第7話

文字数 6,053文字

「それから影綱は島へ戻り、御魂を裏山で祀った。影綱はその名を捨て、刀倉影介として子を成し、この島で生涯を閉じた。影介の子は父の遺言を固く守り続け、それを代々受け継ぐよう言い残した――それが、刀倉家だ」
 影正が口を閉じると、大河は無意識に止めていた息を長く吐き出した。まだどこか夢現な気分だ。省吾を窺うと、ぼんやりしている。どうやら同じ気分らしい。宗史は顎に手を当てて何やら思案中で、晴は低く唸りながら乱暴に頭を掻いている。
 何も知らずに聞くとよくできた作り話しに思えるが、事情を知った上で聞くと思い当たる節がある。
 特別何か採集できるわけではない裏山を何故代々所有してきたのか。影正が口酸っぱく山の奥へは入るなと言っていたのか。鬼が封印されているからだ。
 もし国や県、市の所有地になれば、開発や研究の手が入らないとも限らない。幼い大河たちが誤って封印の場所に足を踏み入れるかもしれない。そして、あまつさえ封印を解いてしまわないよう、刀倉家が守人となり見張ってきたのだ。
 本当に、陰陽師の家系なんだ。
 やっと実感が湧いて、大河は拳を握り締めた。
「なるほど。だからか……」
「秘密が多過ぎるだろうが……」
 ふと、何やら納得した宗史に対して、晴は眉を寄せてどこか不満気に呟いた。影正が言った、この島へ来た理由とやらが分かったのだろう。
「あの、宗史さんたちがこの島に来た理由って、要するに何だったんですか?」
 かの安倍晴明と刀倉家の繋がりは分かった。だが、それだけでここへ来たというだけではないのは分かっている。何かしらの目的が無いと、わざわざ京都からこんな不便な島へは来ないだろう。
 ここまで来て回りくどいやり取りは無意味だ。大河は率直に尋ねた。
 宗史は麦茶に口を付け、そうだな、と逡巡した。
「影正さんたちは、父から詳細を聞いていたようだけど――まず、京都で起こった鬼代神社の事件を知ってるかい?」
 宮司が殺されたという、連日ニュースで流れている事件だ。あ、と大河と省吾が同時に察した。
「そう、この日記に記されていた鬼代神社だ。報道はされていないけれど、先日起こった事件の犯人によって、千代の骨は盗まれてしまった。次に起こったのが先日の、滋賀県の山中で男女四人が意識不明で発見された事件だ。彼らが発見された場所が、柴の腹心・紫苑の御魂が祀られている御魂塚の近くなんだ。確認したところ、封印が解かれていた。千代の骨の在り処と、柴と紫苑の封印場所。これらを知っているのは土御門、賀茂の当主のみだ。しかも文献はこの一冊の日記だけ。しかし紫苑の封印場所について詳しくは書かれておらず、今ここにある。それにも関わらず骨は盗まれ、紫苑は解放されてしまった。解放した人物が彼らなのか別人なのかまでは不明だが、タイミングが良すぎる。そこで、何者かがどこからかすべての情報を入手した可能性がある、という結論を出した」
 簡潔で、かつ要点をしっかり押さえた説明だった。これまでの話しといい、この人頭いいんだな、という印象を受けた。大河は羨望の眼差しで話しの続きに耳を傾けた。
「実は、俺たちも千代と紫苑のことは鬼代の事件後に知らされたんだ。しかも、刀倉家の存在やこの島に柴の御魂塚があることは、今知った」
「え!?」
 大河と省吾の声が重なった。宗史が手を上げて制した。
「それで、俺たちがここへ送られた理由が分かった。紫苑の結界を解いたのが男女四人だったのか、それとも他の人物だったのかはともかく、もし鬼代神社の犯人と紫苑の結界を解いたのが同一人物だった場合、犯人がここへ来る可能性が高い。おそらく、俺たちは柴の御魂塚を見張るためにここへ送られたんだろう」
