第12話

文字数 4,563文字

 現在、リビングダイニングには全員が揃っている。
 華と夏也と香苗は食後の後片付け、茂以外の男性陣はダイニングテーブルで食後のコーヒータイム。宿題で分からないところがあったのか、ローテーブルでは美琴が茂に数学を教わっており、双子に膝を枕にされた柴と紫苑がのんびりと麦茶をすすっている。
 そして大河はといえば、夏也と香苗が拭き終えた皿を棚に戻す手伝いをしている最中だ。やることが多いのでできない時もあるが、掃除の担当を持っていないため、せめて食器をしまうくらいは手伝うことにしている。
「明け方には止むって言ってたけど、一晩中この調子なのかなぁ」
 樹がグラスに口を付けながら、窓の方に視線を向けて鬱陶しそうにぼやいた。つい数時間前よりもさらに雨風の音が激しくなっており、時折窓がカタカタと揺れ、遠くの方で雷が鳴っている。
「今日の哨戒、休みで良かったですね」
 食事を終わらせたばかりなのにスナック菓子の袋を開けながら言った弘貴に、樹は渋い顔をした。
「むしろあった方が良かったかも。こんなにうるさかったら眠れないよ。柴、紫苑、テレビつけてくれる? どこかで天気やってない?」
「ああ」
 寮では、食事中にテレビを付けない。藍と蓮がテレビに夢中になって食事をしないことがあるかららしい。
 紫苑が腕を伸ばし、リモコンを取った。じっと見つめ、おもむろにテレビへ向けてボタンを押す。電源が入って、真っ暗だった画面にどこかの山道が映り、同時にナレーションが流れた。車のCMのようだ。
「もうすっかり慣れたな」
 怜司が声をかけると紫苑は無言でこくりと頷き、またじっとリモコンを見つめて今度はチャンネルを変えた。バラエティ番組だ。それを確認してからまた次のチャンネルへ。リモコンの使い方を教えてからしばらくは、柴と一緒にザッピングしまくって茂に止められていたのだが、落ち着いてきたようだ。ちょうど始まった五分間のニュースでは、この嵐に遭った各地の様子を伝えおり、紫苑が手を止めた。
 好奇心が強く順応力も高いらしい、早々に文明の利器を使えるようになったのはいいが、回る洗濯機の前で正座して眺めるのはそろそろやめて欲しい。主に柴だが。洗濯物を取りに行って驚く女性陣が可哀想だ。
「大河くん、それで最後です。ありがとうございます、助かりました」
「あ、はい」
 皿を拭き終えた夏也に言われ、大河は食器棚の扉を閉めてソファに腰を下ろした。置いていた麦茶に口を付けながらテレビに耳を傾ける。
『――夜半過ぎには次第に止み始め、明け方頃には雨雲は近畿地方を抜ける予想です――』
「風が強いし、早めに止みそうだね」
「だな。でも川とかすげぇ増水してそうだなぁ。氾濫してんじゃね?」
「庭も葉っぱとかゴミとか散らばってるだろうから、朝掃除しなきゃ」
 春平、弘貴、昴の会話に、怜司が溜め息をついた。
「いつも思うんだが、迷惑だよな、あのゴミ。どこから飛んでくるんだ」
 言えてる、と春平たち三人が大きく頷く側で、樹がほっとした顔をして麦茶をすすった。眠れないというのも本音だろうが、きっと大半の心配は別のところにあるのだ。この嵐は、襲うのには最適な天気。宗史と晴が対策を練っているから大丈夫だと分かっていても、心配は心配だろう。
 どんな対策を練ったのかな、と考えながら大河がグラスを置いた次の瞬間。鋭い稲光がしたと思ったらコンマ数秒、太い木の幹を真っ二つに裂いたような痛烈な音が響き、続けざまに一発の大砲のような落雷が轟いた。
 一斉に肩を跳ね上げて窓の方を振り向き、動きを止めて息を潜める。瞬時に緊張感で包まれた室内に、窓ガラスを殴る雨音と、テレビから流れるタレントの笑い声が響く。
