第7話

文字数 2,762文字

      *・・・*・・・*

 午後一時。出迎えてくれた大河に続いて居間へ入ると、省吾は溜め息と共に小ぶりのスポーツバッグを畳の上に置いた。ごとん、と硬く重い音が鳴る。約束の筋トレグッズだ。
「さすがに重かった」
「ありがとう、省吾」
「連絡を寄越せば、迎えに行ったものを」
「実は坂を登りながら後悔した」
 立ったまま、鈴に渡された麦茶を疲れた顔であおった省吾に笑い声が上がる。大河がスポーツバッグの側にしゃがみ込み、さっそくファスナーを開けた。宗史をはじめ、柴たち人外組もわらわらと集まってくる。
「大河」
 麦茶を飲み干してから声をかけると、緩衝材に包まれたダンベルを取り出した大河が振り向いた。人差し指で居間の外を指す。
「あ、うん」
 大河がダンベルを置いて腰を上げ、省吾はテーブルにグラスを置いた。
「見てていいか?」
「うん」
 察してくれたのだろう。尋ねた晴に大河が頷き、揃って居間を出る。階段を上って、大河の部屋へ向かう。
 信用できる人たちであることは分かっているが、彼らの性格を正確に把握しているわけではない。変にプレッシャーをかけるのは心苦しい。話すか話さないかは、大河に話してから決めても遅くはないだろう。
「エアコン入れる?」
 部屋の扉も窓も開けっ放しだ。角部屋のため二面に設置された窓からは、生ぬるい風が緩やかに吹き込み、蝉の声がうるさいくらいに飛び込んでくる。
「いや、大丈夫。ここ風通しいいから」
「ん」
 それでも扉だけは閉めて、省吾はベッドの端に腰を下ろした。
「でさ、あのあとのことなんだけど」
 さっそく口火を切った省吾に、大河が椅子に座りながら視線を投げた。
「さすがにあのままだとおばさんたち心配するから、集会所で泣きやませてから帰ったんだよ」
 おばさんたちとは、ヒナキの家族のことだ。泣きやみはしたものの落ち込んだ様子の風子に、ヒナキの母親は苦笑いだった。あまり叱らないであげてねと、こっそり耳打ちされた。
「正直、ヒナがあんなに怒ると思わなかった。さすがに驚いた」
「えっ、ヒナが怒ったの? マジで?」
「マジで。怒鳴りはしなかったけど、泣きながらな。風子ちゃんの気持ちも分かるけど、大河お兄ちゃんたちはあたしたちを守るためにあんなに何度も念を押したんじゃないの。何もできないって分かってて、何でこんなことしたのって」
「そこまではっきり言ったんだ……」
 ああ、と省吾は頷いた。涙ながらに声を詰まらせて問い質すヒナキを、風子は驚きながらも黙って聞いていた。
「ただな」
 省吾は、どこか複雑な顔で続けた。
「風子が言うには、怖かったそうだ。お前が、じいさんみたいに突然いなくなるんじゃないかって。怖くて、どうしようもなかったって」
 あ、と大河は口の中で呟いて、視線を落とした。
 風子が大河に想いを寄せているせいもあるのだろうが、それ以上に、影正という前例がある。年齢を重ねた上での死ではなく、突然の死。しかも殺された。
 ついさっき、数時間前、昨日、一週間前、十日前まで――目の前で笑っていた人が突然この世からいなくなる空虚さは、言い表しようがない。それでも、人は忘れていく生き物だ。だから生きていける。しかし、影正が亡くなってほんの半月ほど。あの胸が張り裂けそうなほどの痛みや悲しみが癒されるには、まだ時間が足りない。
「で、それに対してヒナが言い返した」
 大河が目を丸くして視線を上げ、省吾は苦笑した。
「びっくりだろ」
「うん、びっくりした。今まで一度もなかったのに」
「だろ? ヒナはさ、それは皆分かってくれてる。皆一緒なの。だから尚さんや鈴さんが来て、色んな対策して、あたしたちや大河お兄ちゃんたちを守ろうとしてくれたんでしょ。だったら、あたしたちにできるのは足を引っ張らないことでしょ。それなのに無茶なことして、余計に不安にさせてどうするのってさ」
 唖然とはまさにこんな感じなのだろう。こぼれそうなくらい目を丸くして固まった大河に、省吾は小刻みに肩を震わせた。気持ちは分かる。内気でいつも風子の影に隠れていたヒナキが、まさかあんなに強く言い返すなんて。それほど、風子を心配したという証拠だ。あたしだって風子ちゃんのことすっごく心配したんだから、と言ったヒナキに、ごめん、と風子は涙声でひと言呟いた。
「要は、どっちを優先するかなんだよ。もちろん、風子の気持ちは分かる。自分の気持ちに素直に従っていいのなら、同じことをしたと思う。でも、俺はヒナの意見が正しいと思ってる。どう考えても、この状況で俺たちは足手まといだ」
 省吾はきつく唇を結び、俯いて言葉を絞り出した。
「実際、俺たちのせいで、おじさんが殺されかけた」
 目に焼き付いている、あの光景。必死の形相で自分たちを庇う雪子と、両手を掲げて弥生と対峙する影唯。そして、殺意を滲ませて霊刀を振り下ろす大河の横顔。
 夕方、連絡を寄越した影唯は言った。二人をよろしくね、と。
 期待に答えられなかった挙げ句、影唯と雪子を危険に晒し、大河にあんな顔をさせた。一生、忘れることはできない。
「――ごめん」
 目の前で影正を殺された大河の気持ちを、痛いほど実感した。自分のせいだと言った大河が、どれだけ辛かったのか、悲しかったのか、苦しかったのか、悔しかったのか。どれだけ、自分を責めたのか。
 京都へ行くと決めた大河の気持ちが、やっと理解できた。
 すぐに、大河から答えは返って来なかった。吹き込んだ風がカーテンを揺らし、せわしない蝉の鳴き声が妙に大きく聞こえる。省吾は、膝の上で組んだ両手をぎゅっと握り締めた。
「そっか、そうだよな」
 ぽつりと届いた声に、省吾はゆっくりと顔を上げた。目を落とし、一点を見つめる大河は、どこか悲しげに見える。
「風はじいちゃんのこと大好きだったから、それで怖くなったんだよな。そりゃ、大丈夫って言われても不安になるよな」
 自嘲気味な口調に、省吾は身を乗り出した。
「お前のことを信じてないってわけじゃ……」
「うん、分かってる。どれだけ信用してても、大丈夫って分かってても、不安になる時はなるよ。それに、あいつは俺たちが毎日どんな訓練してて、柴たちがどれだけ強いのか知らないし」
 大河は何かを思い付いたように顔を上げた。
「そうか。動画で訓練の様子とか送ればいいんだ。昨日省吾が撮ってくれたやつもあるし。絶対安心とまではいかないだろうけど、知らないよりマシかも」
 そっか、と一人ごちる大河に、驚きを隠せなかった。今までの大河なら、理解を示しつつも、落ち込むか愚痴をこぼしていたのに。自分で解決策を見つけるなんて。帰ってきて鈴を見た時、ヒナキに昴のことを話すと言った時、作戦会議中。少し雰囲気が変わったなと思っていたけれど。
 この短期間で、大河は一体何を経験し、考えたのだろう。
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