第5話

文字数 3,058文字

「樹」
 携帯をしまいながら声をかけると、樹が我に返って顔を上げた。
「冬馬のことだからすぐに返信してくるだろ。来たらそっちに送る」
「うん、よろしく」
 そう言ってミルクティーを喉に流し込んだ樹に倣うように、下平もコーヒーに口を付けた。
「ところで下平さん。一つ質問があるんですが」
 怜司が口を開いた。
「どうして今頃になって、冬馬さんたちが狙われると思ったんですか?」
「ああ、それなんだがな……」
 下平は缶を横に置き、煙草を取り出しながらふと気付いた。昴のこともあるし、紺野のことを聞いてこないということは、三宅の件はまだ聞いていないのだ。それに、舞鶴の件は口止めがされていると言っていた。もし当主二人が時期を見計らっているとすれば、余計なことを喋らない方がいいかもしれない。
 煙草に火を点け、深く吸い込んで吐き出す。
「お前ら、上京区で起こった事件のことは聞いてるか」
「うん。関係あるかもとは聞いてる。一人娘と連絡がつかないって」
 聞いているのならこちらは問題ないだろう。
「その一人娘、弥生っていうんだけどな。紺野に探ってもらったら、行方がさっぱり分からんらしい。顔写真と似顔絵を照らし合わせても、曖昧すぎてはっきりしねぇんだよ。ただ」
 下平は一旦言葉を切り、煙草を吸ってから言った。
「弥生も犯罪被害者だった。もし弥生も仲間の一人だったとしたら、平良はともかく、菊池と渋谷の三人が何かしらの犯罪と関わってる。鬼代事件の被害者は、矢崎徹と刀倉影正以外は全員罪を犯してる。さっきも言ったが、奴らの狙いはおそらく犯罪者だ。紺野が言うには、一種のアレルギー反応じゃねぇかって」
「要するに、認識の違いに気付いて冬馬さんたちが狙われるんじゃないかって思ったの?」
「そういうことだ。俺たちからしてみれば三年前の件はあれで終わりだが、犯罪に過敏に反応する奴らからしてみれば、あれで終わらなかった。という、あくまでも憶測だ」
 樹と怜司が同時に呆れ気味の息をついた。
「さっきも言ったけど、それが当たってたとしたら余計なお世話だよ。何様のつもりなの。そんなのただの自己満足でしょ。悪を退治するヒーローでも気取ってんの? 馬鹿馬鹿しい。確かに救いようのない悪人はいる。それは否定しない。けど、影正さんたちを犠牲にしてる時点でただの人殺しだよ。善でもなければヒーローでもない。馬鹿なの? 馬鹿だよね。間違いないよね」
 仏頂面で淡々と、かつまくしたてる樹に気圧されていると、今度は怜司が能面のような無表情で口を開いた。
「まさかとは思うが、復讐を建前にしたくだらない正義感を満たすための事件だったらどうする?」
「まとめて二度と陽の下を歩けないようにしてやる」
「同感だ」
「お前ら物騒なこと警察官の前で宣言すんじゃねぇよ」
 口数が増えて表情が豊かになったのは喜ばしいが、その分、可愛気がなくなって凶暴さが増している気がする。これは本当にあの樹と同一人物だろうか。しかも意外と怜司も物騒な性格らしい。
 まったく、と渋い顔で煙草をくわえると樹がぐるりと勢いよく振り向いた。
「何言ってんの? こっちは犠牲者が出てる上にいいように振り回されてるんだよ? その上甘味禁止されるし、この恨みはきっちり晴らさせてもらわなきゃねぇ」
 目を見開いて薄ら笑いを浮かべた顔は、いっそ悪人面だ。冬馬が見たらどう思うだろう。下平は白けた顔でくわえた煙草を口から離した。
「……お前の処分は自業自得じゃねぇのか」
「根源はあいつらでしょ」
 ぷいとそっぽを向いてミルクティーを煽る樹の横顔に、下平は溜め息を漏らした。あの頃の可愛気はどこへやら。
「それにしても、アレルギー反応ですか。上手いこと言いますね」
 怜司がコーヒーを煽った。
「まさにそんな感じだよね。会合で皆に教えてあげよう。あ、宗一郎さんと明さんは知ってるかな」