 そこで言葉を切った宗史に、大河は唖然と視線を送った。
 陰陽師の末裔であり、鬼が封印された御魂塚の守人だという話を信じる以上、他人事では済まされない。宗史たちが危惧するように、一連の事件の犯人が柴の御魂塚を狙ってこの島へやって来るのだとしたら、巻き込まれるのは必至だ。日記にも書いてあった。鬼の主食は人肉と精気だと。紫苑が復活しているのだとすれば、これ以上鬼を復活させるわけにはいかない。
 けれど――。
「大河、どうした?」
 影正に声をかけられ、大河は我に返った。
「あ、いや。何でもない」
 ぎこちない笑顔を浮かべた大河に首を傾げながらも、影正は続けた。
「わしも鬼代神社のことは知っていたが、紫苑の封印場所は滋賀県ということ以外、詳しく知らなかったんだよ。日記にも書かれていないしな。先日、宗史くんの父君に聞かされて初めて知った」
「え、そうなの?」
「ああ。まあ、刀倉家は柴の御魂塚を守るのが仕事だしな。教える必要も知る必要もない。それに、秘密は知る人間が少ない方が守られる。お前に今まで隠していた理由も、それだ」
「つまり御魂塚を守るため?」
「そうだよ」
 答えたのは影唯だった。
 影唯は麦茶を飲んで一呼吸置くと、ゆっくりと語り出した。
「父さんが刀倉家の秘密を知ったのは、今のお前と同じ高校二年生の時だった。おじいちゃん――お前の曽祖父が亡くなる前に教えてくれた。刀倉家では代々、子供には決して話してはいけないと言う決まりがあるんだ」
「何で?」
「固定観念が酷いと思うかもしれないけど、子供はこの手の話を面白がって他人に話してしまうだろう。それを防ぐためだ」
 そう言われれば、大河にも覚えがある。黒い煙が見えることを安易に人に話していた。その結果、どこか悪いのではないかなどと言われ傷付いた。もしあの頃に陰陽師の末裔だと知っていたら、深く考えず面白半分に、それこそ自慢気に喋っていただろう。
「伝えるタイミングは色々らしい。先代が孫を認めた時とか、自分の命の短さを悟った時とか、あとは重要性を理解できる年に成長した時。聞く限りでは、高校生くらいが一番多いみたいだよ。ちょうど落ち着いてきて物事を考えられる年齢だしね。それから術を教わったんだけど、父さんはあまり才能を受け継がなかったみたいで、簡単な結界は張れても、おじいちゃんみたいな術は使えないんだ」
 要するに、秘匿するために親子間でも安易に教えることはせず、しかし守人として一代では心許ない。せめて親子二代、そして三代目については当主の判断に委ねられているというわけだ。つまり、大河はまだ影正のお眼鏡に適っていなかったということになる。
 それはそれで面白くない。確かにあまり頭は良くないし、落ち着きはないし、理性より本能を優先するタイプであることは自覚している。しかし、もし教えてもらっていれば、昨日のことに対応できていたかもしれない。あんな思いを、しなくて済んだかもしれないのに。
「な、もし教えてもらってたら、昨日、あんなことになってなかった、よな」
 俯き加減で遠慮がちに責めた大河に、影唯は目を伏せた。
「そうだね。でもね、大河」
 諭すような口調に大河は視線を上げた。
「陰陽術というのはね、本来、とても危険なものなんだよ。さっき見ただろう? 何もないところから雨が降り、誰も触れていない土が勝手に動く。これは、自然の精霊や神様が力を貸してくれてる証拠なんだ。術師の霊力が強ければ強いほど、大きな現象を起こすことができる。けどそれは、術師の体に過度な負担をかけることにもなるんだ。体も心も未熟なままだと、下手をすれば命を落とすことだってある。そうならないために――大切な子供や孫を失わないために、刀倉家の先祖たちは長い時間をかけて、決まりを作ってきたんだと思うよ。代々剣道を嗜ませるのも、せめてもの身を守る術として。そして子供に護符を作って持たせるのも、その一つなんだ」
