第2話

文字数 2,379文字

 蹴り飛ばされたのは北側。来る時に通った西登山道が足元を一瞬で過ぎ去り、斜面の向こう側に広がる森の上空までものの数秒だ。
 宙を飛びながら、志季は、いててと顔を歪めた。
「やっぱ速ぇな、あいつ」
 向小島ではかろうじて反撃できていたが、先程の動きは比べ物にならないほどの速さだった。やはりあれが全力ではなかったらしい。理由は言わずもがな大河だ。負の感情をあの場で増幅させるわけにはいかず、手を抜いていた。だが今回は違う。巨大結界の発動を阻止すると同時に、大河を利用するのが目的だ。向小島の時のようにはいかないだろう。
 むう、と志季は悩ましい顔をしつつ体勢を立て直し、両手を前に付き出した。このままだとどこまで飛ばされるか分からない勢いだ。ぐっと全身に力を込めて結界を張り、暴風壁代わりにして速度を殺す。すぐに速度が落ち、結界を消して重力に身を任せる。
 足から飛び込んで、枝を折りつつ、葉を散らしつつ軽い所作で着地した。
「っと」
 杏もすぐにあとを追ってくるだろう。志季は息を吐きながら周囲を見渡した。足元は一面枯れ葉に覆われ、頭上は鬱蒼と茂った枝葉で月の光が遮られている。見えなくはないけれど視認しづらい。まあ、神気で分かるが。
 耳が痛くなるほどの静寂。悪鬼が放つ邪気の影響か。生息するはずの動物たちの気配も、虫一匹の鳴き声すらしない。おかげで、杏が到着したらしい。茂みに飛び込んだような音が届いた。
 志季は静かに真っ赤な刀を具現化し、さらに神経を研ぎ澄ませる。そう遠くない距離。杏の神気が高まってゆく。同時に、ざざざざと波に似た音が木霊した。砂が集まる音だ。何か仕掛けてくる。
 ゆっくりと息を吸い込み、静かに吐き出す――と。
「……何だ?」
 志季は訝しげに眉を寄せ、口の中で呟いた。
 ザッザッザッザッ、と鳴っているのは、足音。それも複数。軍隊かマスゲームのように揃った足音が、規則正しい速度でこちらへ向かってくる。
 志季はますます怪訝な顔をして目を細め、音がする方の闇を凝視した。鳴り止まない足音は徐々に近付き、やがて闇の中からぬうっと姿を現したのは、
「ぎゃ――――――ッ!」
 五十体はあろうか、土偶の大群だ。全長四十センチほどの体を前後に揺らし、二足歩行で一直線に近付いてくる。ぞわっと全身が総毛立ち、志季は勢いよく後ずさった。
「来るな来るな来るな、キモイ!」
 大木の幹に背をくっつけて刀を振り回すが、土偶の大群は臆することなく歩を進める。不意に、目の前の枝に杏が着地した。笑うでもなくしたり顔でもなく、涼しい顔でこちらを見下ろしている。
「てめぇ、何のつもりだ!」
 土偶は、呪物やお守り、あるいは災厄を祓うためのものなど、様々な説がある。その中の一つ、誇張した女性像が多いことから、地母神崇拝のために作られたという説がある。地母神とはイザナミを指し、つまり、志季たちの生みの親をかたどったもので、「キモイ」などと口にするのは罰当たりなのだが、これが言わずにいられるか。そもそも、イザナミは黄泉の国に落ちる前はかなりの美人だったと聞いている。とはいえ、いくら可愛いものでも集団になると不気味に見えるし、それが表情のない土偶ならなおさら。もしや精神攻撃か。
「止まれ」
 杏のひと言で、志季の周囲をぐるりと囲んだ土偶の大群が一斉にぴたりと動きを止めた。目玉がないはずなのに視線を感じる。志季が顔を引き攣らせてごくりと喉を鳴らした。鳥肌が収まらない。何をさせる気だ。
 杏が枝から飛び降り、土偶の集団の後ろに着地した。
「キモイとは失礼な。可愛らしいだろう?」
「一晩泣き腫らしましたみたいな顔したこいつらのどこが可愛らしいんだよ! お前らの美的感覚どうなってんだ!」
「お前ら?」
「前に宗史も言ってたんだよ!」
 晴たちが初めて向小島に行った時、天界から覗き見してドン引きした。
「……そうか」
「嬉しそうにすんじゃねぇ」
 変わらず無表情だが、ちょっと雰囲気が緩んだ気がするのは間違いではないはずだ。
「そもそも、大地の眷族神の使いは犬だろ。何で土偶なんだよ」
「これは使いではない。私の神気で動いている」
 陰陽師で言うところの擬人式神だ。使いなら大地の精霊を呼べば済むのに、わざわざ土偶を形成し神気を注ぎ込んだらしい。この短時間でとは思うけれど、素直に感心できない。むしろ腹立たしい。
「えらい手の込んだ嫌がらせだな!?」
「嫌がらせ?」
 疑問形で反復し、小首を傾げた杏に志季は瞬きをした。
「え、嫌がらせじゃなかったら何なんだよこれ」
 杏が戸惑うように視線を泳がせた。こいつこんな顔もできるんだなと頭の端っこで意外に思っていると、杏が遠慮がちに言った。
「満流にはああ言ったが、お前の使いがあまりにも不憫で。参考になればと」
「余計なお世話だッ! これを可愛らしいと思うお前に言われたくねぇし、こんな大量にいらねぇだろ!」
「対象をつぶさに観察し、写生すると具現化しやすくなるぞ」
「美術の先生かお前は。つか聞けよ人の話を」
 律義に突っ込んで、志季は盛大に溜め息をついた。使いの形成や具現化は、いくら神とて初めから上手くできるわけではない。人と同じように何度も訓練して会得する。それをこいつは写生までしたのか。どこまでも真面目な奴だ。
 まあそれはともかく。使いの姿形がどうであれ強さに全く影響はないので敵に塩を送ったわけではないけれど、杏には関係がない上に神気の無駄遣いだ。心外だがよほど見るに堪えなかったか、もしや世話好きか。これが本当に善意ならばの話だが。しかも、向小島の時はいちいち一拍置いていたがそれがなくなり、少々くだけてきた感がある。
 何なのこいつと口の中でぼやき、一体の土偶を浮かせ、両手で受け止める杏を見やる。杏は敵だ。同じ式神として彼の行動を見逃すわけにはいかない。と、思い出した。
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