 張り詰めた空気を破ったのは、藍と蓮のぐずる声だった。全員が同時に我に返り、止めた息を吐き出す。助けを求めるようにしがみついた双子を、柴と紫苑が抱き上げた。
「び……っくりしたぁ」
「大きかったね、今の」
「結構近くに落ちたわね」
「ちょっと揺れませんでした?」
「今のはさすがにびっくりした」
「俺もだ。あれはさすがにな」
「こんなに近くで聞いたの初めてだよ」
「あたしもです。さすがに驚きました」
 口々に言い合うそばから、まだ遠くの方でゴロゴロと雷鳴が聞こえる。これはまた落ちるかもしれない。
「し、心臓止まるかと思った……」
 グラスをローテーブルに置いた恰好のまま硬直していた大河は、胸のTシャツを掴んで深呼吸をした。背後から怜司に声をかけられた時といい、今日は驚かされる日か。
「怯えることはない。皆ここにいる」
()()が簡単に泣くなと言うたであろう」
 柴と紫苑が、ぐずる双子の背中をさすりながら諭す。柴はともかく、紫苑はなかなか厳しい。
「こんな日はなかなか寝てくれないのよねぇ。珍しく夕方に寝ちゃってたし」
 華が双子を眺めながら心配そうな顔をした。二人で一緒に寝ていても、子供からすればこの嵐は怖いだろう。かくいう大河も幼い頃、台風や嵐の日は影正の布団にもぐりこんでいた。背中をさする大きな手や、体をすっぽり包む温もり。祖母が語る昔話は囁くような声で、とても心地よかった記憶がある。
「とりあえず、お風呂だけでも先に済ませましょうか」
 キッチンから出てきた夏也が言った。
「そうね、そうしましょうか」
「じゃあ入れてきますね」
「ええ、お願い」
 はい、と頷いて夏也がリビングを出ると、華と香苗が席に腰を下ろして一息ついた。
「皆はこのあとどうするの?」
 樹が弘貴のスナック菓子をつまみながら言った。弘貴は体が大きいから分からないでもないし、スナック菓子は甘味ではないからいいのだろうが、それ以上に樹の胃袋の容量が気になる。
「俺は京都の地図を覚えて、そのあと霊符の練習します」
「俺も部屋に籠ってイメトレっす。あと筋トレ」
「僕も。霊符描いて、独鈷杵の訓練します」
「僕も霊符描きます。真言も新しいの暗記したいし」
「あたしもです」
「あたしも独鈷杵と、あと擬人式神の訓練を」
 大河に続いて弘貴、春平、昴、美琴、香苗が答える。
「そうそう。香苗ちゃん、新しい擬人式神どう?」
 樹に尋ねられ、香苗は少し困った顔をした。
「一番注ぎやすい和紙は分かったんですけど、今までのよりはちょっと時間がかかります。使役できる時間も短くて」
「うーん、やっぱり使われてる素材が違うから注ぐ感覚が違うだろうし、霊力量も消費しやすいのかな」
「多分そうだと思います。今までと同じ速度で行使できるようになりたいんですけど……」
「そんなに急ぐことないと思うけど、こればっかりは香苗ちゃんじゃないとねぇ……」
「あの数をあの速度で行使できるのって、香苗ちゃんか夏也くらいだものね。でも、無理しちゃ駄目よ」
「はい。ありがとうございます、頑張ります」
 香苗は照れ臭そうに肩を竦めて笑った。
「でも、あの速度で行使できるってすごいよね。僕だったら倍の時間がかかる」
「俺は三倍かかるな。苦手。っていうかもうないし! 樹さん食いすぎ!」
 いつの間にか無くなったスナック菓子の袋を覗き込んで、弘貴が悲痛な声を上げた。あの細い体のどこに入るんだろう。
 まだストックあるでしょ、これは俺が買ったんです、あれそうなのごめんね今度買ってあげるよ、と軽くあしらわれ、渋い顔をする弘貴に笑い声が上がる。柴と紫苑は「世界が驚いた仰天動画」という番組に釘付けになり、大河は勉強を再開した茂と美琴から聞こえてくる公式を意識的に遮断した。
 と、不意に二度目の雷鳴が響き、一様に口を閉じた。