「会合があるのか?」
「うん。哨戒前に土御門家で」
「哨戒前って、そんな夜中にか。大河や柴と紫苑はどうするんだ?」
「大河くんたち三人は仕事が入ってるからそのあとで合流する。柴と紫苑は、今日の午前中に潜伏先を探りに出たから、先に左近から聞いてるはずだよ」
 へぇ、と下平は空返事をしながら煙草を吸った。完全に寮の者たちの目が届かないように配慮されている。三宅の件だけとは思えない。何かあったのだろうか。
「何かあったらそっちにも連絡行くでしょ。じゃあ、そろそろ帰らなきゃ」
 そう言って樹は缶を大きく煽ってミルクティーを飲み干した。
「悪かったな、呼び出して」
「なんで下平さんが謝るの」
 腰を上げた樹に倣うように、下平も缶を持って立ち上がる。
「むしろこっちがお礼を言う方。ありがと」
 手に提げた紙袋をひょいと持ち上げてはにかむように笑った樹に、下平は笑みをこぼした。ありがと、と照れ臭そうな口調は昔と同じだ。
 隣に並んで歩きながら、下平は樹の頭にぽんと手を乗せた。
「なんかあったらすぐ連絡しろよ。里見くんも」
「分かってるよ。そっちもね」
「分かりました。……下平さん」
「うん?」
「怜司でいいです。あまり名字で呼ばれなくなったので、違和感があります」
 前を見据えたまま無表情で意外なことを言われ、下平は目をしばたいた。
「何か不都合でも」
 小首を傾げながら振り向かれて、ああいや、と曖昧に返事をする。怜司の雰囲気から、そんなことを言うタイプだとは思わなかった。少し気を許してくれたのだろうかと下平がこっそり嬉しく思っていると、樹がにやけ顔で怜司の顔を覗き込んだ。
「怜司くん、自分だけ名字で呼ばれるから寂しかったんでしょ」
 怜司がじろりと睨んだ。
「お前、人の話聞いてたのか? 違和感があるんだよ」
「ほんとにー?」
「ミルクティー飲んだの宗一郎さんに言ってもいいんだな」
「紅茶は甘味じゃないもん」
「スポーツドリンクを甘味に入れた人に通用すると思うか?」
 ぐ、と樹が声を詰まらせた。
 スポーツドリンクを甘味に入れたという宗一郎の感覚も気になるが、それ以上に驚いたのは怜司だ。樹に容赦なく切り返す上に黙らせるとは。どちらかといえば冷静沈着で淡泊な印象だったのだが、先程の物騒な発言といい、意外と気が強く負けず嫌いで侮れない人物のようだ。
 自分がミルクティー買ってきたのに、無防備にカフェオレとか言うからだ、初めに言ってくれればいいでしょ、自分で気付かなかったお前の負けだ、何の勝負してるの意味分かんない、と仲が良いのか悪いのか分からない二人の掛け合いを聞きながら、下平は微笑ましそうに笑った。
「じゃあね、下平さん」
 車の前で、樹と怜司が足を止めて振り向いた。
「気を付けて帰ってね」
「ああ。お前らもな」
 樹はひらりと手を振って、怜司は軽く会釈をして背を向ける。頭上で、四体の擬人式神が二人の速度に合わせてひらひらと舞いながら追いかけた。
 二人を追う擬人式神をしばらく見上げたあと、下平は息をついてポケットから鍵を取り出した。
 香苗が内通者だと判明したのなら、昨日の時点で報告があるはずだ。どうやら偶然だったらしいし、分からなかったのだろう。
 廃ホテルで見た限りでも、樹と怜司の実力は相当なものだ。そうだと知っておきながら、香苗は心配して擬人式神を護衛に付けた。いくら動機があるにせよ、こんな風に人を心配する彼女が、残忍な殺人事件を企てるとは思えない。
「ったく、嫌な事件だ」
 疑おうと思えばいくらでも疑える。けれど、こうも疑ってばかりではさすがに人間不信になりそうだ。
 下平は一人吐き出して車に乗り込んだ。
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