第12話

文字数 6,603文字

「他に報告がある者はいるか?」
 遅れて復活した宗一郎が尋ね、宗史がそうだと手を止めた。
「晴、美琴(みこと)
「うん?」
「はい」
 自席に腰を落ち着けた美琴が振り向いた。
独鈷杵(どっこしょ)のことだけど、明日十時でいいか?」
「ああ、それがあったか。俺はいいぜ」
「え、でも……」
 袖をまくり上げ、肩の傷を治癒されながら承諾した晴とは逆に、美琴が少し戸惑った様子を見せた。
「都合が悪かったか?」
「いえ、そういうわけじゃ……宗史さんと晴さん、大丈夫ですか?」
 この姿を見ていれば心配にもなるだろう。大河はこっそりと頬を緩めた。右近がかざしていた手を外すと椿同様に完治しており、牙の不得手具合がどれほどのものかよく分かる。ありがと、と礼を言うと右近は頷いて宗史へと体の向きを変えた。否や、大河は飛び付くようにソファから下りて正座する。いただきますと手を合わせた大河を、柴と紫苑がまた一瞥した。
 宗史は箸を置き、右近に腕を出しながらふっと笑みを浮かべた。
「心配ないよ、大丈夫」
「俺も平気。お前、意外と心配症だな」
 いたたた、と痛みに顔を歪めながら言った晴の一言に、美琴が表情を硬くして頬を染めた。箸を置け晴、と閃の小言が飛ぶ。
「そ、そんな傷だらけの姿を見たら誰だって心配しますっ」
 ふてくされたように俯いてしまった美琴を見やり、大河はやっぱりと納得した。ヒナキに礼を言われた時も、昼間独鈷杵の訓練をしている時もそうだった。彼女はきっと、物凄く照れ屋なのだろう。
 宗史たちは気付いているようで、苦笑しながらありがとうと言った。
「じゃあ、明日十時に迎えに来るから」
 確定した宗史に、美琴が小さくはいと頷いた。この照れ屋ゆえのぶっきらぼうさが、誤解を生んでいるのかもしれない。
 もったいないな、と思いながらどんぶりへと視線を戻す。ふと、黙々と食事をする柴と紫苑の姿に目が止まった。
 姿勢や箸の持ち方はもちろん、運び方はゆっくり、味噌汁をすする音もほぼしない。さらにどんぶりからお椀へ持ち替える動作や持ち方まで、まるでマナー講座の手本のように綺麗だ。
「大河さん、どうしたんですか?」
 陽が尋ねた。
「え、ああいや、二人とも食べ方が綺麗だなと思って」
 大河の言葉に柴と紫苑手が止まり、皆が視線を投げる。とはいえ、後ろのダイニングテーブルからは見えないが。柴が首を傾げた。
「そうか?」
「うん。なんか、上品って感じ」
 紫苑が少し複雑そうに眉を寄せた。鬼に上品は褒め言葉にならないのだろうか。
「……そうか」
 もう一度同じ言葉を呟き、柴は食事を再開した。機嫌を損ねたようには見えないが、納得したのか聞き流されたのか分からない。さらに突っ込んでいいのかも分からないので、とりあえず目の前の欲求を満たすべく手を動かす。
 何となく、姿勢を正してしまう。
「宗史、顔をこちらに向けろ」
「ああ、悪い」
 宗一郎が時計を見やって口を開いた。一時だ。
「宗史たちの食事が終わり次第我々は引き上げるが、見送りはいい。休みたい者はもう休みなさい。御苦労だった」
 弘貴たちの間に、戸惑うような空気が流れた。現場で戦ってきた者たちを置いて先に休むのは気が引けるのだろう。
「皆は、ご飯もお風呂も終わってるんだよね?」
「あ、はい。すみません、何かしてないと落ち着かなくて」
 樹の問いに、弘貴が申し訳なさそうに頭を掻いた。
「謝ることじゃないでしょ。僕たちもすぐ寝るし、先に休みなよ。待ってる方も気疲れしたでしょ」
 味噌汁をすすりながら言った樹に、じゃあと腰を上げたのは茂だ。
「お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「うん、そうして。何もすることないのにいてもらうのも悪いし」
「そうだな」
 怜司が同意し、年長者が先陣を切ったことで安心したのか、それじゃあと弘貴たちが席を立つ。キッチンからは香苗が出てきた。陽が箸を置き、慌てて腰を上げる。
