第1話

文字数 1,932文字

「……あまり見られると、やりづらいのだが」
 珍しく柴がぼやいた。縁側に正座した柴の前には、影正が使っていた刀の手入れの道具一式と鞘、柄、目釘、(はばき)(つば)が並んでいる。そして手には、柄から外された刀身と打ち粉がある。打ち粉とは、時代劇などで見かける刀の刃をぽんぽんと叩いている白くて丸いあれだ。砥石を粉末状にして吉野紙で包み、さらに綿や絹でくるんだもので、古い油を吸収する役目があるそうだ。
「ほんとにぽんぽんってするんだ」
 時代劇や時代物のアニメで見たことはあるが、それを実際に目にできるとは。大河は柴のぼやきを聞き流し、食い入るように手元を覗き込む。
「あまり近寄ると、危ない。少し離れろ」
「あ、うん」
 素直に体を引くものの、視線は手元に釘付けだ。
「大河、そろそろ樹たちが戻ってくる頃ではないのか?」
「えっ」
 柴の向こう側から呆れ気味の紫苑に指摘され、大河は横に置いていた携帯を鷲掴みにした。時計は五時四十分を表示している。
「やばっ。柔軟終わらせなきゃ」
 大慌てで靴を履いて庭へ飛び出す。
 起きて支度をし、リビングに下りると柴と紫苑がいて、ちょうど手入れの道具を広げている最中だった。生の刀をこの距離で見られる機会など、所持していない限り一生ない。影綱の独鈷杵を和室に置いて駆け寄った。
 慣れた手つきであっという間に分解する柴に感心し、実にシンプルな作りの刀に驚いた。柄と刀身が目釘一本で支えられているなんて。
 手入れの道具の中には、眼鏡拭きや小さなハケも一緒に入っていた。おそらく鞘を手入れするための道具だろうと、紫苑が言った。装飾の埃をハケで払い落し、眼鏡拭きで塗りの部分を磨く。その他道具の名前や使用方法。紫苑の解説を聞きながら柴の手付きを目で追っていたら、すっかり夢中になってしまった。
 紫苑はまだみたいだから、あとでじっくり見せてもらおう。と思いつつも、柔軟をしながら視線は縁側の二人に向いてしまう。
 拭紙(ぬぐいがみ)で打ち粉を拭き取り、柴は出来を確認するように刀身を目の前に真っ直ぐ掲げた。太陽の日差しを反射して、まばゆいほどの白い光を放つ。
「腕の良い刀工だったようですね」
「そのようだな」
 一見して刀工の腕の良し悪しまで分かるのか。霊刀は術者のさじ加減ひとつだ。けれど実際の刀は、見た目も強度も刀工の腕によって決まる。粗悪品などあったのだろうか。
「手入れも、丁寧にされている。有難いことだ」
 口元に微かな笑みを浮かべた柴に、大河は不意に屈伸をやめて立ち尽くした。
 ――なんか、いいなぁ。
 日差しの中、ゆったりと優しい手つきで刀を扱う柴と、それを静かに見つめる紫苑。二人の周りだけ、空気の流れが穏やかだ。
 打ち直されたとはいえ、柴と紫苑にとってあの刀は父親の大切な形見だ。時短や効率も大切だけれど、時間に追われる現代では、こうして大切なものに手間をかけるひと時は贅沢なのかもしれない。
 邪魔をしてはいけない気がして、大河は静かに地面を蹴った。不本意ながら広くなった庭を、運動場のトラック代わりにぐるりと、まずは一周。
 高温多湿の日本で、何故錆びやすい日本刀が長い時を経て受け継がれているのか。その理由がよく分かった。柴と紫苑の刀も、神社の床下なんて場所に保管されていたにもかかわらず、保存状態は良い。頻繁に、そして丁寧に手入れがされてきた証拠だ。
 あとで、独鈷杵の手入れしよう。
 大河はスタート位置に戻り、軽く息を整えながら高く晴れ渡った空を見上げた。視界が白くなるほどの強烈な日差しに、目を細める。太陽は地上をじりじりと焼き、青空を白い雲が泳ぎ、蝉はせわしく鳴き続け、数羽の蝉が庭へ降り立ち、一台の車が寮の前を通り過ぎた。
 どこにでもある、夏の風景。
 一般的に、昨日からお盆休みに入っている。帰省する人や旅行に行く人々で交通機関はごった返し、道路は混み合い、街によっては一時的に活性化する。離れて暮らす家族に会えると楽しみにしている人、この日のために旅行の計画を立てて、仕事や勉強を頑張っていた人。反対に、この繁忙期を踏ん張れば休暇が待っている人もいるだろう。毎年繰り返される、夏の風物詩だ。
 大河は視線を縁側へ投げた。柴と紫苑が鞘に刻まれた傷を眺めながら、穏やかな笑みを湛えて言葉を交わす。傷一つ一つに、思い出や経緯があるのだろう。それは楽しいものばかりではなく、戦でついたものも多いだろう。けれど、彼らが生きてきた、まぎれもない証しだ。
 幾度となく繰り返された戦を生き抜き、一度は封印され、長い時を一人で過ごした。でも今は――。
「絶対、思い通りにはさせない」
 自分に言い聞かせるように口の中で小さく、しかし強く呟くと、大河は「森もどき」の中へ向かって地面を蹴った。
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