 そう語る影唯は、いつも以上に穏やかな口調だった。
 子供の成長を見守り、お守りと称して護符を持たせ、剣道を嗜ませ、身体的にも精神的にも強く育てと祈りながら、刀倉家は守るために時間をかけることを選んだ。
 では、土御門家と賀茂家はどうなのだろう。陰陽師家としていわゆる名門である両家が、刀倉家と同じやり方をするとは思えない。
 ちらりと横目で宗史と晴を覗き見ると、察したのか二人同時に苦笑いを浮かべた。
「俺らはガキの頃から訓練されてたぜ。でも、だからってそれが親に大切にされてないとは思わねぇよ」
「俺たちは、早く術を身に付けることが自分の身を守ることになると教えられてきたんだ。正しいと思うし、そうしてくれて良かったと思う。けど、刀倉家のやり方が間違っているとは思わない。どちらもそれぞれの環境に合った選択をしてきた、それだけのことだよ」
「環境に合った選択……」
 立場が違えば考え方が変わるし、選択も変わる。省吾と喧嘩した理由と同じだ。
 そっかぁ、と大河は感嘆の息を吐いた。
「何か、すごいなぁ……けど」
 逆接で止めた大河に視線が集まる。
「もっと早く教えてくれてもいいのに」
 いくら大切にされていると分かっても、そうすればあんなことにはならなかったという気持ちは変わらない。
 大河に恨めしげな視線を向けられ、影唯と影正がそうだなぁと神妙に呟いた。これまでのやり方がいつ確立したのかは知らないが、移り変わる時代に合わせて改善することも大人の役目だ。
「て言うか、母さんも知ってたんだよね。いつから?」
「いつからって、結婚前からよ」
 当然のように言われ、大河は違和感に首を傾げた。
「え、御魂塚のことも?」
「そうよ」
「えー、何だよそれ! どこが秘匿だよ! 刀倉家代々のやり方崩壊してるだろ!」
 テーブルに前のめりで詰め寄る大河に、雪子は「そんなこと言われても」と困った顔で影唯を見た。
「まあ、母さんについては特別というか例外というか。ほら、父さん嘘とか隠し事とか苦手だから」
「俺にはがっつり隠してたよな」
「そ、それは別だよ」
「影唯はな」
 おもむろに、影正がにやつきながら口を挟んだ。ちょっと父さん、と慌てて止める影唯の声は無視だ。
「昔から嘘や隠し事が苦手な奴でな。雪子さんにもきちんと話をしたいと言ってきたんだ。わしは考えた。もし二人の間に子供ができた時、こいつはその子に刀倉家の秘密を黙っておけるだろうかとな。そこで交換条件を出した。雪子さんに話をする代わりに、絶対に時期が来るまで隠し通すこと、とな」
「それで律儀に守ったんだ、父さん」
「そうだよ」
「で、母さんは話を聞いた時どう思ったの」
「そりゃ、この人大丈夫かしらって思ったわよ。結婚やめようかしらって」
「えっ、そうなの?」
 驚く影唯に、そうだろうよ普通は、と心の中で突っ込んだ。同じことを雪子にも突っ込まれている影唯に少々残念感を覚えつつ、さらに尋ねた。
「でも、結婚したのは何で?」
「何でって、そんなの決まってるでしょ? お父さん、嘘付けないもの」
 にっこり笑って言い切った雪子に、大河は目を丸くした。
 なんと言うか、さっきまでの「大切な子供を守るための選択」の話が霞んだように思えるのは気のせいか。
