「こういうのって、考え方とか価値観の違いだから何とも言えねぇんだけどさ――」
 そんな前置きをして語られた杏の忠義は、驚くくらい強固なものだった。けれど。
「消滅って、それ、調伏みたいな感じ?」
「ああ。魂ごと完全に消される」
 神にもそんな決まりがあるのか。何でもないことのような答えに大河は眉根を寄せた。
 何だか、しっくりこない。主に仕えることも式神の役目だとはいえ、こんな事件を起こすような主に仕えるのは、世を護ることを本来の役目とする式神にとっては不本意ではないのか。それとも、そんな役目を放棄させるほどの何かが、満流にあったのか。
 二年前に見た満流の笑顔は、この世を恨んでいるようには見えなかった。あの時、本当に独鈷杵を探しに来ていたのなら、すでに計画が立てられていたことになる。こんな事件を起こそうとしていた奴が、あんなふうに笑えるものだろうか。それとも、自分が気付かなかっただけなのか。
 式神に役目を放棄させ、ここまで忠義を尽くされるような奴が、どうしてこんな事件を起こしたのだろう。やっぱり、土御門家への復讐だけではない気がする。
「紫苑、お前はあいつと何か話さなかったのか?」
 志季が話しを振ると、紫苑は首を横に振った。
「いや、何も」
「……無言で戦ってたのか」
「ああ」
 至極当然のように頷いた紫苑に、志季が「ああそう」とちょっと引き気味に相槌を打った。杏と紫苑が無言で睨み合っている様は、少々怖いかもしれない。
「どうだった?」
 宗史の端的な問いに、紫苑は逡巡した。
「おそらく、あれが全力ではない。私では勝てぬ」
「えっ」
 潔い宣言に大河が思わず声を漏らし、宗史らは眉根を寄せた。
「紫苑でも勝てないの?」
「不本意だがな。だが、相手は神だ。術も使う。おかしなことではない」
「それは、そうだけど……」
「柴、可能性は?」
 宗史の問いに、一斉に柴へ視線が集まる。柴は思案するように一度瞬きをした。
「戦ってみなければ、何とも言えぬ。だが、紫苑の言うように、相手は変化可能な式神だ。期待はするな」
 志季と椿の二人がかりでやっとだった紫苑。それ以上の実力を持つ柴でさえ、勝てると言えないのか。神の力とは、一体どれほどのものなのか。大河はごくりと喉を鳴らした。
「鈴と一戦交えてもよいのならば、目安くらいにはなろうが」
「それはやめてくれ。山の形が変わる」
 宗史が柴の提案を速攻で却下し、大河は無言で何度も頷いた。変化可能な式神と鬼との一戦など、山一つの被害で済めばいい方だ。
「加減はするぞ」
「何でやる気なんだよ。どう考えても人が集まるだろうが」
 晴が突っ込むと、鈴は小さく舌打ちをかました。左近も志季と仲が悪いようだし、火神というのは物騒だ。
「前の時も、ご近所さんが様子見に来て大変だったんだぞ」
「そうなの?」
「影唯さんが、間伐に失敗したって言い訳したけどな」
「そうなんだ……」
 初耳だ。言われてみれば、確かにあの激しさなら山の下まで響いていてもおかしくない。あの衝撃が、間伐に失敗したなんて言い訳でよく通用したものだ。
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