第7話
文字数 3,912文字
*・・・*・・・*
草を踏み分ける五人の足音さえ掻き消すほどの蝉の大合唱は、さながらサラウンドスピーカーで音楽を聞いているようだ。
今ではすっかりけもの道となってしまった御魂塚への小道を、影綱は何度往復したのか。毎日でなくても、百や二百では収まらないだろう。あの時代も、夏は今と同じくらい蝉がうるさかったのだろうか。
そんな、影綱が何百回と自分の元へと通った道を、柴は今、どんな気持ちで歩いているのだろう。
以前来た時は何とも思わなかった道が、今は感慨深く思える。
じいちゃんも、何度も登ったんだろうな。そんなしんみりとした気持ちで晴たちの先頭を行っていた大河は、ふと視線を上げるなり、うっと声を詰まらせた。終着地点で、宗史がものすごい不機嫌顔で仁王立ちし、こちらを見下ろしている。思わず足を止めた大河の背後で、晴が「怒ってんな」と呟いた。
引き返したら追いかけてきたりするのだろうか。いや、ちゃんと理由があるのだからこちらが怖がる必要はないのだ。とは思うものの、足はなかなか動いてくれない。
「宗史さんって、あんな顔するんだな。怖ぇ……」
省吾も恐々だ。
「何を躊躇うことがある。さっさと行け」
最後尾で紫苑がせっついた。そうだけどさぁ、と大河が苦い顔でぼやくと、宗史が盛大に溜め息をついて組んでいた腕を解いた。
「何してる、早く来い。始めるぞ」
あんたのせいだよ。踵を返した宗史の背中に内心で突っ込んで、大河は安堵の息と共に足を進めた。
けもの道を抜けて広がった光景は、少しだけ様変わりしていた。
小ぢんまりとした広場の中央。すり鉢状に深く抉れた地面や、注連縄や紙垂を下敷きにして静かに横たわっている塚はそのままだが、嵐の日、こちらも激しかったのだろう。枯れ葉や折れた枝が穴に溜まり、塚に張り付き、すっかり砂埃を被っている。
「おお、遅かったな」
抉れた地面の向こう側。木陰に腰を下ろしていた志季が、よっこらせと立ち上がった。
雪子の提案で持ってきたレジャーシートの上には、ペットボトルが入ったクーラーバッグの他に、紙コップや人数分のタオル、ウェットティッシュ、熟女軍団からいただいたお菓子が並んでいる。まるでハイキングにでも来たかのようだが、何せ崩壊した塚以外何もないのだ。備えあれば憂いなし。
抉れた地面の側で、柴が足を止めた。じっと穴の中を見下ろす横顔は相変わらず無表情で、何を考えているのか分からない。
あの時、柴は正気を失っていた。自分が暴れたことを紫苑から聞いたと言っていたから、記憶がなかったのだろう。ここに自分が封印されていた実感すら湧かないかもしれない。
かける言葉が見つからず誰もが沈黙を守る中、やがて柴が視線を上げた。
「少し、周囲を見回ってきても構わぬか」
突然の申し出に答えたのは宗史だ。
「そうだな、頼む。明るいうちに島の様子や距離感を確認しておいた方がいいし。人の目には気を付けてくれ」
「ああ。紫苑、のちに交代だ。お前も確認しておけ」
「承知致しました」
素直に受け入れた紫苑が頷くと、柴はすぐに地面を蹴って高く飛び上がり、姿を消した。
宗史はそれらしい理屈を付けたけれど、千年以上、自分が封印されていた場所だ。いくら影綱が近くにいたといっても、やはり実際目にすると嫌に思っただろうか。
余計なお世話だったかな。大河が顔を曇らせて塚へ視線を落とすと、紫苑が言った。
「大河、集中しろ。戦いが長引けば、島の者たちへ被害が出るやもしれんのだ。柴主もそれはお望みではない」
憂い顔をどう解釈したのか分からないが、紫苑の指摘に大河はうんと頷いた。そうだ、今はそちらを優先しなければ。
宗史が大河から紫苑へ視線を移した。
「じゃあ、紫苑は俺たちと手合わせを頼む」
「承知した」
「志季、刀の刃を無くせるか?」