「皆さん、今日はご心配をおかけしてすみませんでした。おやすみなさい」
 深々と頭を下げた陽に、大河は漬物を口に放り込みながら笑いを噛み殺した。誰に対しても礼儀正しい子だ。
「陽くんも、皆無事で良かったよ。では先に休ませてもらいます。お疲れ様でした、おやすみなさい」
 茂が代表して陽に答え、宗一郎と明へ向かって会釈をした。おやすみなさい、と口々に挨拶を交わしリビングを出る。ひらりと手を振った弘貴と春平に大河が振り返すと、扉が閉められた。
 残ったのは、当主二人と式神、帰還組、華と夏也だ。
 宗一郎が椿と志季に視線を投げた。
「お前たちも御苦労だった。戻って構わない」
「あ、俺風呂入りてぇんだけど」
「お前、まだ言ってんのか。ほんっと風呂好きだな」
 治癒を終えた晴が食事を再開しながら指摘すると、志季は拳を握り締めて至極真面目な顔で言い切った。
「俺だけじゃねぇ、神は総じて風呂が好きだ!」
 力説することか、と晴が呆れ顔でぼやく。
「そうなの?」
 大河が漬物を箸で摘まんだまま振り向くと、椿がはいと微笑んだ。
「好きですよ」
 宗史の治癒が終わり、腰を上げた右近を見上げる。宗史が食事を再開した。
「ああ、好きだ」
 続けて閃と左近を振り向く。
「好きだな」
「そやつに同意するわけではないが、異論はない」
 余計な前置きはあったが、風呂好きは間違っていないらしい。人と同じように考えるのはおこがましいのだろうが、個々に人格があるのなら好き嫌いがあってもよさそうなのに。
「なんで?」
 視線を戻すと、志季は拳を握ったまま首を傾げた。
「……性質?」
 曖昧な答えが返ってきた。ああそうと漬物を口に放り込む。
「正確に言うと温泉だけどな。国造りをしながら作った神がいるくらいだから」
「温泉って神様が作ったの?」
「お前、国造りの話知らねぇのか」
「うん」
 社会科は日本史を選択しているが、さすがに神話までは習わない。大河は頷いてからどんぶりを抱え、再度志季を振り向いた。
「簡単に言うとだな、国造りってのは病の治療法や農耕の技術を広めて回ることだ。いきさつは省くけど、国造りをしながら温泉を初めて作ったのが、大国主神(おおくにぬしのかみ)少彦名神(すくなびこなのかみ)って二柱(ふたはしら)だ。病の治療法の一つとして各地に作りまくったらしい。だから温泉神社で祭神として祀られてる。火山も関係してるから火神を祀ってるとこもあるぜ」
「ちょ、ちょっと待った。聞きたいことが」
 何やら初めて聞く言葉が出てきた。大河が慌ててストップをかけると、察した宗史と晴が小さく笑った。
「ふたはしらって?」
 志季が目をしばたいた。
「神の単位は柱、あるいは座だ。柱の方が浸透してるみたいだけどな。一柱(ひとはしら)二柱(ふたはしら)三柱(みはしら)。知らなかったのか?」
「知らない。なんで柱なの?」
「自然崇拝だからだ。柱って漢字は、木偏に主って書くだろ。樹木には神が宿るって考えられてて、主は留まるって意味だ」
 自然崇拝は、自然物や現象を対象として崇拝、神格化し信仰することである。神道はそれが色濃く残り、特に巨木や巨石、山を御神体とする神社も少なくない。つまり、樹木そのものを神として捉え、「柱」の一文字に、神(木)が留まっている(主)という意味があるためだ。
 何故神社で木を御神木として祀っているのか不思議に思っていたが、やっと謎が解けた。へぇ、と大河は感心しながらご飯を掻き込む。
「諸説あるみてぇだけど、正直、人間の都合で決められたことだから(おれたち)からしてみれば何でもいいんだけどな。詳しく知りたいなら宗史に聞くかネットで調べろ」
 やはりこの手のことは回されるらしい。大河が頷くと、宗史が苦笑した。
「じゃあ、志季たちも?」
「ああ」
 椿もええと頷いた。宗史と晴に視線を向けると、質問する前に宗史が答えた。
「言い辛いだろう。例えば、二柱とも戻っていいぞとか」
