第15話

文字数 2,583文字

「おいおい、マジかそれ」
 不意に平良の声が耳に飛び込んできて、椿ははっと我に返った。
「嘘ついてどうするんですか」
「そりゃ、お前相手ならしょうがねぇとは思うけどさぁ、こんな簡単に」
「ちょっと待って」
 昴が平良の言葉を強く遮った。珍しく怪訝な眼差しを満流へ向けている。
「もし本当に晴さんが死んだのなら、どうして巨大結界が発動したのかな。主が死ねば、式神は契約を解かれて一旦は天界へ戻される。志季はもういなかったよね。だったら、結界が発動する前に伊吹山を破壊できたはずだ。それとも、彼が死んだのは結界が張られるぎりぎりだった? 君が、晴さん相手に?」
 確かに、そういえば、と健人たちが追随し、じわじわと不信感が広がり始める。不穏な空気に、里緒が不安げな顔で皆を見渡した。
 要するに、満流が寝返ったのではないかと疑っているのだ。晴が死ねば志季もいなくなる。そうなると当然、あちらの戦力は大幅にダウンする。何かしら理由が、あるいは交渉が行われ、晴が死んだと思わせてこちらの油断を誘い、手引きをして一気に叩くつもりではないのか、と。
満流が慌ててテーブルに両手をつき、身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと待ってください。誤解です」
「神降ろしの呪を行使したのだ」
 突如口を挟んだのは、杏だ。どうやら、主が疑われるのが我慢ならなかったらしい。こちらも珍しく、不機嫌そうに眉間にしわが寄っている。
「奴は満流に追い詰められ、神降ろしの呪を行使した。あの結界は、奴が張ったものだ。その対価が如何ほどか、知らぬわけではあるまい」
 怒りを押し殺したような強い口調で一気に説明し、杏は分かったかと言いたげに視線を巡らせた。しばしの沈黙ののち、
「あ――……」
 全員から、安堵と申し訳なさが混じった溜め息が漏れた。
「ごめんっ」
 昴が拝むように両手を合わせた。
「君に裏切られたのかと思ったら、つい。本当にごめんね」
「ああ、いえいえ。僕も紛らわしい言い方をしてしまったので。こちらこそすみません」
 満流は苦笑いで両手を横に振った。
「満流ちゃん、ごめーん。あたしもちょっと疑っちゃったあ」
 真緒を皮切りに、次々と謝罪の言葉が飛ぶ。だが。
「紛らわしい言い方しやがって。今のはお前が悪い」
「俺も同意だ」
 まったく反省の色を見せない平良と隗に、健人が眉根を寄せた。
「あのな」
「あはははは。そうですよね。今のは僕に非があります。状況から鑑みて、昴さんが言ったように捉えられても仕方ありません。考えが甘かったです。すみません」
 満流に言葉を遮られ、健人は乗り出した身を引っ込めて嘆息した。昴が杏を見やる。
「杏も、ごめんね」
「……いや。私も強く言い過ぎだ。すまない」
 ごめんねー、と再度真緒たちから杏へ謝罪の言葉が飛び、ほんとびっくりしたぁ、と空気が和んでいく中、椿だけが俯いて顔を青く染めていた。
 つまりだ。満流の報告は嘘ではない。では、晴は本当に――。
 宗史と契約して七年。たくさんの思い出が、走馬灯のように蘇る。訓練時も仕事の時も、何気ない日常の中でさえ、顔を合わせれば二人は喧嘩ばかりで、何度宗史と仲裁に入ったことか。初めは仲が悪いのかと思ったけれど、あれで気が合っていると気付いたのは、いつだっただろう。気が付けば二人のくだらない口喧嘩にも慣れ、宗史と一緒に呆れるのが密かに楽しかった。
 七年――神からしてみれば、瞬きをする一瞬程度のほんのわずかな時間。それでも、彼らと一緒にいる時間が大好きだった。
 この場所だからこそ――人間界だからこそ得られた大切な時間は、ここで止まってしまった。
 契約が切れ、もう志季は志季でなくなった。今頃、天界で何を思っているのだろう。神降ろしの呪を行使するくらいだ。死に際まで追い詰められ、術を行使すると決めた晴は、その時何を思ったのだろう。そして今、宗一郎たちはどうしているのだろう。陽だけでは対処できないだろうから、巨大結界発動直後に報告されているはずだ。
 明は、陽は――宗史は、大丈夫だろうか。
「つばき」
 不意に、膝の上で強く握っていた拳に、小さな手が乗った。はっと我に返った椿の目に飛び込んできたのは、大きな眼差しに心配の色を滲ませ、こちらを覗き込む里緒の姿。
「あ……」
 しまった。衝撃が強すぎて忘れていた。ここは敵陣なのだ。
「だいじょうぶ?」
 こんな小さな子にも心配をかけてしまうなんて。
「はい。大丈夫ですよ。ありがとうございます」
 笑みを浮かべたものの、かなりぎこちなかったのだろう。里緒の顔から憂いは消えず、まるで真偽を確かめるようにじっとこちらを見つめてくる。
 さてどう言ったものかと思案していると、何を思ったか、里緒は椿の手を握ったまま、隣にちょこんと正座した。
「あの……」
「椿ちゃんは」
 顔を上げると、どこか悲しそうに微笑んだ百合子と目が合った。
「確かに今こっちにいるけど、それはご主人様のためで、彼らを嫌いになったわけじゃないものね。ショックを受けるのは仕方ないわ。無理しなくていいのよ」
「百合子様……」
 昨夜話した時も思ったけれど、百合子は「宗史のために」という嘘の理由を信じている。ちくりと胸が痛んだ。
 雅臣には両親や友人、桃子がいる。健人も同様に家族がいて、昴にだって義理とはいえ両親がいて、紺野もいるのだ。それと同じように百合子にも大切な人がいて、それでも許せないほど犯罪者を憎み、ここにいる。だから、椿の気持ちが理解できる。
「そうですよ、椿」
 満流が言った。
「僕たちだって、この世の人間すべてを憎んでいるわけではありません。それぞれ大切な人もいて、貴方の気持ちは理解できるつもりです。ですが」
 満流は一つ瞬きをして、言葉を繋げた。
「覚悟だけは、しておいてください」
 こちらにいる以上、宗史たちとは敵同士だ。一緒に戦うことも、ましてや守ることもできない。信頼を得て前線へ出ることになれば、対峙することになる。今回と同じように、また誰かが死んだとあとで聞かされることも、誰かを傷付ける必要もあるかもしれない。しかし、それがこの先事件解決へと繋がるのなら、覚悟を決めなければ。
 覚悟を決めて来たはずなのに、敵に諭されるとは。志季が聞いたらここぞとばかりに馬鹿にされそうだ。椿は顔を引き締め、満流を見据えた。
「はい」
 凛々しい返答に、満流は満足そうに頷いた。
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