第4話

文字数 4,037文字

「そいや」
 不意に晴が口を開いた。
「報酬に差があるのは何でだ?」
 唐突な話題の転換は、流れる重苦しい空気に耐え切れなかったのだろう。便乗したのは樹だ。
「ああそれ、大した意味ないと思うよ」
「何で」
「冬馬さんも狙ってたんだから、ほんとのこと言う必要ないでしょ。三人で五百の報酬を支払ってやるとか何とか、適当に言ったんじゃないの? 僕と怜司くん入れて五人で山分けって言ってたから」
「脅してたのにか?」
「力で抑え込んでさらにお金を餌に従わせる。あの人の考えそうなことだよ。多分、冬馬さんたちは詳細を知らなかったんじゃないかな。智也さんと圭介さんも、冬馬さんも標的だって途中で知らされたんだと思う。初めから知ってて一緒に働けるほど神経太くないから」
 しらっと毒づいた樹に、なるほどと晴が呆れた溜め息をついた。
「じゃああれはどうなんだ」
 波に乗ったのは紺野だ。
「陽を見張ってたっていう良親の証言。あの方法は可能なのか?」
「どういうことですか?」
 北原が首を傾げた。
「式神が護衛についてたんだろ。志季が大河を助けた時、あいつらは邪気の影響を受けてるみたいなことを言ってたから、それなら式神が気付くんじゃねぇのかって思ってな」
 ああ確かに、と北原が納得し、宗史が言った。
「邪気というのは、一度出たからといってそのまま出ているわけではないんですよ。負の感情が治まれば消えるんです」
 つまり、見張り役の男たちの邪気が潜んでいれば警戒は薄れる。
「それに、邪気が全て悪鬼化するわけではないですから。もし式神たちが自宅周辺で見かけたとしても、特に気には止めないでしょう。正直なところ、全ての邪気を浄化していてはキリがありません」
「ああ、まあ負の感情なんてもんは誰でも持ってるしな。てことは、あいつらが邪気垂れ流してたとしても気にしねぇってことか」
「よほどのものか、同じ顔ぶれなら警戒するでしょうが。これまでの話から推測して、おそらく樹さんがアヴァロンへ行く前にはすでに依頼を受けていたと思われます。とすれば、見張っていたのは最低二日以上前から。いつから見張っていたのか分かりませんが、あの人数でローテーションを組んでいたのなら、一週間や二週間では気付きにくいかと思います」
「なるほどな。平良が考えたっつってたから、その辺のことも分かった上での方法だったのか。厄介だな」
 紺野は渋面を浮かべた。知識や習性などを把握しているからこそ裏をかかれる。確かに厄介だ。
 宗史の説明を聞きながら、幼い頃、影正に言われたことを思い出した。人は負の感情をコントロールしながら生きている、と。良親は、人を殺すことを何とも思っていない奴らばかりだと言っていたが、彼らは不満だけを抱えて生きていたわけではないのだ。一度生まれた負の感情が治まるような、何か楽しいこともあった。それなのに、あの時ばかりは邪気を纏っていた。陽を殺害するという目的があったせいだろうか。
 彼らがどんな人生を歩んできたのかは知らないが、もしこの事件に関わらなければ、これから先、平穏に普通の暮らしをしていたかもしれないのだ。
 今さらどうこう言っても後の祭りだが、やはり後味は悪い。
「なあ、お前ら最重要課題忘れてねぇ? 結局陽の誘拐を依頼した奴って誰なんだ?」
 志季が少々呆れた様子で聞いた。口を開いたのは晴だ。
「あー、それなぁ……」
 すでに分かっているような反応を見せた晴が、どうする? と言いたげに宗史を見やった。
「もしかして、依頼主って宗史さんたちが知ってる人?」
「おい、どういうことだ」
 大河と紺野の急くような問いかけに、宗史は一呼吸置いて答えた。
「乱暴な推理をするなら、目星はついています」
「誰だ」
 宗史は固い声でその名を告げた。
草薙一之介(くさなぎいちのすけ)です」
 久しぶりに聞いた名前に、嵐のようにあの時の記憶が脳裏に蘇った。大河がこれでもかと顔を歪ませる。今思い出しても腹立たしい。一方紺野と北原は目を丸くして宗史を凝視し、樹と怜司はやっぱりと言いたげな溜め息を漏らし、陽と志季と椿は眉根を寄せた。
「あ――――、待て待て、いや待つな、待て、いや分かった」
 物凄い勢いで脳みそが回転しているのだろう。矛盾する言葉を羅列し、紺野が顔を覆った。
「つまり、狙いは陽個人じゃなくて――」
 はい、と宗史が神妙に頷き、紺野は指の隙間から視線を向けた。
「土御門家です」
 マジか、と紺野がぼやいた。しかめ面をしたままの大河と、あんぐりと口を開けたままの北原を置いて、宗史は続ける。
「一連の事件は鬼代事件と繋がり、誘拐の狙いは身代金ではなく陽自身。しかし、陽が個人的に恨みを買うとは思えません。理由は、個人的な付き合いで高額な報酬を支払える人間がいないからです。塾や習い事は通っていませんし、部活も入っていません。交友関係は限られます」