「ああ、できると思うけど……あ、なるほど」
思惑を察した志季に頷いて、宗史は再び大河を見やる。
「大河、お前は霊刀を使え」
「え?」
まさかの指示に、大河は目を丸くした。木刀ではなく、真剣で志季と手合わせをしろというのか。
「それ、危ないんじゃ……」
「あ?」
ドスの利いた声で言葉を遮られた。驚いて見やると、心の底から心外そうに目を据わらせた志季が、腰に手を当ててこちらを見下ろしていた。
「大河てめぇ、お前のへなちょこ剣術が俺に通用すると思ってんのか? ああ?」
「へなちょこ……」
ずいっと迫られ、大河は顔を引き攣らせて同じだけ身を引いた。へなちょことはずいぶんな言われようだ。しかし、
「す、すみません……」
間違っていないため反論ができない。でもやっぱり悔しくて、膨れ面をしつつも素直に詫びると、志季はよしと満足して体勢を戻した。そして、改めて真剣な眼差しを向ける。
「いいか大河。お前が戦うのは悪鬼だけじゃねぇんだ。慣れろ」
忌憚なく告げられた言葉に、息が詰まった。
言われてみれば、人を相手に霊刀を振るったことがない。樹を相手にしたことはあるが、あれは基本の確認で実戦ではなかったし、樹なら受け損ねる心配はないと思っていた。
でも、今回は違う。もし襲撃されれば、敵として生身の人間に真剣を向けなければならない。
今さらながら湧いた実感に、大河は俯いて拳を握った。背中に冷たい汗が伝う。
敵は、こんな事件を起こすほどの覚悟がある。容赦なく殺そうとしてくるだろう。そんな相手に躊躇えば、間違いなく殺される。だからといって、殺せるかと問われれば答えは否だ。だったらせめて――。
大河はぐっと歯を噛み締めて、唇を結んだ。
殺したくないし、殺すつもりはない。本当は話し合いで説得するのが一番だ。でもこの事件において、そんな考えは綺麗事だ。敵側もそのつもりはないだろう。こちらが負けるということは、この世が混沌に陥ると同時に、大切な人たちを失うことにも繋がる。
これはそういう事件で、自分が望んでここにいるのだ。
省吾は大学進学を希望している。風子とヒナキは高校受験のために頑張っている。弘貴はこのまま陰陽師として働きたいと言った。春平は一人暮らしを夢見ている。小田原はドラマの撮影が決まっていて、翔太と一緒にまた会う約束をした。樹をはじめ、寮の皆や宗一郎たちもそうだ。
皆、大切なものがあって、守りたいものや夢が――未来がある。
柴と紫苑が来た翌日の会合で、樹が言った言葉が蘇った。
『どこかで割り切らないと、死ぬよ?』
樹、茂、華は平良たちと一戦交えている。彼らは、すでに覚悟ができているのだ。
それに比べて自分はどうだ。もっと強くなりたいとか、昴を止めたいとか、隗を解放してやりたいとか、大口を叩いたわりにはまたこうして迷う。茂と話をした時に、覚悟ができていなかったと自覚したはずなのに。
もちろん、あの時と比べれば覚悟はできていると思う。でもまだだ。まだ足りない。大切な人たちを、大切な人たちが大切にしている何かを守るための覚悟。殺すためではなく、守るための覚悟と、強さが。
俯いたまま身じろぎ一つしない大河に見かねたのか、宗史が唇を開きかけた。その時、大河が意を決したように顔を上げた。真っ直ぐな眼差しで、志季を見据える。
味方も敵も、誰も死んで欲しくない。だったら、強くなるしかない。
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた大河に、宗史たちが目を丸くした。
ゆっくりと頭を上げた大河をしばしじっと見据え、志季はにっと不敵な笑みを浮かべた。
「いい顔になったじゃねぇか。手加減しねぇからな、覚悟しろよ」
「えっ、手加減はしてよ。式神に本気でやられたら死ぬじゃん」
「甘えたことぬかすな。死ぬ気でやれっつってんだ」