 先程よりは遠いようだが、それでも地響きのような雷鳴は自然と警戒心が頭をもたげる。双子が柴と紫苑の首に強くしがみついた。その時、感電したような雷鳴が鼓膜を襲い、隕石でも落ちたような重い落雷の音が轟いた――とたん、ふっと明かりと音が消えた。
「えっ」
 突然視界を塞いだ暗闇と静寂に、思わず一様に驚きの声を漏らす。つい今まで笑い声が流れていたテレビは消え、エアコンの稼働音もしない。いつもは寮の塀の上から庭木越しに庭を照らす街灯も沈黙し、不気味に唸る雨風の音と、窓が小さく揺れる音だけがリビングを支配する。急な暗闇で目が慣れないためか、一瞬、前後左右が不確定な感覚に陥った。
「あー、停電かぁ」
 闇の中から樹の暢気な声と、双子のすすり泣く声が聞こえた。
「とりあえず全員携帯のライト点けて」
 冷静な樹の指示に、皆手探りで携帯を探す。大河も慎重にソファから下り、グラスを倒さないようにゆっくりと腕を伸ばしてテーブルの位置を探る。すると不意に、部屋の外で乱暴に扉を開いた音と一緒に、ゴトンと何か重い物が床に落ちた音が響いた。続けて、ドン、とどこかに何かがぶつかる鈍い音がした。
「やだ、夏也大丈夫かしら」
「しまった、夏也姉……!」
 心配そうな華の声と、切羽詰まった弘貴の声、そして二脚の椅子を乱暴に引いた音が被った。ぽつぽつと携帯画面の明かりが灯る中、弘貴と春平は同時に向かい合うように振り向いてぶつかった。
「うわっ」
「いたっ」
 反動で弾かれるようにして椅子に戻る。樹と怜司がライトを点灯しながら腰を上げた。この台数だ、次々とライトが点き、動くには十分な明かりがリビングに戻る。
「ちょっと何してるの、落ち着きなよ。柴か紫苑、どっちか付き合って」
 鬼は夜目が利く。念のためだろう。すぐに反応したのは柴だ。
「紫苑、藍を」
「承知致しました」
「皆、ここにいて。危ないから動かないでよ」
 樹の指示が飛び、遅れて大河がライトを点灯した時には、すでに柴が藍を紫苑に預け、樹と怜司のあとを追ってリビングから出て行くところだった。
「あっ、ちょっと二人とも……!」
 指示を無視して三人を追いかけた弘貴と春平に、茂が腰を浮かせた。引き止める間もなく、二人は携帯を手にリビングを飛び出した。残されたのは、大河と双子を抱えた紫苑、茂と美琴、昴と香苗、そして華だ。皆、不思議そうな顔をしている。
 確かに、この暗闇の中で心配なのは分かるが、邪気や悪鬼の気配はないし雷を怖がっている様子もなかった。夏也なら冷静に対処するとあの二人なら分かるはずだが。
 昴が華に尋ねた。
「あの、夏也さんって暗いの駄目でしたっけ」
「ううん、そんなことないと思うけど」
「停電なら今まで何度かあったし、そんな素振り一度もなかったよね」
 追随した茂に、華が心配顔でええと頷いた。開かれたままの扉から、生ぬるい空気が流れ込んでくるのが分かる。
「さっきの、何かぶつかったような音は……」
 美琴がぽつりと呟いた時、夏也姉! と叫ぶ弘貴と春平の声が響き渡った。一瞬全員が凍りつき、一斉に腰を上げる。明かりがあちこちを泳ぎ、慌ただしく大河たちがリビングを出る後ろで、紫苑が藍と蓮をあやしながら両腕に抱えてゆっくり立ち上がった。
 昴を先頭に、香苗、茂、美琴、最後に華と大河が一緒にリビングを出た。
 温泉宿のように男湯、女湯と暖簾が掛けられた向かい側には、手前からトイレの扉が三枚と洗面所の扉が並んでいる。人の往来を考えたのか、全て引き戸になっているトイレの一つが半分ほど開きっぱなしになっており、レールの上に夏也の携帯が転がっている。樹と怜司、そして柴が、男湯と女湯を隔てる柱の方を向いて、その前で佇んでいた。
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