 さすが察しがいいというか、いつも大河の質問に答えているだけのことはある。先読みが的確だ。口の中で反復すると、なるほど、真言ほどではないが舌を噛みそうだ。
「確かに」
 大河は納得し志季へ視線を戻した。
「温泉神社って?」
「温泉にちなんだ神社の通称。熱海とか有馬とか城崎とか、全国にある」
「あー、知ってる。へぇ、温泉神社なんてあるんだ。ていうか、志季って博識、すごい」
「神だからな」
 尊敬の眼差しを向けると、志季は自慢気に胸を張った。ふんと左近が白けた顔で鼻を鳴らす。でもなぁ、と志季は悩ましい顔で息をついた。
「最近の家ってほとんどガスだろ。家で入るなら薪で焚いた風呂の方が好みなんだよな、俺」
「あ、うちまだ窯残ってるよ。小学生くらいの時にガスに変えたけど、まだ使えるんじゃないかな。俺も薪で焚いた方が好き」
「お、分かるじゃねぇか大河。薪が手に入らねぇってのもあるけど、手間がかかるしどうしても煙が出るから嫌がられるんだよな。一回入ったら分かんのに、もったいねぇ」
「水質が柔らかくなる感じするよね。肌触りがいいっていうか。志季、今度うち来ることあったら入る? 父さんが焚き方知ってると思うけど」
「マジか!」
 提案するや否や、志季が目を輝かせてソファの背もたれの上にのしかかった。
「入る入る。約束な」
「うん」
 無邪気だ。大河は頷いて最後の一口を掻き込んだ。
「んじゃ、今日は大河に免じて大人しく戻るか」
 体勢を戻し、伸びをしながら志季が妥協すると、椿が苦笑した。
「では、私もお先に失礼いたします。皆様、本日はお疲れ様でございました」
 丁寧に挨拶をして深々と頭を下げる。
「おー、お疲れさん」
「二人とも、ありがとう。お疲れ様」
 振り向いた晴と宗史に続いて皆から労いの言葉が飛ぶ。
「おやすみなさいませ、失礼いたします」
 椿が再度告げ、二人はふっと姿を消した。
「あー、生き返った。ごちそうさまでした」
 食事を終わらせた樹が手を合わせ、だらしなく背にもたれかかる。怜司が続くと、次々に帰還組からごちそうさまの声が上がる。手を合わせる大河たちに倣うように、柴と紫苑も手を合わせた。
「柴、紫苑、どうだった? 口に合ったかしら」
 明日の朝食の下ごしらえや片付けをしていた華から声がかかる。二人は振り向き、ああと頷いた。
「美味かった」
「そう、良かったわ」
 華がほっとした様子で笑みを浮かべて米を研ぎ始めると、宗一郎が腰を上げた。
「食べてすぐで悪いが、宗史、帰るぞ。右近、寮の周辺を見回った後、戻って構わない。左近、護衛を頼む」
「了解」
 右近と左近は同時に答えると、縁側から外へ出た。
「じゃあ僕たちも。晴、陽、帰るよ。閃、こっちも護衛を頼む」
「了解した」
 閃も縁側から外に出て、一服してぇ、と晴がぼやいた。
「ああ、置いておいてください」
 食器を片そうとした宗史と晴と陽を夏也が止め、見送ろうと腰を上げた大河たちを宗一郎が止めた。
「見送りはいいから、早く休みなさい。特に樹、お前、霊力がほとんど残っていないな」
「あれ、やっぱりバレちゃった?」
「分からないわけないだろう。きちんと休んで早く回復させなさい。お前は重要な戦力だ、いざという時に抜けられると困る」
 いいな、と言い置いてリビングを出る宗一郎の背中を、樹が「はーい」と軽い返事で見送った。はにかんで少し俯いた横顔は、嬉しそうだった。
「じゃあな、大河。お前も早く寝ろよ」
「お疲れさん。また明日な」
「あ、うん。宗史さんと晴さんも、気を付けてね」
 ひらひらと手を振って見送る。と、戸口で陽が振り向いた。
「皆さん、本当にありがとうございました。柴と紫苑も、ありがとう。また明日、おやすみなさい」
 こちらもまた深々と頭を下げる。おやすみ、お疲れ、と声をかけると笑みを残してリビングを出た。
 最後に華が続いて出ると扉が閉められ、さてと樹が改めて腰を上げた。
「僕たちも早くお風呂入って寝よう。柴、紫苑、着替えの浴衣ってどれ?」