「はーい……」
これが椿なら言葉のあやで済むだろうが、相手は志季だ。顔中に不安を滲ませる大河に、小さな笑い声が上がる。
「あ、そうだ」
不意に思い出して、大河はポケットから携帯を引っ張り出した。
「省吾」
「うん?」
「あのさ、宗史さんたちの手合わせ撮ってくれる? あとで見て参考にするから」
「ああ……、分かった」
携帯を差し出すと省吾が苦笑した。罅が入った保護フィルムは、相変わらずそのままだ。
「フィルム買い替えろよ。強度落ちるだろ」
「そうなんだけど、買いに行く時間なくて」
受け取りながら嘆息する省吾を眺め、大河は小首を傾げた。さっき一瞬不自然な間が開いた気がするが、おかしな頼みごとだっただろうか。
そんじゃ、と志季が言った。
「省吾、お前はレジャーシートのところにいろ。危ねぇから近寄んなよ」
「分かった」
「大河、俺らは向こうな。晴たちが省吾に近い方がいいだろ」
「うん」
返事をしながら志季のあとを追いかける。
「俺ら撮られんのかー。気合い入れねぇとなぁ」
「さすがに無様な姿を撮られたくないな」
「お前は無理すんなよ」
「分かってる」
嫌がるかなと思ったが、どうやら動画の使用目的を汲んでくれたようだ。苦笑しながら軽く準備運動をする二人の声を背中で聞いて、大河はへらっと笑った。
省吾から見て、少し離れた場所で「宗史、晴VS紫苑」。塚の向こう側で「大河VS志季」の手合わせが始まった。
大河はゆっくりと深呼吸をして半身で腰を落とし、霊刀を左脇に構える。剣道の脇構えは右側だが、刀は左脇に佩くためこの形になる。教わった時はなんだか違和感があったけれど、すっかり慣れてしまった。対する志季の手の中には真っ赤な刀が握られているが、構えもせず余裕の顔で突っ立ったままだ。
式神に勝てるとは思ってないけど、ムカつく。大河は体勢を低くしたまま地面を蹴った。キンッ! と目の覚めるような硬質な音が、周囲に響き渡った。
草を踏み分ける五人の足音さえ掻き消すほどの蝉の大合唱は、さながらサラウンドスピーカーで音楽を聞いているようだ。
今ではすっかりけもの道となってしまった御魂塚への小道を、影綱は何度往復したのか。毎日でなくても、百や二百では収まらないだろう。あの時代も、夏は今と同じくらい蝉がうるさかったのだろうか。
そんな、影綱が何百回と自分の元へと通った道を、柴は今、どんな気持ちで歩いているのだろう。
以前来た時は何とも思わなかった道が、今は感慨深く思える。
じいちゃんも、何度も登ったんだろうな。そんなしんみりとした気持ちで晴たちの先頭を行っていた大河は、ふと視線を上げるなり、うっと声を詰まらせた。終着地点で、宗史がものすごい不機嫌顔で仁王立ちし、こちらを見下ろしている。思わず足を止めた大河の背後で、晴が「怒ってんな」と呟いた。
引き返したら追いかけてきたりするのだろうか。いや、ちゃんと理由があるのだからこちらが怖がる必要はないのだ。とは思うものの、足はなかなか動いてくれない。
「宗史さんって、あんな顔するんだな。怖ぇ……」
省吾も恐々だ。
「何を躊躇うことがある。さっさと行け」
最後尾で紫苑がせっついた。そうだけどさぁ、と大河が苦い顔でぼやくと、宗史が盛大に溜め息をついて組んでいた腕を解いた。
「何してる、早く来い。始めるぞ」
あんたのせいだよ。踵を返した宗史の背中に内心で突っ込んで、大河は安堵の息と共に足を進めた。
けもの道を抜けて広がった光景は、少しだけ様変わりしていた。
小ぢんまりとした広場の中央。すり鉢状に深く抉れた地面や、注連縄や紙垂を下敷きにして静かに横たわっている塚はそのままだが、嵐の日、こちらも激しかったのだろう。枯れ葉や折れた枝が穴に溜まり、塚に張り付き、すっかり砂埃を被っている。
「おお、遅かったな」
