第15話

文字数 1,684文字

 夜半過ぎには止み始めるらしい豪雨は、さすがにまだ止む気配はない。
「ずりぃだろ、お前ら」
 指定された時間、指定されたアパートの屋根の上に降り立つや否や、志季は渋い顔で言い放った。耳元で唸る暴風と、痛いほど全身を叩く雨が実に鬱陶しい。さらに全身ずぶ濡れなので着物が重く、その分の不快さも加わってますます眉間に皺が寄る。とどめは、この豪雨の中にありながら髪の毛一本濡れていない水神三柱だ。
「何がだ」
 問うたのは、香苗を溺愛する水神だ。
「何がじゃねぇよ、俺の格好見たら分かんだろ」
「さっぱり分からん」
 ほら、と両手を広げ、濡れ鼠のような格好を見せつける志季を冷ややかに一蹴したのは、主の兄の式神のうちの片割れだ。
「なんで分かんねぇんだよ。つーか人に見られたらやべぇだろうが!」
「この嵐です。わざわざ傘を避けて上を見上げる方はいらっしゃらないかと」
 爽やかな笑顔で一刀両断したのは、主に忠実すぎるほど忠実な水神だ。
 閃が無表情で嘆息した。
「貴様は蒸発させればよかろう。それをずるいなどと責めるのはお門違いというもの」
「そうですよ、志季。それに、私は連絡用にと夏美様の携帯電話を預かっています。濡らすわけにはいきません」
「確かに、濡らすと大惨事だな」
「水は電子機器の弱点だ」
 水神がどの口で言ってんだと思いつつも、志季は閃と椿から投げつけられた正論にぐっと声を詰まらせた。
 この三柱は、揃いも揃ってその神力を使い、自らに襲いかかる雨の軌道を不自然に変えているのだ。さすがに風は範疇でないため煽られてはいるが、降りしきる雨の中に三柱分の形がくっきりと浮き出てしまっている。人に目撃されれば、写真を撮られて瞬く間にネットで拡散されるのは確実だ。幽霊として。
 水神同士だから何なのか分からないが、妙に息の合った反撃に志季は諦めの息を吐き出した。表情は乏しいが、いざという時は口の立つ二柱と、何故か自分には容赦のない一柱を相手にしても勝てる気がしない。むしろ臓腑を抉られて再起不能にされる。逃げるが勝ちだ。
「で? 様子は?」
 話題を変えたとたん、空気が張り詰める。閃が言った。
「変わった様子はない。周囲にも不審な人物や車は見当たらん」
 閃の報告に、志季と椿は怪訝な表情を浮かべた。
「まあ、今日動くって決まったわけじゃねぇけど……」
「ええ……。襲うには最適な天候だと思うのですが。リン様も一日自宅におられますし」
 右近が口を挟んだ。
「我々もそう思い重点的に哨戒をしたのだが、敵どころか悪鬼の気配すら感じられん。左近からも同様の報告を受けている」
「マジかよ。まさか雨の日は休みっつーんじゃねぇだろうな」
「どこぞの島の大王ではないのだ。それはなかろう」
「知ってんのかよ」
「それに、本格的に動くのならこれからだ。油断するな」
 志季の突っ込みを無視して、右近は神妙な眼差しを志季と椿に向けた。
「承知致しました」
 無視かい、と志季は拗ねたようにぼそりと呟く。
「以上だ」
「了解」
 短い終了に志季が答えると、閃と右近はあっさりとその場を立ち去った。目の前を塞がんばかりの激しい雨に、すぐに姿は見えなくなる。人より目がいいとはいえ、この雨量ではさすがに視界が悪い。悪鬼の気配を感じても、認知するには難儀だろう。だが、あの二柱は自分たちより年寄り、もとい年長者で、しかも変化できる。心配するの必要はない。
「さてと、どの部屋だ?」
 志季は頭を切り替えて見下ろした。
「二階の真ん中のお部屋です」
「二階の真ん中な。ベランダの方は?」
「お隣との間に塀があるのですが、一階の窓の高さしかないので、さすがに二階のベランダに侵入するのは難しいかと。しかし一応足場になるので、右近の水龍を付けています」
「了解。じゃあ、俺はその辺見回ってくるわ。なんかあったら適当に呼べよ?」
「はい。お気を付けて」
 椿はアパートの入口から目を逸らさずに告げた。
 いつもなら、こちらを見向きもせずにと思うが、状況が状況だ。神とはいえ女。一瞬たりとも気を抜けないのだろう。それに、何よりも宗史からの命だ。
 志季は、呆れ気味に嘆息して身を翻した。
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