 夏也が食器を片す横で、立ち上がった柴と紫苑がソファの上に風呂敷を広げる。周りに大河たち三人が集まって覗き込んだ。一番上に、柴の方は濃紺、紫苑の方はグレーの浴衣が腰ひもや帯と一緒に収まっている。着物は詳しくないが、なんだが見るからに高価そうだ。
「寸法が合わなくても今日は我慢して、とりあえずそれ持って行こう」
「ああ」
 紫苑が一番上の浴衣を一枚ずつ手に取り、ぞろぞろと戸口へ向かう。
「あとはパンツだよパンツ。ふんどしって結構締めつけ感あると思うんだけど」
「だったらボクサータイプか?」
 僕もそう思うんだけどねぇ、履き心地は人それぞれだからな、と再び禁忌部分の詮索を始めた樹と怜司が扉を開けると、ちょうど華とかち合った。
「お風呂?」
「うん」
「じゃあ柴と紫苑の部屋のエアコン入れておかなくちゃ」
「あ、ついでに僕の部屋もお願いしていい?」
「俺も」
「あっ、俺もっ」
 いつもなら入浴前に自分でエアコンを入れておくのだが、さすがに今日は面倒臭い。とはいえ、風呂上がりに蒸し風呂状態の部屋に入るのは一種の拷問だ。はいはいと笑いながら華が承諾した。
「あ、そうだわ。ついでに風呂敷も持って行っておくわね」
 すれ違いざまに紫苑の手元を見て言った華に、二人がああと同時に頷いた。
 ごゆっくり、と華の声に見送られて風呂場へ向かう。エアコンといい風呂敷といい、やっぱり気が利くなぁと感心する。自分ならそこまで気が回らない。
 樹と怜司を先頭に、大河を間に挟んで後ろに柴と紫苑が続く。
「ねぇ、さっきから気になってたんだけど、二人とも全然質問しないね。色々と気にならない?」
 樹の問いに気付く。そう言われれば、廃ホテルでもそうだった。興味深げに携帯を覗きこんでくるわりには、それは何だと聞いてこない。二人からしてみれば、この時代の物のほとんどが平安時代にはなかっただろうに。
 柴が答えた。
「気にならないわけではないが、今問えば、おそらく夜が明ける。お前たちも疲れているだろう」
 つまり、気になることはたくさんあるが、時間と大河たちの疲労具合を鑑みて、今日はやめておいた方がいいと判断したわけだ。
「すっごい空気読んでるね」
「俺たちは認識を改めるべきだな」
「同感」
 そう言って樹と怜司は苦笑いを浮かべた。
 大丈夫だと言った宗史と樹の判断を疑ったわけではない。けれど、今日で三度助けられたとはいえ、大河が柴に襲われたことは皆知っているし、人の精気を吸って肉を食らう生き物だと、二人が鬼だという事実は変えられない。だから、正直なところ一抹の不安は残っていた。だが、皆受け入れてくれた。華をはじめ至近距離で配膳した夏也と香苗にも怯えた様子は見えなかった。特に香苗は公園で白い鬼に襲われているのだ、怖がっても仕方ないと思っていたのに。
 皆、強くて優しいと思う。けれど、一つだけ気になることがあった。
「ああ、そうだ。柴、紫苑、気を付けた方がいいよ。大河くん、体をじろじろ見てくるから。嫌だったらちゃんと言いなよ」
 脱衣場に入るなり飛び込んできた人聞きの悪過ぎる忠告に、大河は我に返った。
「ちょっ、樹さんおかしなこと言わないでください!」
「どこが。昨日見てたでしょ」
「筋肉見てただけじゃないですか!」
「だからまずいんじゃない。男同士でも、人によっては不快に思うよ?」
「二人ともあの身体能力なら相当筋肉質だろうな」
 怜司にまで追随され、弁解すべく柴と紫苑を振り向いた大河に、二人は至極真剣な面持ちで告げた。
「私は、別に構わぬが」
「見るだけならな」
 柴はともかく、紫苑に変な警戒をされた気がする。樹の余計な忠告のせいだ。どうしてこう言わなくてもいいことをいちいち、と大河は怒りに肩を震わせ、
「尊敬の意味で見てるだけだよ! それにどうせ見るなら女の子がいいに決まってんだろ!」
 確実に女性陣から軽蔑される宣言は、後ろ手に扉を閉めた紫苑によってぎりぎりリビングまでは届かなかった。

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