第16話

文字数 2,568文字

「ま……っ」
 二柱の視線でのやり取りの意味を察したらしい。陽が狼狽して身を乗り出した。同時に、不動明王が不意に視線を逸らし、一歩遅れて志季も同じ方角へ視線を投げる。朱雀二体が、志季と陽の肩にそれぞれ飛び乗った。
「え……?」
 陽が小首を傾げて志季と不動明王を交互に見やった。二柱の視線は、南西へと向けられている。
「誰だ?」
 志季は眉をひそめた。不動明王も感じているのなら間違いないだろう。神気が近付いてくる。だが、知らないものだ。敵側の誰か――まさか、蘆屋道元。満流から話を聞き、結界を破壊するために自ら不動明王を倒しに来た。なんて、いくらなんでも有り得ないだろうが、警戒するに越したことはない。
「陽」
 険しい顔でじっと南西の空を睨み付けまま、掴んでいた陽の腕を引っ張って背後で庇う。陽も感じたらしい。怪訝そうに眉を寄せた。
 そうこうしている間にもどんどん神気が近付いてきて、見えた夜空を駆けるその姿に、志季はぎょっと目を剥いた。
「玄武……っ、宗一郎!?」
 動揺しまくった声に、陽が「えっ」と呟いて後ろから顔を出した。まだ人の目では視認できないだろう。必死に目を凝らす。
 玄武は、四神として有名な、北を守護する水神だ。同時に、晴明の頃より土御門家の当主が代々使役する式神・十二天将の一柱でもある。その式神の背に、宗一郎が乗っかっているのだ。いや、明と一緒にいたのだから不思議なことではないが、十二天将を召喚するには一柱だけでも相当の霊力を消費する。巨大結界を発動させようとしていた明に、それほどの霊力が残っているとは思えない。
 ではどうやって。
 唖然とする志季と、やっと視認して目を丸くした陽と、変わらず無表情の不動明王の元に、宗一郎と玄武が降り立った。
「どうやら間に合ったようだな」
 やれやれと溜め息を付いた宗一郎は、烏帽子は脱いでいるが全身真っ黒な狩衣に身を包んでいる。そして玄武はというと、亀と蛇が一体化した姿だと聞いてはいたが、まさにその通りだ。体は亀、尻尾は長くて太い蛇。つまり、亀の顔と蛇の顔の二つがある。双方黄金色の瞳で全体的に黒っぽく、ごつごつと盛り上がった甲羅、黒光りした爪、太い足や首を覆う鱗は見るからに硬そうだ。初めて目にしたが、その姿もさることながら、大岩のような巨体は迫力がある。例えるなら、尻尾から蛇が生えた怪獣ガメラ。
 宗一郎はぴょんと跳ねて玄武の背から飛び下りた。甲羅を滑って下りようものなら尻が削られそうだ。その凶器のような甲羅を持つ玄武が――正確には尻尾の蛇が甲羅の上でとぐろを巻き、自らの体の上に顔を乗せた。すっかり傍観者だ。
 宗一郎が、ぽかんと口を開けた間抜けな顔で見つめる志季と陽を見やり、不動明王で視線を止めた。なるほど、と呟いて笑みを浮かべ、ゆったりと歩き出す。晴が何故神降ろしの呪を行使したのか、察したようだ。
 この男に畏怖という感情はないのか。一連の動作はそう思わせるほど冷静で、至極いつも通りだった。宗一郎を追って、全員の視線が移動する。
 志季と陽の目の前で足を止めた。二人を庇うような位置だ。
「お目にかかれて光栄でございます、不動明王様。賀茂家当主、賀茂宗一郎と申します。つい先ほどまで御力をお貸しいただきまして、心よりお礼申し上げます」
 恭しく頭を下げた宗一郎に、不動明王が一度瞬きをした。言われてみれば、晴が神降ろしの呪を行使する直前まで、不動明王は宗一郎と明に力を貸していたのだ。
「文句を言いに来たか?」
 ふ、と微かに噴き出して、宗一郎は顔を上げた。
「とんでもない。感謝こそすれ、文句などございません」
 感謝? 志季は訝しげに眉を寄せた。
「ほう。感謝か。神を降ろした対価がいかほどか、知った上での発言か?」
「もちろんでございます」
 嫌な予感がした。身を乗り出した志季より先に、宗一郎が告げた。
「その対価、私がお支払い致しましょう」
 やっぱりだ。
「宗一郎!」
「おじさん!」
「私の判断だ」
 二人の反応を分かっていたかのような早さだった。食い気味に強く一蹴され、志季と陽がたじろいだ。
 晴が神降ろしの呪を行使しなければ、そして宗一郎と明に力を貸していたはずの不動明王がそれに応えなければ、最悪の場合、晴と陽、また志季も命を落としていた。しかし、結局は誰かが対価を払わなければならない。ならば自分がと、そう考えたのだ。先程の「感謝」は、純粋に晴たちを救ってくれたことへの礼。おそらく宗一郎は、初めからそのつもりでここへ来た。
 志季は、きゅっと唇を結んだ。
 自分より体躯はひと回り小さく、生きている年月もはるかに短い。それなのに、恐れも怯えも見えない凛とした背中が、妙に大きく見えた。
 初めて、人に対して敗北感を覚えた。
 こんな男が父親なんて、宗史が不憫だ。頭の片隅でそんなことを思っていると、宗一郎が付け加えた。
「私では足りませんか?」
 安倍晴明に匹敵する力を持つ宗一郎なら、一人で対価は払える。余裕の笑みを浮かべる宗一郎をじっと見つめ、不動明王は静かに目を伏せた。
「いや。十分だ」
「ありがとうございます。ただ、一つお願いが」
 不動明王が瞼を上げて、微かに眉を寄せた。
「この騒動が収束するまで待てと言うのだろう」
「さすがでございます、不動明王様」
「断る、と言ったら?」
「それは致し方ございません。潔く諦めましょう」
 意味を分かっておきながら笑みを崩さない宗一郎に、不動明王が嘆息した。神を前にここまで平然としているからか、それとも、死を恐れた様子がないからか。どちらにせよ、宗一郎の飄々とした態度に呆れている。
「決して、違えるな」
「それはもちろん、お約束致します。煮るなり焼くなり、お好きなように」
「貴様は食えぬ」
 心底嫌そうに増えた眉間のしわに、宗一郎がははっと軽快に笑う。そうして、おもむろに腰を落とした。片膝を付き、改めて頭を垂れる。志季と陽もはっと我に返って倣った。
「心より、感謝いたします」
 至極真剣な感謝の言葉に降ってきたのは、少々長めの溜め息だった。
「貴様は、幼少の頃より生意気だ」
 ふてくされたように吐き捨てられたぼやきに、宗一郎だけがふはっと噴き出した。よくこの状況で笑えるものだ。助けてもらっておいてこんなことを言うのもなんだが、この男の神経は本当にどうかしている。
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