第25話

文字数 2,361文字

 陶器のブタの蚊取り線香入れから、嗅ぎ慣れた香りが細い煙と共に燻る。
「僕たち三人で、父さんの願い……。そんな意味があったんですね。嬉しいです」
 わずかに涙ぐみながらそう言ったのは、素直で可愛い末の弟。
「普通に付けろよ、普通に。四兄弟だったらどうするつもりだったんだ」
 火のついていない煙草を指で弄びながらそう言ったのは、ひねくれて可愛げのないすぐ下の弟。
 夕食後、平屋の縁側でビデオ通話が切られたあとの報告を終え、名前の意味を伝えた反応は、それぞれ「らしい」ものだった。
 陽は言わずもがな、晴の可愛げのないところもまた可愛いのだけれど。内心でこっそり兄バカっぷりを発揮しながら、明は隣り合って座る弟二人の背中を眺めて肩を震わせた。
「父さんのことだし、適当に何かつなげたんじゃないかな」
「適当かよ」
「最後の『光りとなれ』から取って、ひかりとかひかるというのはどうでしょう」
「なるほど、そうだったかもしれないな。ああ、だったら『こう』とも読める」
「明、晴、陽、(こう)ですか。いいですね、なんか綺麗です」
「それ、絶対最初にひかりとかひかるって呼ばれるな。つーか、何の話してんだよ」
「お前が振ったんだろう」
「振ってねぇ、指摘だ指摘」
 ったく、とぼやいて、晴は煙草を箱に押し込んだ。吸うのを諦めたらしい、晴は溜め息をつきながら後ろ手をついて空を見上げた。倣うように、明と陽も夜空を仰ぐ。
 何の変哲もない、いつもの夏の夜空。蚊取り線香の香りに、虫の音。そして、側には可愛い二人の弟。
「何となく、気付いていました」
 不意に、陽が短い沈黙を破った。明は目の前の小さな背中に視線を移し、晴は顔だけでわずかに振り向く。
「兄さんたちの名前。でも、もしそうだとしても、父さんがあからさまなことをするとは思えないし、何か理由や意味があるんだと。間違っていませんでした。信じて、良かったです」
 空を仰いだままそう言った陽の横顔は、どこか吹っ切れたような、清々しい笑みが浮かんでいる。
 やはり、気付いていたか。
 口ではそう言っても、不安にかられる時もあっただろう。それでも父を信じた。一緒に過ごした時間が一番短い陽でさえ、信じ切ったというのに。
 三兄弟で一番強いのは、陽だ。
 晴のことをとやかく言う資格はないな。明は不甲斐なさをごまかすように、陽の頭に手を伸ばした。感心を込めてよしよしと撫でる。
 十四で、もう一人弟ができた。同時に母を亡くし、仕事で忙しくする父の代わりにおしめを替え、ミルクを飲ませ、風呂にも入れた。イヤイヤ期に手を焼いて、泣き止むまで抱っこしてあやしたこともある。ふわふわと可愛い見た目とは裏腹に、そこそこ手がかかった。でも、満面の笑みを向けてくれる陽に、いつも癒されていた。
 ついこの前まで赤ん坊だったのに、と喜びや寂しさと共に親心が顔を出す。
 陽がやんわりと手を払いながら、不服そうに眉をしかめて振り向いた。
「もう、明兄さん。いつまでも子供扱いはやめてください」
「いいじゃないか。愛情表現だよ?」
 からかい目的の宗一郎と違って純粋な。
「子供じゃねぇって言ってるうちは、まだまだ子供だな」
 涼しい顔の明と冷やかし顔の晴を交互に見比べて、陽はむっと唇を尖らせた。
「違います」
 言い捨ててぷいとそっぽを向く。その態度がまだまだ子供だ。くつくつと低い二つの笑い声が静かに重なる。
「あ、っと」
 晴が何かを思い出して体勢を戻し、脇に置いていた携帯を手に取った。
「どうした?」
 時間を確認して、晴は上半身を捻って明を見やった。
「宗が、日記のことで話しがあるって言ってたんだよ。何か気になることでも書いてあったのか?」
「ああ、あれか。さすが宗史くんだ。気付いたか」
「何だよ、やっぱ気付いてたのか。すぐに話せよ、大層なことになるかもしれねぇんだろ」
「初めから読む気のないお前に言われたくないよ」
「あれこれ要求してきたのそっちだろ。そんな時間ねぇわ」
「普段から本を読まないからだ」
「本を読む奴ってのは二言目にはそれだな!?」
 宗史にも同じ指摘をされたのだろう。したり顔の明と肩を怒らせた晴の間を、まあまあと言って苦笑いの陽が仲裁に入る。
「陽、お前も聞いておきなさい」
「あ、はい。分かりました」
 と、明の袂で携帯が震え、晴が不満顔で引いた。取り出してつらつらと文面に目を通し、そうきたかと苦笑いで一人ごちる。
「紺野さんから報告だ」
「北原さんのことですか?」
 陽が期待顔で身を乗り出す。
「心配いらない程度には、元気だったそうだよ」
 聞くや否や、晴と陽は同時に安堵の息を吐いた。良かった、と陽が呟く。
「それと、念のために近藤さんにもGPSを設定してもらったらしい」
「あー、平良に顔見られてるからな。加賀谷から名前と科捜研の人間だってことくらいは漏れてるだろうし」
「ああ。それだけで事件関係者と断定しないだろうが、警戒するに越したことはない。あともう一つ」
 明はふふと笑った。
「紺野さんを捜査に戻したのは、近藤さんだそうだ。北原さんから、その日のうちに聞いたらしい」
「は?」
「どうやってですか?」
 不可解そうに首を横に倒した晴と陽に、明は実に楽しげな笑みを浮かべた。
「彼は、本部長の隠し子らしい」
「か……っ」
 驚きのあまり中途半端に言葉を切ったのは晴で、陽は目をまん丸に見開いて固まった。
「隠し子ぉ!?」
 晴の素っ頓狂な声が庭に響き、明は口を覆って肩を震わせた。
「ちょ、え……あ――、なるほど、やっぱそういうことか」
 驚きながらも頭は回ったらしい。渋い顔をして息をつく晴の隣で、陽も閃いた様子で「あ、そうか」と呟いた。
 弟たちの反応を面白そうに眺めながら、明は「了解」と書かれたクマのスタンプを一つ送る。さらに文面をコピーして宗一郎へ送信し、携帯を袂に戻した。
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