抉れた地面の向こう側。木陰に腰を下ろしていた志季が、よっこらせと立ち上がった。
雪子の提案で持ってきたレジャーシートの上には、ペットボトルが入ったクーラーバッグの他に、紙コップや人数分のタオル、ウェットティッシュ、熟女軍団からいただいたお菓子が並んでいる。まるでハイキングにでも来たかのようだが、何せ崩壊した塚以外何もないのだ。備えあれば憂いなし。
抉れた地面の側で、柴が足を止めた。じっと穴の中を見下ろす横顔は相変わらず無表情で、何を考えているのか分からない。
あの時、柴は正気を失っていた。自分が暴れたことを紫苑から聞いたと言っていたから、記憶がなかったのだろう。ここに自分が封印されていた実感すら湧かないかもしれない。
かける言葉が見つからず誰もが沈黙を守る中、やがて柴が視線を上げた。
「少し、周囲を見回ってきても構わぬか」
突然の申し出に答えたのは宗史だ。
「そうだな、頼む。明るいうちに島の様子や距離感を確認しておいた方がいいし。人の目には気を付けてくれ」
「ああ。紫苑、のちに交代だ。お前も確認しておけ」
「承知致しました」
素直に受け入れた紫苑が頷くと、柴はすぐに地面を蹴って高く飛び上がり、姿を消した。
宗史はそれらしい理屈を付けたけれど、千年以上、自分が封印されていた場所だ。いくら影綱が近くにいたといっても、やはり実際目にすると嫌に思っただろうか。
余計なお世話だったかな。大河が顔を曇らせて塚へ視線を落とすと、紫苑が言った。
「大河、集中しろ。戦いが長引けば、島の者たちへ被害が出るやもしれんのだ。柴主もそれはお望みではない」
憂い顔をどう解釈したのか分からないが、紫苑の指摘に大河はうんと頷いた。そうだ、今はそちらを優先しなければ。
宗史が大河から紫苑へ視線を移した。
「じゃあ、紫苑は俺たちと手合わせを頼む」
「承知した」
「志季、刀の刃を無くせるか?」
「ああ、できると思うけど……あ、なるほど」
思惑を察した志季に頷いて、宗史は再び大河を見やる。
「大河、お前は霊刀を使え」
「え?」
まさかの指示に、大河は目を丸くした。木刀ではなく、真剣で志季と手合わせをしろというのか。
「それ、危ないんじゃ……」
「あ?」
ドスの利いた声で言葉を遮られた。驚いて見やると、心の底から心外そうに目を据わらせた志季が、腰に手を当ててこちらを見下ろしていた。
「大河てめぇ、お前のへなちょこ剣術が俺に通用すると思ってんのか? ああ?」
「へなちょこ……」
ずいっと迫られ、大河は顔を引き攣らせて同じだけ身を引いた。へなちょことはずいぶんな言われようだ。しかし、
「す、すみません……」
間違っていないため反論ができない。でもやっぱり悔しくて、膨れ面をしつつも素直に詫びると、志季はよしと満足して体勢を戻した。そして、改めて真剣な眼差しを向ける。
「いいか大河。お前が戦うのは悪鬼だけじゃねぇんだ。慣れろ」
忌憚なく告げられた言葉に、息が詰まった。
言われてみれば、人を相手に霊刀を振るったことがない。樹を相手にしたことはあるが、あれは基本の確認で実戦ではなかったし、樹なら受け損ねる心配はないと思っていた。
でも、今回は違う。もし襲撃されれば、敵として生身の人間に真剣を向けなければならない。
今さらながら湧いた実感に、大河は俯いて拳を握った。背中に冷たい汗が伝う。
敵は、こんな事件を起こすほどの覚悟がある。容赦なく殺そうとしてくるだろう。そんな相手に躊躇えば、間違いなく殺される。だからといって、殺せるかと問われれば答えは否だ。だったらせめて――。
大河はぐっと歯を噛み締めて、唇を結んだ。
殺したくないし、殺すつもりはない。本当は話し合いで説得するのが一番だ。でもこの事件において、そんな考えは綺麗事だ。敵側もそのつもりはないだろう。こちらが負けるということは、この世が混沌に陥ると同時に、大切な人たちを失うことにも繋がる。
