第8話

文字数 1,609文字

 寮での暮らしぶりや皆のこと、紺野たちや、翔太と小田原のこと。話題は尽きなかった。防府北基地の側を通りかかった時、興味を示したのは柴だ。
「航空自衛隊の基地だよ」
 大河がそう説明すると、柴は言った。
「自衛隊とは、国防を目的とした軍だったな」
 フットレストを、足を鍛える道具と勘違いしたとは思えないほどすんなり出てきた。ただ、軍と表現していいのかどうか。賛否両論と聞いたことがあるけれど、柴が一番理解しやすい表現ではある。
「うん、そう。あと、地震とか水害とか、災害の時も出動してくれるよ」
 大河が付け加えると、柴は「そうか」と言ってそのまま口を閉じた。
 賀茂家での会合の時、宗史は柴のことを平和主義者だと言っていた。茂の教え方が良かったのか、それとも、軍と聞いて反発心を覚えるのか。
 そういえば、柴はあまり胸の内を話してくれない。寮へ来た翌日の朝に、少し話してくれただけだ。
 スーパーで二リットルの水を三本、スポーツドリンクを三本買った。もちろん宗史たちはお留守番だ。山に登るなら重いかなと思ったが、五百ミリのペットボトルでは足りないだろうし、柴と紫苑がいるから大丈夫だろう。
 刀倉家は、向島と向小島で、収穫した野菜を運ぶためのワンボックスカーを二台所有している。
 向小島の島民らは、向島漁港の駐車場(という名の空き地に近いが)に車を停めている。使用料は一台につき月額五百円。漁港職員と共有であり、土地が安い上に余っている田舎だからこそできる、超破格の値段だ。
 時間は十一時。この時間、すでに漁港は終わっている。ペットボトルが入った箱を紫苑が抱え、キャリーケースを引いて船着き場へ向かうと、船待ちをしていた顔見知りの女性たちに囲まれた。中高年の熟女軍団だ。買い物帰りらしい、足元には大量のエコバッグが置かれている。
「あらぁ、粋な恰好したイケメンだわ」
「おやおや。珍しいねぇ、着物をここまで着こなす若い人ってのは」
「普段から着物なのかい?」
「お兄ちゃんたち、刀倉のおじいちゃんのお葬式にも来てたねぇ。京都の人なんだって?」
「やっぱり都会の人は雰囲気が違うわねぇ」
「もう顔の作りからして違うわぁ」
「あたしがあと三十くらい若かったらねぇ」
 ねぇ、と声を揃えた元気な女性らの勢いに、宗史たちはたじたじだ。
 それからすぐ船が到着し、伊藤のおじさんと挨拶を交わして船に乗り込んだ。その際、彼女たちの荷物を預かり、手を取ってエスコートしたおかげで宗史たちの株は爆上がりした。
 彼女たちを宗史たちに任せて、大河は船尾から少し乗り出し、前方に見える島へ視線を投げた。
 ――懐かしい。
 潮の匂い、船のエンジン音、爆ぜる波の音、髪をさらう湿った風、肌を焼く陽射し、船内から届く人の声。真っ青な空に映える山の緑に、悠然と流れる白い雲。
 十七年間飽きるほど見てきたのに、たった半月離れていただけで、こんなにも懐かしく感じるものなのか。
 大河は全身に何かを行き渡らせるように、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。
 ――帰ってきた。
 肌で、五感で、やっとそう実感が湧いた。
 息をゆっくりと吐き出す。何となく気持ちが浮き立っていたけれど、落ち着いてきた。
「あまり乗り出すと、落ちるぞ」
 背後からの声に振り向くと、帽子を手で押さえた柴が船内から出てきたところだった。大河は体を引っ込めて苦笑いした。
「なんかごめん。おばさんたち遠慮なくて」
「いや。女が元気なのは、良いことだ。場が華やかになる」
 あれだけ喋り倒されると騒がしいだろうと思っていたが、なるほど、そんなふうにも考えられるのか。柴はポジティブ思考だ。
 そっか、と大河が笑うと、柴が前方へ視線を投げた。
 近付く島を眺める静かな眼差しに、微かな感慨が滲んだ。影綱が生まれ育ち、人生を閉じた場所。柴の目にはどんなふうに映り、今、何に思いを馳せているのだろう。
 大河はかける言葉が見つからず、島へ視線を逸らした。
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