 性格や人柄ではなく人間関係を理由に挙げたのは、客観的に見て分かりやすいからだろう。確認するような視線を向けられ、陽はこくりと頷いた。
「そうなると、狙いは土御門家。草薙一之介は、土御門家を排除しようとしている。先日の会合に出席された時、彼の態度に違和感を覚えませんでしたか」
 ついと視線を向けられ、北原が我に返った。
「えっ、うん。それは気付いたけど……でも、次男とはいってもあの草薙製薬会長の息子だよ? 平良に依頼したってことは、鬼代事件の犯人と繋がってるってことになるし、さすがにここまでするなんて……」
 会社経営のことはよく分からないが、身内に犯罪者を出したとあっては信用問題に関わるだろう。当然株価は暴落するだろうし、会社自体が倒産しかねないのではないのか。
「詳しいいきさつは省きますが、土御門家の祖は安倍晴明です。彼の師は、賀茂家の祖である賀茂忠行。つまり、師弟関係であったにも関わらず、現在両家は対等な立場にある。草薙一之介は、それがお気に召さないそうですよ」
「え――――?」
 納得しがたい声を、大河と北原が渋面と共に同時に吐き出した。
 両家がこれまでどんな歴史を辿ってきたかは知らないが、師弟関係にあったのは千年以上前の話のはずだ。それを二十一世紀のこの時代で、気に入らないと言われても両家共々さぞ困るだろうに。
 宗一郎と明は、父子ほど年が離れているのだから、宗一郎が主導権を握るのは仕方ないだろう。先代である栄晴がいつ亡くなったのか分からないが、二十代であろう明とは経験値に差があるのは明らかだ。しかし、だからといって宗一郎が全ての権限を独占しているようには見えなかったし、明が不満を持っているようにも見えなかった。むしろ、二人揃って笑い上戸という共通点もあり、どう見ても関係は良好だろう。
 それを自分が気に入らないからといって、こんな事件まで起こすなんて。
「くっだらない」
 心の底からの侮蔑を込めた本音をぼそりと漏らした大河に、宗史らが苦笑した。
「同感だ。けど、矛盾するんだよ」
「矛盾?」
「ああ。会合の時、草薙さんは鬼を取り逃がした責任を取らせるために、土御門家と刀倉家、それと俺を外そうとしただろう」
「ああ、そうか」
 真っ先に樹が納得の声を上げた。
「事件のどさくさに紛れて宗史くんを抹殺できるのにね」
「そうです」
「は!?」
 大河と紺野と北原の素っ頓狂な声が重なった。物騒な発言をした樹と、それを当然のように肯定した宗史を交互に見やる。
「おいおい待て、何だ抹殺って」
「何でそんな話になるのっ」
「そうだよ、ちょっと飛躍しすぎてない!?」
 一から丁寧に説明願いたい。動揺する三人に、宗史が口を開きかけてむっと閉じた。何だ。それを見た晴が、仕方ないと言いたげに溜め息をついた。
「草薙には龍之介(りゅうのすけ)っつー息子がいるんだよ。そいつが女癖の悪い奴でな、色々洒落にならねぇこともしてるって話だ。しかも、(さくら)と結婚するって言い張ってる上に寮の女性陣全員セクハラ被害者だ」
千代(ちよ)に頼んで悪鬼に食わせてしまえ」
 命知らずな。目を据わらせて吐いた大河の悪態に、宗史の目が煌めいた。
「いいな、それ。千代に会ったら交渉してみよう」
「何か手土産でも持って行くか?」
「草薙を差し出せばいい」
「どうせなら事件を終わらせるように頼んでみるっていうのは? 女の子でしょ、スイーツの一つ二つ振る舞えば落とせるかもよ?」
 落とせるか。それで落とせたらむしろ親近感が湧く。晴と怜司と樹は冗談だろうが、宗史の目が本気に見える。和菓子の方が好みかな、と聞こえたのはきっと気のせいだ。
 陽と志季、椿までも加わり、草薙親子暗殺方法で盛り上がる宗史らに、紺野が盛大に溜め息をついた。北原も苦笑している。
「おい、お前らなんでそういちいち話が逸れるんだ、女子か! で? つまりなんだ……桜ってのは誰だ?」
 何故か視線を寄越した紺野に、大河が答えた。桜のことは聞いていないのか。
「宗史さんの妹です」
「ああ、お前妹いるのか。ってことはだ、つまり土御門家を排除して権力を賀茂家に集約させるだろ? で、実権を握るために宗史を抹殺して龍之介と桜を結婚させようと、企んでんのか、あのジジイ……」
 流暢に話していた紺野が不自然に言葉を詰まらせながら、顔をひきつらせた。同時に大河と北原も肩を跳ね上げて身を引いた。宗史が絶対零度の真っ白な気体を身に纏っている。
「そんな愚行を、俺が許すと思うか……?」
「思いません!」
 不快指数を現したようなゆっくりとした口調と低音ボイスに、大河が直立不動で即答した。紺野と北原は晴たちに何事かと視線で問う。溺愛してんだよ、そっちか、とこっそり話す晴と紺野と北原の声が聞こえた。柴は一向に表情が変わらないが、紫苑の方は若干引き気味だ。
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