これはそういう事件で、自分が望んでここにいるのだ。
省吾は大学進学を希望している。風子とヒナキは高校受験のために頑張っている。弘貴はこのまま陰陽師として働きたいと言った。春平は一人暮らしを夢見ている。小田原はドラマの撮影が決まっていて、翔太と一緒にまた会う約束をした。樹をはじめ、寮の皆や宗一郎たちもそうだ。
皆、大切なものがあって、守りたいものや夢が――未来がある。
柴と紫苑が来た翌日の会合で、樹が言った言葉が蘇った。
『どこかで割り切らないと、死ぬよ?』
樹、茂、華は平良たちと一戦交えている。彼らは、すでに覚悟ができているのだ。
それに比べて自分はどうだ。もっと強くなりたいとか、昴を止めたいとか、隗を解放してやりたいとか、大口を叩いたわりにはまたこうして迷う。茂と話をした時に、覚悟ができていなかったと自覚したはずなのに。
もちろん、あの時と比べれば覚悟はできていると思う。でもまだだ。まだ足りない。大切な人たちを、大切な人たちが大切にしている何かを守るための覚悟。殺すためではなく、守るための覚悟と、強さが。
俯いたまま身じろぎ一つしない大河に見かねたのか、宗史が唇を開きかけた。その時、大河が意を決したように顔を上げた。真っ直ぐな眼差しで、志季を見据える。
味方も敵も、誰も死んで欲しくない。だったら、強くなるしかない。
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた大河に、宗史たちが目を丸くした。
ゆっくりと頭を上げた大河をしばしじっと見据え、志季はにっと不敵な笑みを浮かべた。
「いい顔になったじゃねぇか。手加減しねぇからな、覚悟しろよ」
「えっ、手加減はしてよ。式神に本気でやられたら死ぬじゃん」
「甘えたことぬかすな。死ぬ気でやれっつってんだ」
「はーい……」
これが椿なら言葉のあやで済むだろうが、相手は志季だ。顔中に不安を滲ませる大河に、小さな笑い声が上がる。
「あ、そうだ」
不意に思い出して、大河はポケットから携帯を引っ張り出した。
「省吾」
「うん?」
「あのさ、宗史さんたちの手合わせ撮ってくれる? あとで見て参考にするから」
「ああ……、分かった」
携帯を差し出すと省吾が苦笑した。罅が入った保護フィルムは、相変わらずそのままだ。
「フィルム買い替えろよ。強度落ちるだろ」
「そうなんだけど、買いに行く時間なくて」
受け取りながら嘆息する省吾を眺め、大河は小首を傾げた。さっき一瞬不自然な間が開いた気がするが、おかしな頼みごとだっただろうか。
そんじゃ、と志季が言った。
「省吾、お前はレジャーシートのところにいろ。危ねぇから近寄んなよ」
「分かった」
「大河、俺らは向こうな。晴たちが省吾に近い方がいいだろ」
「うん」
返事をしながら志季のあとを追いかける。
「俺ら撮られんのかー。気合い入れねぇとなぁ」
「さすがに無様な姿を撮られたくないな」
「お前は無理すんなよ」
「分かってる」
嫌がるかなと思ったが、どうやら動画の使用目的を汲んでくれたようだ。苦笑しながら軽く準備運動をする二人の声を背中で聞いて、大河はへらっと笑った。
省吾から見て、少し離れた場所で「宗史、晴VS紫苑」。塚の向こう側で「大河VS志季」の手合わせが始まった。
大河はゆっくりと深呼吸をして半身で腰を落とし、霊刀を左脇に構える。剣道の脇構えは右側だが、刀は左脇に佩くためこの形になる。教わった時はなんだか違和感があったけれど、すっかり慣れてしまった。対する志季の手の中には真っ赤な刀が握られているが、構えもせず余裕の顔で突っ立ったままだ。
式神に勝てるとは思ってないけど、ムカつく。大河は体勢を低くしたまま地面を蹴った。キンッ! と目の覚めるような硬質な音が、周囲に響き渡った。