 要するに、影唯の雪子への義理を通すための生贄にされたも同然だ。愛する者へ義理を通した志は、父として誇らしい。非現実的な話をした恋人を信じた母も自慢に思う。だがしかし、もし影正と影唯の間で密約が交わされていなければ、影唯はもっと早くに大河に秘密を話していたかもしれない。いや、話を聞いたからと言って術が使えるようになるわけではないし、そもそもあの過程があったからこそ今大河が生まれたわけで――。
「…………うん、もういいや。もしも話しは虚しいって、さっき省吾と話したばっかだし……うん」
 遠い目で天井を仰ぎ見る大河を、宗史と晴と省吾が同情の眼差しを向けた。
「おーい大河、大丈夫か? 戻って来い」
 抜け殻になった大河を省吾が揺さぶる中、影正は振り子時計を見上げた。十一時を回っている。
「話は終わりだ。昼飯前に、御魂塚に案内しよう。大河も、いつまでも呆けてないで来なさい」
「あ、うん」
 影正が腰を上げたのを合図に、全員が立ち上がった。
「お昼、何がいいかしらねぇ。お蕎麦? それともおそうめんかしら。でも男の子が多いからそれだけじゃねぇ。天ぷらでもしましょうか」
「いいね。じゃあ、野菜を取って来よう。何がいる?」
 そうねぇ、と影唯と雪子は仲睦まじく会話をしながら居間を出て行った。正体の知れない何者かがここへ来るかもしれないと言うのにこの暢気さ。鋼鉄の心臓か、と突っ込みながら見送る。
「んじゃ、俺は一回家帰るわ。なんも説明無しで飛び出してきたから。んで、昼飯食ったらまた来る。風子たちからめちゃくちゃ連絡入っててさ、とにかくこっちから連絡するから待ってろって言っちゃったんだよな」
 中学三年生の風子とヒナキは今年高校受験だ。今日から夏休みに入っているが、本土の予備校の高校受験対策講座に通うことになっている。確か初日の今日は午前中に説明会があったはずだ。休憩中にでも連絡を入れたのだろう。
 ジーンズのポケットから出した携帯を操作しながら、省吾が眉を寄せた。
「よく分からんけど、俺ら昨日暴漢に襲われたことになってるみたいだぞ」
「は?」
「あー、それ俺らだわ」
「は!?」
 長時間座っていたせいで腰が痛いのか、晴が腰に手を当てて背筋を逸らしながら言った。
「昨日、お前ら気絶してたろ。迎えのおっさんに言い訳しなきゃいけなくてなぁ。まさか悪鬼に襲われましたとは言えねぇだろ」
「ああまあ、確かに……」
 機転が利くと言っていいのかどうか微妙なところだ。風子たちが知っているということは、おそらく島中に知れ渡っていることだろう。狭い島だ、あれやこれや聞かれるのは目に見えている。そしてそれにいちいち説明しなければならない。手間ではあるが仕方がない。
 ちょっと一服させてー、と煙草を取り出した晴に便乗して影正も縁側に出た。宗史が溜め息をついて座り直し、麦茶をすすった。大河と省吾は廊下に出て、玄関へ向かう。
「なんかうちの事情に付き合わせたみたいで、悪いな」
「いや別に。あれの正体が分かってすっきりしたし、結構楽しかった。おじさんとおばさんの慣れ染めもなかなか興味深かったしな。それに、宗史さんと晴さんも良い人そうだし」
「まあな。でも、実はちょっと怪しいとか思ってた」
「それはしょうがないだろ。つか、俺だって術を見なかったら信じてないし」
「だよなぁ」
 靴を履き、
「じゃあな、また後で」
「うん」
 と言って後ろ手を振り玄関を出る省吾を見送った。
 居間に戻ると、影正が振り向いた。
「省吾は帰ったのか?」
「ん。昼飯食ったら風子たち連れてまた来るって」
「そうか。それじゃ、行くぞ」
 晴と二人同時に灰皿に煙草を押し付け立ち上がった。
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